暗川  


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1973年7月の大雪山系

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 黄金が原から三川台
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 高根が原のお花畑(エゾコザクラ)
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 高根が原から白雲岳を臨む

 1973年7月、女子3名で30キロの荷物を背負って、富良野岳から旭岳まで縦走しました。人が少なく足の踏み場もないお花畑が延々とつづいていました。今では人がいっぱいで、お花畑も荒れてしまったことでしょう。
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by lumokurago | 2010-05-31 21:17 | 自然 (nature)

『5.27普天間問題緊急声明』

 「shinakosan」とこで見つけました。与党議員180名が鳩山首相にこんな署名を提出したそうです。

普天間基地の将来の国外・県外移設明記の政府方針求めて、与党180議員が署名提出

『5.27普天間問題緊急声明全文(連名議員一覧) 』
http://www.hatatomoko.org/SCN_00016.pdf

『5.27普天間問題緊急声明』

 普天間飛行場について、将来の国外・県外移設を実現する連立与党・政府の基本方針を策定することを求めます。

 5月23日、鳩山内閣総理大臣の沖縄訪問によって、「5月末決着」の日米両政府の合意内容の概略が明らかとなりました。しかし、私たちは、昨年の総選挙で鳩山代表(現総理)が国民の皆様に約束した「できれば国外、最低でも県外」の移設案を、沖縄県民の皆様、国民全体の皆様と心を一つにして、政府は米国政府と交渉・協議すべきだと思います。私たちの考えは、在沖縄米海兵隊について、2014年までにグアムに8,000人を移設するとするグアム協定を維持しつつ、残りの部隊についても、例えばテニアンに移設することです。この考えについては、北マリアナ諸島連邦の知事や議会、テニアン側も望んでいます。これにより、辺野古周辺に新しい基地を建設する必要もなくなると考えます。このことは、今後50年の新たな日米関係を構築することに必ずつながると私たちは確信します。そのためにも、まず連立与党・政府が上記の内容の基本方針を策定することを強く求めます。

*****

 すごいですね。今までに与党議員百何十名が首相に署名を出すなんてことあったかな? 
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by lumokurago | 2010-05-30 23:00 | 沖縄

無視された国外・県外

 沖縄タイムス2010.5.26 「論壇」より

 無視された国外・県外  政府に「不都合な真実」か 大城洋

 昨年11月13にcに、橋下徹大阪府知事は記者クラブで「沖縄県民の負担を減らすために、国から話があれば普天間基地を関空へ受け入れることを検討する」と発言した。驚くべきことに、これほど重要な発言がマスコミに報道されなかった。

 4日後の17日にも衆議院の安全保障委員会で下地幹郎議員が北沢俊美防衛相と岡田克也外相に「橋下知事に働きかけるつもりがあるか」とただしたが、橋下知事の発言はマスコミに出てない。これを不思議に思ったフリージャーナリストの岩上安身氏は、同月30日、家電量販店で買ったカメラを持って橋下知事の囲み会見に乗りこんだ。そこで質問して知事の意思を確認した上で、結果をインターネットの動画共有サービスユーチューブに流した。これで日本中が大騒ぎになり、マスコミが取り上げて、首相官邸を「不都合な真実」で右往左往させた。

 このころから本土の一部のマスコミが、地図上に沖縄を中心とする同心円を示して、一分一秒を争う台湾・朝鮮の有事に対応できるのは距離の近い沖縄しかないという、抑止力論を強調するようになった。今月来県した鳩山由紀夫首相も、抑止力を理由に米軍普天間飛行場の県内移設を持ち出して県民をあ然とさせた。

 そもそも普天間の海兵隊は、基地反対運動で岐阜や神奈川から撤去させられて、1960年に米軍支配下の沖縄に移ってきたものである。決してそこが軍事的要衝だったからではない。今は、地上部隊が一分一秒を争ってオットリ刀で駆けつける時代ではない。イラクにカリフォルニアの第1海兵遠征軍が出動したのは空軍の爆撃の2カ月後。アフガニスタンでは1月後で、出動したのは第1海兵遠征軍とノースカロライナの第2海兵遠征軍。

