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南葛飾高校定時制の実践

 社説:君が代起立判決 現場での運用は柔軟に (毎日新聞)

 学校行事の君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令は、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと、最高裁が初めての判断を示した。卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に、定年後の再雇用を拒否された東京都立高校の元教諭が損害賠償などを求め訴えていた裁判だ。

 公立学校の教職員に対する君が代斉唱・起立をめぐっては、基本的人権としての19条と、「全体の奉仕者」として上司の命令に従わなければならない地方公務員の立場のどちらに重きを置くかにより、司法判断が分かれてきた。

 今回の裁判も1審の東京地裁は09年1月、職務命令は合憲としながら、定年前の一時期は命令に従っていたことから「裁量権の逸脱」として都に約210万円の支払いを命じた。だが、東京高裁は同10月、「都には広い裁量権がある」として元教諭の訴えを退けていた。

 元教諭は、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたと主張した。最高裁は「国歌の起立・斉唱行為は、式典における儀礼的な所作であり、職務命令は、元教諭の歴史観、世界観それ自体を否定するものではない」と、判断した。

 ただし、最高裁は「君が代の起立・斉唱行為には、敬意の表明の要素を含み、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」との考え方を初めて示した。その上で、職務命令をする場合は、その制約が許される程度の必要性や合理性があるかの観点から判断すべきだと述べた。

 命令の目的や内容、制約のあり方によっては、認められない場合もあり得ることを示したものだ。

 須藤正彦裁判官は、補足意見で「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ萎縮させるということであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきだ」と述べた。

 同感である。99年に国旗・国歌法が成立した際、過去の歴史に配慮して国旗・国歌の尊重を義務づける規定は盛り込まれなかった。教育現場の自治や裁量に委ねることが本来、望ましい姿ではないか。

 大阪府では、公立学校の式典で君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会に提出された。今後、違反した教職員の処分基準も定める方針という。最高裁判決は、過度のペナルティーを認めたものではない。その点を踏まえた議論が必要だ。

毎日新聞 2011年5月31日 2時30分

*****

 この「元教諭」申谷(さるや)雄二さんは都立南葛飾高校定時制(南葛)で長年に渡り、いろいろな事情で定時制に来た高校生と文字通り格闘してきた。在日の生徒が多いため朝鮮語の授業もある(李政美=イ・ジョンミさんはここの出身)。林竹二さんも竹内敏晴さんも授業をした。その実践は『授業による救い』(林竹二著・径書房)などに詳しい。

 私が面倒をみていた養護施設出身のKは中卒で施設をでて、寮つきの就職先に就職した。いまから思えば彼が定時制に通うなど土台無理な話だったのだが、そのころの私は希望に燃えていたので(?!)、どうしても彼を高校に入れたかった。(私が泊りボランティアをしていた)自立援助ホーム・憩いの家の寮母さんも「たとえ中退したとしても高校生活を少しでも経験しているとしていないじゃ全然違う」と言っていたし。

 それで南葛の申谷さんを訪ね、Kを入学させたのである。そのころの南葛には申谷さんだけでなく、すぐれた実践を行っている教員が集まっていた。彼らがKの面倒を見てくれた。

 しかしとても、とても、Kは定時制に通えるようなタマではなかった。仕事だって親切な社長さんや先輩に起こされ(朝、起きられない)、実の母親が給料日に来て給料を全額持っていってしまえば、前借りさせてもらい、ご飯をおごってもらって・・・ようやく仕事に行っていたのだから。

 思いだすといろいろなことがあった。申谷さんと一緒にKの部屋を訪ねたこともあった。でも無理なものは無理なんだよね。どんなにまわりが一生懸命になっても、本人に生きる力が育っていないのだもの。

 申谷さんにはほんとうにお世話になった。こんな力のある教員を再雇用しないなんて、いまはますます増えているであろう大変な境遇にある定時制高校生のためにものすごい損失である。

 都教委は日の丸君が代に頭を下げていれば、生徒を教育する力などどうでもいいのか。力のある教員ほど抵抗すると思うよ。

 大阪の橋下知事も日の丸君が代に頭を下げなければ即クビ! 管理強化するばかりで、生徒を育てる力のある教員はいらないらしい。そういう教員がいなくなれば、お上にへーこらする教員ばかりになり、お上は気持ちがいいだろうが、子どもたちはどうなるの? 子どもの教育なんかどうでもいい=見捨てるってことだぜ。
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by lumokurago | 2011-05-31 15:11 | 子ども・教育

『戦後思想を考える』 その4

第5章 管理社会化をめぐって

引用

 政治的支配、経済的搾取、社会的差別だけが日本の現代社会の骨格を支えているのではない。生活の管理化、教育の統制化、文化の画一化、思想の受動化、要するにすべての局面におけるおしきせ性がその骨格を支えている。そのおしきせ性に異を唱えることは、めぐりめぐって自分の生活設計に不利になるという構造がしつらえらている。

 軍事大国化に不安を持つものがいても、放任しておけばよい。もし彼らが現在のおしきせの生活・教育・文化・思想に従順であれば、軍事大国化の推進者にとっての不安はないのだ。

 それゆえ、逆にいえば、軍事大国化を批判するためには、生活・教育・文化・思想などのあらゆる面で、民衆のひとりびとりが、この管理の網の目をくいやぶることが、あるいは少なくともその囚われ人のままでいたくないという意識を持つことが必要である。

 (中略)

 労働者の団結だけではなく、民衆のひとりびとりの自立や、そのひとりびとりの人間のつながりや連帯がきわめて重要であるということ。さらには、人間と自然との共生的関係が、多くの人びとがいま考えている以上に大切だということ。そうしたことを認識と想像力のつばさのなかにおさめた思想が待ちのぞまれている。

*****

 日高六郎さんがこの本を書いた1980年に「おしきせ」「管理社会」と言っていることは、今日では生活・教育・文化・思想ほかすべての分野において、人間は「消費者」にさせられてしまったことだと言えるだろう。身近なところで私の仕事だった児童館・学童クラブという人間相手の仕事さえが、職員は「サービス提供者」、子どもや親は「消費者(お客様)」とされてしまい、そこにむかしあったような人間的な交流は生まれようがなくなってしまった。なぜならば対等でないのだから。

 人間相手の職場にまで「ニーズ」という言葉が入り込んできたのはいつごろだったのだろうか。私たちの仕事は決して「ニーズ」に答えるなどという無味乾燥なものではなかったのだ。同じ人間として子どもや親と交流し、お互いに育ち合っていたのだから。

 介護職にも同じことが言える。10年前から3年前まで7年間も来てくれていた母のヘルパーさんとは人間的な交流があった。大きな声では言えないが、介護保険では認められていないことや禁止されていることもしていたからである(一緒にお茶を飲んでおしゃべりするというような)。彼女は親戚のおばさんのようだった。

 いま来てくれているヘルパーさんは利用者宅でお茶をだされて断ったところ(お茶を飲んではいけないことになっている)、「年寄りの入れたお茶は汚いのか」と言われたという。あんなにつらかったことはないという。
 
 私たちはなぜここまで非人間的にならなければならないのか。管理されなければならないのか。

 もっと人間的に仕事をしたい。お茶ぐらい飲んでなにがいけないのか。子どもを預かることは「ニーズ」ではない。一緒に育ち合うのだ。
 
 枠をはずしたい。網を食い破りたい。囚われ人ではいたくない。一人ひとりが自立して対等な人間としてつながりたい。
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by lumokurago | 2011-05-30 17:29 | 本(book)

自分のことではまったく泣かないけど

 自慢じゃないけど、私はがんになっても、転移しても、余命1年と言われても、頭が真っ白になったこともないし、一度も泣いたことない。でもこのところ泣きつづけなのです(人前では泣かないが)。

 鶏が全部死んだとか、犬猫が取り残されたとか、牛がトラックに乗せられて売られるとか、田植えができないとか、ひまわりの種がまかれたとか・・・。

 福島の梅が汚染された。桃も梨もりんごもだろうな。いま、父も彼もいきていたころ、父の友人が送ってくれた梨の段ボール箱を壊しながら泣いていた。いまも涙が止まらない。

 私が泣くことないだろう。現地の人はどんなにつらいだろう。もう何十年も帰れない。これからどうするのだろう。
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by lumokurago | 2011-05-30 14:59 | 原発

放射能汚染水(殺人水)の海への流出を防げ(たんぽぽ舎)

時間が無いんだ!! 梅雨と台風の季節がやってきた
                        山崎久隆

 汚染拡大防止はもはや限界

 関東以南は梅雨入りし、台風二号が発生。今週末から来週にかけ、本州北部に再接近と予報されている。とうとう梅雨と台風の季節がやってきた。大量の雨は原発敷地内部の放射性物質を海に流し込んでしまうだろう。いまから汚染を止める土留めが作れるとも思えない。時間はどんどん経っていくのに有効な手段はほとんど取れてない。