 米本国でもいいくらいだから、北海道でも東北でも構わない。一部の偏向マスコミが抑止力を言い立てるのは、安保の恩恵はほしいがその負担は嫌だから沖縄に押しつけておけという、本土のエゴの代弁でしかない。

 去る10日に普天間の海兵隊を受け入れたいという首相あての親書を民主党・川内博史衆院議員や社民党・阿部知子衆院議員に託したグアム・テニアン・サイパンの知事が、13日に日本を訪れて鳩山首相と面会する予定だった。しかし官邸はこれを拒否している。

 不思議なことにこの事実もマスコミに出てこない。国外少なくとも県外にしたいが受け入れてくれる地域が無いので、申し訳ないが、苦渋の決断で、心ならずも、断腸の思いで、県内に移転するしかなくなったというごまかしを暴露する「不都合な真実」だからだろうか。

 (大城洋 沖縄市、フリーライター、64才) 

*****

 25日には、「自分が選出された県へ米軍基地を引き受けることを表明できない議員には、鳩山首相を批判する資格はない」「この際、南からでも北からでもいい、10年なら10年、15年なら15年、各県持ち回りで米軍基地を引き受ける決定をしてはどうか」との投書があった(岡山県の木村正昭氏)

 大賛成である。事ここに至っても「抑止力」にこだわり、安保が必要と言うのならば、各都道府県に米軍基地を作ればよい。国民全員が腹をくくって、引き受ける順番はくじ引きで決めればよい。ゼネコンも土建屋さんも大儲け、景気回復も夢じゃないよ!!
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by lumokurago | 2010-05-30 22:41 | 沖縄タイムス

妙ちゃんの絵

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 水芭蕉の絵
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 野菜畑の絵
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 雨の絵
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 丸太小屋の絵
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 牛の絵
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by lumokurago | 2010-05-30 21:19 | 子ども・教育

あめふり放談 最終回

荒井:子どもというものは友だちがいて場所があって時間があれば、自然に遊ぶものだと思うのね。今の大人は子どもが自分から遊び出すまでにかかる時間をじっくり待てないような気がするわ。本当はその時間こそ大切なんだし、つまらない気分でいる時も楽しい時と同じくらい大切だと思う。人間て気が沈んでいる時もあるし、急にうきうきする時もあるでしょ。その心のバイオリズムを大切にしたいと私は思うな。

藤本:このあいだ、長野県出身の人が言ってたんだけど、長野には雪遊びがあるし「おやき」という独特な食べ物がある。その人の夫は九州の人で、九州は暑いからほうれん草のおひたしを酢じょうゆで食べるという風に、地方・風土に合った遊び、食べ物がある。子どもの遊びを大人がおぜん立てすることは「おやき」を九州で食べるようなものだと言うの。確かに子どもの遊びに大人が介入する不自然さを考えると、極端に言えば、東京に雪を持ってきて雪遊びさせるのと同じことではないかしら。

和泉:それは極端すぎるよ。藤本さんも船戸さんもすぐに話を飛躍させるんだから。もっと地道に考えてみなくちゃいけないんじゃない?

船戸:でもどうして大人がこんなに子どもにかかずらうのかな。大人はもっと自分自身のことを考えなければならないと思うわ。どうして子どもに何もかも与えないと気がすまない大人が多くなったのかしら。子どもにかかずらってる暇があったら、自分のことにかかずらえと言いたいよ。「子どものために」「子どもにとって」と言う代わりに、「自分のために」「自分にとって」を本当に考えたら、子どものこともよく見えてくるんじゃない? 子どもは子どもで一生けんめい生きてるんだから、大人だって自分が生きることに一生けんめいにならなくちゃ。自分が生きることに一生けんめいなら、子どもも一人の人間として見ることができるし、結局、子どもとの関係はそういうところにしかないと思う。その時は子どもに何か与えるなんておこがましくてできないし、「子どものために」なんていうセリフは嘘だとわかると思うけどな。