 たとえ福島第一原発の中でどんなに献身的に被曝を覚悟で冷却作業を行っていても、大量の放射能漏れを止める有効な手段は資材も労働力も限られた中で実行できるはずも無い。どだい無理な注文を、安全な東京都内からただ指示を飛ばしているだけの対策本部。一分でも早く舞台から去って欲しい。かわりに放射能漏れ対策に特化した工程表をつくり、土木工事のできる作業員を動員して実行すべきだ。そのためには徹底した被曝管理を行う。まず最初に必要なのは、地上の汚染物を一気に片付ける「除染作業」だろう。実行可能かと言われれば無茶苦茶困難なのは事実だ。しかしこれをしなければ取り返しの付かない汚染を地下水系と海にもたらすことだけは間違いない。

 タンカーと使用済燃料輸送船を使って放射能液流出を防げ

 敷地内の建屋に溜まる汚染水は、集中廃棄物処理等に送り続けてきたが、予想されたとおり建屋が破損し始めている。プールではあるまいに何万トンもの水を支えられる強度など元々無い。単に防水コンクリートを使って補修をしただけの建物内部に流し込んでいるだけだ。そのうえ、もともと浮けば良いという強度しか無いメガフロートを持ってきたようだが、これも破損して沈む危険性が高い。台風の荒浪に耐えられると本気で思っているのだとしたら、もはや常軌を逸しているとしか言いようが無い。大量の汚染水を搭載したまま沈没したら、その汚染濃度は一気に太平洋に拡散し、東日本太平洋岸の沿岸漁業は壊滅、遠く北方四島から千島列島を経てアリューシャン、カナダ、米国、ハワイ、もう想像を絶する汚染の広がりとなるだろう。わずか520トンの高レベル廃液が4月1日から6日にかけて流出しただけで、4700兆ベクレルもの放射性物質を流出させたとされる。これにしても相当な過小評価だと思う(セシウムとヨウ素だけの線量であり、他の放射性物質が測定されていない。)が、今度は万トン単位の汚染廃液だ。一体何ベクレルとなるのか。地下に溜まっている汚染水は放射線量が高くて近づくことさえ出来ないという。

 この汚染水は再処理工場の高レベル放射性廃液なみの危険物だ。これを何ら遮蔽強度の無い建屋などに溜めることなど普通は考えられない。

 まず緊急で派遣できるのはタンカーだ。あまり大型だと専用港には入れないから、数万トンサイズを複数用意することだ。それ以外には使用済燃料輸送船だ。各原発から再処理工場に使用済燃料を運ぶために作られた。座礁や衝突による海洋汚染を防止するため、どちらもダブルハル構造になっているし、もともと液体を搭載する設計になっているタンカーと、火災に遭遇した場合に備え船倉を水没させることが出来る設計になっている使用済燃料輸送船が、このような危険な廃液をとりあえず貯蔵しておくためには使用可能な設備だ。直ちにタンカーと輸送船を動員し、廃液を原発敷地から一次撤去することが、汚染の流出を防ぐためにも、作業環境を考えても、緊急に必要なことだ。

 水留めのコンクリートと津波防壁を

 作業環境が改善されたら、すぐに建屋周辺を深さ20~30m掘り下げ、耐水コンクリートと矢板をつかった水溜のピットを作る。

 既に圧力容器はもとより格納容器も破壊され、建屋コンクリートも地震の影響と漏えいした燃料の成分で破壊が進んでいると見るべきだろう。そうでなければ5、6号機の地下に溜まっているような大量の地下水に放射能が混入するはずが無い。この汚染の拡大を止める方法は、いまのところ原発内部からは手の打ちようが無い。もはや手遅れだが冷却水の投入を止め、鉛を送り、使用済燃料の残留熱で溶かしてコーティングし、流出を減らすなど考えられる。しかし中に溜まっている汚染水をすぐに減らすことは出来ない。

 その前に、汚染水をなんとしても建屋から外に流出させてはならない。

 そこで、1~4号機の建屋周辺に深さ30mほどの鋼鉄製矢板を打ち込み、流出を簡易的に止め、その矢板に沿って溝を掘削してコンクリートを流し込み、さらにピットから地下水をくみ上げるポンプを出来るだけ多く設置することが重要だ。こうすれば地下水は施設の外から内側に流れるようになり、汚染流出を減らすことが出来るだろう。

 しかしこういう対策をしても、ひとたび津波が襲ってくればひとたまりも無いだろう。そのために、緊急工事で同時に津波防壁を作る必要がある。タービン建屋と海を物理的に隔離する必要があるのだ。