藤本:結局、子どもを考えることは自分を考えることだし、逆もまた真なりというところかしら。

広野:いろいろな話を聞いていると、そのクラブの職員の思い込みに、そう言って悪ければ、大切だと感じているものによってそのクラブのあり方が作られていくのだなあと思います。子どもたちを組織したり、遊びを設定するところもあれば、なるたけ子どもたちの関係を自然のままで・・・と考えているところもあるし。

土井:けれど、いくら職員が必死になって組織だてたって、子どもは職員の思うとおりにはならないだろうし、かといって自然のまんまとは言っても子どもを毎日見ていれば何らかの思い込みがでてくるだろうから、学童クラブの仕事ってそのへんのからみが一番むずかしいんじゃないかしら。

田上:学童クラブの仕事の基本は、子どもたちが喜んで通えるクラブ作りに尽きるわけだから、その内容や方法は各クラブの職員の思いによっていろいろあっていいのだと思います。藤本さんや船戸さんと私との違いも単なる方法論の違いのように感じるけど・・・。

船戸:えーっ! 私はそういうことじゃないと思うんだけど。

藤本:私も方法論の違いというだけじゃなくて、本質的な子どもとのかかわり方の違いがあると思う。田上さんみたいに言っちゃったらおしまいだから、今度またゆっくり話し合おうよ。

荒井:今日の話し合いでお互いの考えが少しずつみえていきたように思いますが、遅くなりましたのでまた機会を作ってより深く話し合いたいと思います。

藤本:雨の中、遅くまでごくろうさまでした。

(おわり)

 種明かし:これは実際に話し合ったものではなく、3人による集団創作です。しかしまったくの創作ではなく、当時学童クラブ職員が話し合っていた内容をもとに意見の違いをわかりやすくまとめたものです。30年前の1981年当時から子どもの遊ぶ時間がなくなり、競争によって友だち関係を裂かれ、子どもが大人に管理されていると嘆いていたのですね! 
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by lumokurago | 2010-05-30 21:11 | 昔のミニコミ誌より

内海さんからの写真

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 ジャーマンアイリス
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by lumokurago | 2010-05-29 21:40 | 花 ・樹(flowers&trees)

あめふり放談 その2

広野:話を戻します。田上さんのクラブではコマやけん玉の検定制度を取り入れているそうですが、そのうちうちのクラブでもやってみようかなと先輩の村井さんがおっしゃっていたのでどんな様子か聞かせて下さい。

田上:段階を追ってできるようになるということ、級が上がっていくことが子どもたちには励みになっているみたい。また、みんなで一つの遊びに取り組むということも仲間意識を育てる上でいいことなんじゃないかなと思っているの。今までコマには全く関心を示さず、いつもひとりでいたA君が検定を始めてから熱心に練習するようになって集中力もついてきたし、このごろは小さい子にヒモの巻き方から教えるようになったのにはびっくりしたわ。

荒井:ちょっと待って下さい。今の子どもたちが遊べなくなっているというのはわかるけど、だからといって大人が子どもの遊びにまで立ち入って、その上評価までするというのは、いくら動機や目的がよくても私は何か抵抗を感じるんだな。そうなると単なる遊びとは違った別のものになってしまうでしょう。

土井:私は遊びに意味付けしていけばいくほど、何か怪しげな雰囲気を感じちゃうな。

藤本:そうね、いっさいの束縛からの解放が遊びだと思うから、検定制度は遊びにまでカッコつきの「教育」を持ち込んで遊びをゆがめていると思う。一方的に詰め込んだりなんでも点数で評価したり、今の学校教育の悪いところを自分から好んで真似するなんて、自ら墓穴を掘るようなものじゃないかしら。

船戸:藤本さんの言うとおり、子どもの遊びとは本来自由なもので、大人に強制されたりおぜん立てされてしまったら自由が奪われてしまい、自由でなくなれば子どもにとってそれはもう「遊び」ではなくなってしまうんじゃない。学校の授業と同じ、ただ名前が「遊び」となっているだけの「遊びという名の課題」になってしまう。遊びが課題になってしまった時、子どもたちの生彩は失われ、自主性、創造性は生まれようがなくなるでしょう。

田上:でも子どもにとっては課題をやり遂げることも必要だし、遊びを課題としてやることによって根気強さや集中力や一つのことをやり遂げる喜びなどを教えることが必要でしょう? 自由遊びももちろん大切だけど、自由に遊ばせているだけじゃ新しい遊びのおもしろさも知らずにすんでしまうこともあるし、一つのことをやり遂げるための集中力や責任感も育たないと思います。

藤本:でもなんといっても遊びにあてる絶対時間が少なすぎると思うわ。課題なんて授業中だけでたくさんよ。おまけに塾やおけいこに通わされて。以前読んだ国分一太郎さんの本に「人生のうちで性と時間に拘束されないという意味で輝ける自由な時代は子どもの特権である」と書いてあったけど、まったく同感だわ。現代は子どもたちの自由が最も輝きを失って干からびている時代じゃないかしら。勉強やけいこごとで子どもの自由な時間を奪っておいて、競争によって友だち関係を引き裂いたら遊べなくなるのも無理ないと思うわ。子どもたちに自由な時間と遊び仲間を返してあげたら、遊べない子どもなんていなくなると思うけどな。

田上:でもクラブの仕事をしていて、この職業でお金をもらっている以上、子どもたちが喜んでクラブに通ってこられるように努力しなければならないと思う。たまには行事を組んで日常とは違ったひと時を持たせてやりたいし、遊べない子がいれば遊びを教え、遊ぶことの楽しさを十分に味わわせてやりたい。この仕事をしている以上、子どもに対してそういう気持ちを持つのはごく自然なことなんじゃない?

和泉:うちのクラブでは「みんなで遊ぼう」という日を設け、今は週に1回、みんなでラケットベースをしているけど、初めはいやがっている子もボールが打てたりすると途端に生き生きとした表情を見せ、次からは喜んで参加するようになったりします。もし「みんなで遊ぼう」という日を作らなければその子がラケットベースが好きになることもなかったかもしれないし、そう考えるとそういう場の設定を職員がしてあげることは大切だと思う。

船戸:私は大人が場を設定して子どもの遊びを管理・操作することは本質的に間違っていると思います。和泉さんのような話を聞いても、私はその子の変化を安易に成長とは結び付けられないように感じるの。子どもが生き生きしたというのは、それはそれで本当のことだろうとおもうけど、それは表面的な変化にすぎず、子どもの心の奥まで響いていると思うのは大人のおごりではないかしら。その変化も大人が操作した結果でしょう? 逆に万一、それが子どもの成長につながっているのだとしたら、成長まで大人が管理することになり、それはとても恐ろしいことだと思います。
私は子どもは大人の操作などにかかわりなく、自分の力で成長するものだと思っているけれど、いつも大人におぜん立てされ受身の形でしか物事を考えられないようになると、今に自分で成長する力も失って本当に成長まで大人に管理されてしまう子どもができあがるんじゃないかと背筋の寒い思いです。

田上:私たちは子どものためを考えて日々いろいろ悩みつつ努力しているんですよ。それを「管理・操作」と言われるなんて心外です。

和泉:子どもの遊びにヒントを与えたり、励ましてやったり、成長を援助しようとすることと、「管理・操作」とは全くの別物ですよね。船戸さんは全然違うことを言ってるよ。

荒井:私も「管理・操作」という言葉はおかしいと思うなあ。だってこちらにはそんな気は全然ないんだから。

土井:私はひとつの遊びを設定してみんなでやればそれなりに楽しいし、子どもたちそれぞれが生き生きとしてやっている状態は、大人がはたらきかけた結果であっても悪いこととは思わない。ただ何もそれをいちいちもっともらしくとりあげて、仲間意識が育ったとか遊びを教えたとかおおげさに言うほどのものでもなく、学童クラブにおいては日常茶飯事のような気がしますが。

荒井:代替に行ったときに、私が「ドッチボールしよう」と言ったら子どもたち全員がそろって始めたんだけど、遊んでいるうちに一人二人とクラブ室のほうへ行ってしまうわけ。そうすると他のやっている子たちが「みんなで遊んでいるのにわがままだ」とぶつぶつ文句を言いだすの。それで私が「ドッチボールやりたい子がやっているんだからいいじゃない。自由に遊んでいいんだよ」と言ったら、ほとんどの子が抜けて他の遊びに行ってしまったことがあったんだけど、職員が「みんなで遊ぶことがよい」というふうに設定してしまえば、子どももそのように思いこんでしまう・・・私は子どもを育てるということの中にはそういう風に大人の思い込みが育ってしまうという面があるから、とてもこわいと思ってしまう。

船戸:思い込みと言えば、子どもはいつも生き生きしているものだとか、一人で遊ぶよりも大勢の仲間で遊んだ方がよい、ダイナミックな遊びはいいけど、天気のいい日に室内で一人でこちょこちょ遊んでいるのは子どもらしくない・・・などという思い込みが強い指導員が多いように感じます。でも毎日毎日楽しく元気いっぱいに遊ぶなんてあり得ないと思わない? 大人でも心の状態のいい時もあれば悪い時もあるように、また、いくら本が好きな人だって読む気にならない気分の時もあるように、子どもだっていつも同じ気分でいるわけじゃないのだから、強制的にみんなに一つのことをやらせるなんて人権無視と言いたくなってしまいます。子どもだって毎日が同じように楽しいなんてことはない。つまんない時もある。でもそれはそれでいいと思いますがいかがですか?

田上:でも誰にでも自分の理想とする子ども像があって、できるだけその理想像に近づけるように育てていくものだし、クラブでの運営も同じだと思います。どういう子どもに育てたいかという方針は絶対必要だし、その時指導員の思い込みが強くなるのはむしろ自然なことなんじゃないの?

船戸:「どういう子どもに育てたいか」という方針が必要なことはよくわかるし、私だって持っているけれど、自分の思い込みを子どもに押し付ける前にその子のありのままの姿をそのまま全部うけいれてやらなければならないということを言いたいのです、その子がどんな子であっても、まるごと腕の中に抱きかかえてしまうの・・・うまく言えないけど。そんなふうにその子をかかえこんだ時の思い込みとかかえこんでいない時の思い込みとは質が違うと思う。

広野:一人ひとりの子どもを大切にするー本当の意味でーということがポイントのような気がしますが・・・。

(つづく)
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by lumokurago | 2010-05-29 21:28 | 昔のミニコミ誌より

CA15-3、三分の一に

 2週間ごとのDr.Kの診察でした。血液検査の結果、2週間前に比べ2種類の腫瘍マーカーのうち、CEAは微減。CA15-3は横ばいでしたが、3月31日に比べると約三分の一に減った値が持続していました。

 Dr.Kの解説

 同じ人のがんにCEAを増やす性質をもったがん細胞とCA15-3を増やす性質をもったがん細胞が混じっている。また、1センチでも腫瘍マーカーがぐんと上がるがんもあれば、5センチあっても腫瘍マーカーがまったく上がらないがんもある。あなたのがんの中でCEAを増やす性質のがん細胞とCA15-3を増やす性質のがん細胞の割合はわからないが、少なくともCA15-3を増やす性質をもったがん細胞は三分の一に減ったということだ。ホルモン剤のヒスロンの効果だろう。とてもうまくいっている。

 「寝汗」のことを言ったら「寝汗は悪性リンパ腫か肺結核によくある」ということでレントゲンを撮りました(冗談かと思ったけど違ったみたい)。

 結核はない。この写真でみるところ肺転移はない(CTには映っていたのでまったくないとは言えない)。肋骨は折れていない。骨盤などの放射線をかけたところには新しい骨ができてきている。右下腿骨の転移はヒスロンが効いて小さくなっている。左大腿骨は骨粗しょう症+転移がある(骨折の可能性もある)。

 とのことでした。来年の桜も見られるかな。ありがたいことだ。元気なうちにもっと本をつくらなくちゃ。がんの本はタイトルが決まっていませんが(悩んでいます)、6月20日発売予定です。網野先生の解説つき。
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by lumokurago | 2010-05-28 22:08 | 転移がんの治療(無治療)

あめふり放談・その1

あめふり放談 

1981.7.10 「もっこ橋」第19号より

荒井:今日は「子どもにとって遊びとは何ぞや」という深遠なるテーマを話し合いたいと思います。身近なところでクラブの子どもたちを見ていてどうですか。

藤本:遊びは子どもの生活であり、子どもは遊びの中からさまざまなことを学びながら成長していったものですが、現在では遊びは学校や塾やおけいこの合間の息抜き程度のものになりさがってしまっていると思います。その上、学校から帰ってきて「疲れたア」と言って、ほんとうにしんどそうにごろごろしている子など見ると、まるで大人が疲れて仕事から帰ってきたみたいで、生き生きと遊ぶ気力さえなくしている子がいます。

広野:子どもたちをみていると、毎日スケジュールに追われ、大人から目標を与えられる生活をしている子が多いですね。家でもテレビを見たり、テレビゲームで過ごすなど受身の遊びが多いようだし、たまに自由な時間ができても何をしたらよいのかわからないという子が増えているみたい。自分から楽しみを見つけていくことができない子どもたちに対して、私たちはどう接していったらよいのか、この仕事について2年目ですけど、いろいろ迷うことばかりです。

田上:今の子どもは昔と違ってきていると思わない? よく言われるように子どもが追いまくられる生活の中では、子ども集団が育っていかないし、その結果として子どもたちの中で遊びも育っていかないような気がするわ。放っておいても遊べない子が増えている以上、大人が何か手段を講じて遊ばせてやる必要があるんじゃないかしら。私も初めは自分が子どもだったころのことを思い出して、子どもは友だちがいればひとりでに遊べるようになると思い、楽観していたけど、そんな考えは甘いんじゃないかと現実の子どもたちの姿をみて考えさせられたわ。

和泉:そうよね。昔、私たちが大きい子から教えてもらったコマのひもの巻き方ひとつとってみても、放っておいたら誰も教える子がいないし、したがってコマの本当の楽しさも知らないまま大きくなるわけだもの。いまさらそれを嘆いても仕方ないのだから、少しでも身近なところにいる私たちが遊びの楽しさを教えてあげないといけないんじゃないかしら。

船戸:そんなこと決めつけられないんじゃない? 私なんかこの仕事について初めてコマを子どもから教わったのよ。コマ回しなんかできなくても、ちっともコマらないわ。

田上:でもできるだけたくさんの遊びをいろいろ取りそろえて子どもに知らせることは大事なことだと思う。子どもが自分の好きな遊びを発見するために選択肢を増やしてやることは、大人のつとめではないでしょうか。それに遊びそのものを大人が教える、教えないはともかくとして、子どもの遊びが自然に育つような子ども同士の仲間関係を作っていくということは大切なことでしょう。

船戸:そうおっしゃるけど、人と人との出会いでもさびしいから求めればすぐに出会えるというものではないでしょう? 「もっこ橋」第16号に載っていた「『本を読みなさい』って言わないで」という新聞の切り抜きにもあったけど、人とホントの出会いの場合でも静かに待っている本とその本を求める人とが「ひそやかな心ときめく出会い」をするものだし、子ども同士の出会いもそれと同じで、大人が出会いの機会を増やしてやろうなんて考えるのは邪道だと思います。子どもと遊びの出会いの場合も本の場合と同じで、遊びだって静かに子どもを待っている。出会いは50%の偶然と50%の意志によって成り立っている。出会いを求める意志がある偶然と重なった場合、人と人、あるいは人とモノとは出会うのだと思います。

土井:クラブの場合は、好むと好まざるとにかかわらず、そこに毎日子どもたちが来てうごめいているわけだから、そこで子どもたち自身がどんな関係を育てるのか、育てていけるのか、時間をかけて見ていくことがまず必要なのではないでしょうか・

和泉:でも私たちは単なる子守ではなく専門職なのだから、子どもに遊びを教えることも仲間作りをすることも、子どもにまかせっきりにするのではなく、積極的にはたらきかけていかなければいけないのではないでしょうか。遊びが子どもを待っていると言っても、子どもよりは大人の方が豊富な体験を持っているし、昔の遊び、たとえばお手玉とか石けりとかまりつきなど、今では待っているだけでは決して出会えないものもあるし、大人は自分の知識や体験をできるだけたくさん子どもに伝えていく義務があると思う。それに子ども同士の出会いだって、放っておいたら知り合えないまま終わってしまう場合もあるでしょう。知り合えば仲良しの友だちになれる子同士がそのきっかけをつかめずにすれちがってしまったら残念だわ。そのきっかけを作ってやるのが私たち職員の役割だと思います。

田上:40人なら40人の子どもがクラブに毎日来ていて、生活を共にしているのだから、そこでできるだけいい仲間関係を作りたいと思うのは当然のことだし、放っておいたら子どもはなんといってもまだ行動範囲が狭いから全員の子とつき合うことはできない。だから友だちを選ぶ範囲も限られてしまう。でもできるだけ広い範囲でたくさんの子とつき合ってみて、その中から友だちを選ぶ方がいい友だちにめぐり合う可能性も大きくなると思う。友だちにしろ遊びにしろ、その「出会い」の可能性を広げてやることは大事なことで、それはその子の身近にいる大人がしてやらなければならないことだと思います。

船戸:なんだかお見合いみたいだね。お見合いというのは結婚相手を探す時、自分ひとりで探すだけでなく、いろんな人に頼んで探してもらうことによって、田上さんの言う「出会いの可能性」を広げているものですよね。そういう意味でお見合いを合理的だと言う人もいるけど、でもそれは他人におぜん立てされた出会いであり「ひそやかな心ときめく出会い」とは別のものになっていると私は思うわ。それに私は友だちになれそうな子ども同士がきっかけがないまますれ違ってしまうことがあったとしても、それはどうしようもないことで、「それが人生というものさ」と思うだけ。大人が介入して二人を絶対に出会わせたいとは思わないわ。すれ違う時はすれ違ってしまうものだし、出会う時は出会うのだと思う。それはもう運命であって、人間の手でどうこうすることは本質的にはできないんじゃないかしら。

田上:どうして「お見合い」なんか持ち出すの? 全然違う問題じゃない。船戸さんはまだ人生経験の少ない子どもに対する時の大人の立場を忘れてるよ。子どもと大人は違うでしょ?

船戸:そうかなあ。私は本質的に同じ人間であることに変わりはないと思うけど・・・。

田上:「立場」の問題を言ってるのよ。

船戸:「立場」ねえ。

和泉:船戸さんの意見で「すれ違う時はすれ違ってしまうものでそれは仕方のないことだ」というところね。それでは子どもの身近に大人がいることの意味がないのではないですか。大人は子どもの成長を助けてやらなければならないのであり、できる限りすれ違わないようにいろいろこちらで設定したり手を貸したりしなければいけないのだと思います。子ども同士の出会いも遊びとの出会いも。

藤本:船戸さんも「すれ違ってしまっても仕方ない」なんて乱暴なことを言っていても、実際にはすれ違わないようにいろいろとやっているのだろうと思います。でもそれが大人が意図をもって行事をおぜん立てするとかいうのではなく、子どもの日常生活を見ていて自然に出てくるものであるような気がします。

土井:どうも船戸さんはすぐに話を飛躍させるし、決めつけ方が極端なんだよね。だから誤解されやすいのよ。

船戸:そのことはいつも反省しています。

(つづく)
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by lumokurago | 2010-05-28 21:13 | 昔のミニコミ誌より

1970年7月北アルプス・蝶常念縦走

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 稜線に出る前の小さな雪渓
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 槍穂高連峰を臨む
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 槍穂の夕景
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 常念を目指して
 1970年7月北アルプス・蝶常念縦走
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by lumokurago | 2010-05-28 21:01 | 自然 (nature)