 同時に耐震補強も早急にしなければならない。これら工事を阻んでいるのが、大量の汚染水の存在とがれきの存在なのだから、まずその対策を最優先すべきなのだ。

*****

 いままでにやってきたことってもっとも幼稚な方法で、ただただ汚染水を増やしただけ。その汚染水もずっとずっとまえに後藤さん、小出さんともに、タンカーを持ってきてそこに移すように提案したのに、完全無視し、墓穴を掘った。そしてこの雨、梅雨入りである。早くまともな技術者や学者のいうことを聞いたほうがいいと思うよ。子どもでもわかる。
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by lumokurago | 2011-05-29 17:15 | 原発

武田邦彦氏の間違い

 松田まゆみさんが武田邦彦氏をブログにとりあげたら、コメントがたくさんついていました。私もこの人の正体がわからないので、ブログで紹介したことはありません。

 次のようにコメントしました。

*****

 武田氏が御用学者だったことは確かです。その後考えを変えて反対にまわったのかもしれませんが、彼の記述には間違いが多くあります。専門家として一般人に解説するとき、最も大切なのは事実を正確に伝えることです。私も素人ですから彼が間違ったことを言っていてもすべて間違いだと気づくわけではなく、だまされる可能性もあります。たとえ一つでも間違いを堂々と述べている学者は(言っていることの大部分が仮に正しくても)全体が信頼できません。

 例えばここに間違いの一例が指摘されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1162297186

*****

 松田さんの【追記】を読めば、武田氏が原発容認派であることがはっきりします。松田さん、ありがとうございました。
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by lumokurago | 2011-05-29 10:22 | 原発

『戦後思想を考える』 その3

第2章 体験をつたえるということ  省略

第3章 私のなかの「戦争」  省略

第4章 「滅公奉私」の時代

1、
 8月15日が近付くと<風化>が語られる。私は戦中世代として<風化>現象に批判を持つが、新しい発想と認識なしにただ<風化>を嘆いても不毛な時期にきている。敗戦の日から現在(注:1980年)に至るまでに日本社会は質的変化をとげた。それは日本が経済大国となり、第三世界との対立矛盾をかもしだす状況にふみこんだということである。

 私は1917年に生まれた。私の生きてきた60年余りを時期区分すると、第一に大正デモクラシーの時期、第二に軍国主義の時期、第三に敗戦以後の「民主」主義へ向かおうとする時期、第四に経済主義の時期ということになる。第一から第二との連続は明らかである。第二と第三とは非連続に見えるが目に見えない連続性に注意を払う必要がある。第三と第四は連続に見えるが、気づきにくい質的転換に私は注目したい。

2、
 1930年から1978年まで同一質問による日本人の意識調査の資料がある。もっとも変化の大きいものは1940年(軍国主義の時期)、<私生活>志向は6%、<公>志向は71%である。それが1976年には前者が61%、後者は18&である。後者の優位から前者の優位へと逆転するのは、1958年、経済主義の入口にさしかかったときである。

3、
 <滅私奉公>から<滅公奉私>へ。敗戦直後、<個の確立>や<労働者の権利>を主張し自由主義者やマルクス主義者が生まれた。彼らは大半が欧米に模範をとることになった。マルクス主義者にとっては社会主義は不動の政治目標であったが、既成の社会主義国にさまざまな矛盾があることが明らかになり、社会主義のイメージダウンが起こった。

 しかしいま、日本人の意識の質的な変化は、そうした思想上の論争点よりももっと深いところで生じている。高度経済成長がつくりだした現在の生活水準を維持拡大したいということが、ほとんどの日本人の願望となった。多くの人々が価値観の多様化を言うけれども、それは金を何に使うかという程度の選択であり、生活水準の維持拡大への執着という点では、価値観の画一化こそが進行している。

4、
 最近右傾化ということがいわれるが、<私生活優先>の若者たちが天皇のために一身を捧げる決心をする回路を設けることは政治技術上の難題である。たとえば金や快適生活だけが生き甲斐ではないという哲学を、民衆のなかに、新しい全体主義的な方向へつくっていくことがそのひとつであろう。そのさいの道具立てとして、元号や君が代等々がどの程度に利用できるかは未知数である。

 いまはだれが政権の座にのぼろうとも、国民大多数の<私生活優先>、生活水準「向上」の要求につきあわなければならない。しかし、今後無限のGNP増大と無限の生活水準の「向上」とが不可能であることを考えると、経済主義の時代の困難はこれからはじまるであろう。<滅公奉私>の極限状態には、大きな危険と困難がまちうけていると思う。

5、
 経済主義は、3つの大きな問題を浮上させた。

 第一に、それは人間と環境、とくに自然との関係を破壊した。いわゆる生態学的循環が破壊された。一口に「公害」というけれども、すでにそれはその文明論的意味まで問われている。

 第二に、人間と人間との関係を破壊した。人びとは、損か得か以外の尺度をほとんど失った。相互扶助の生活態度は弱まるばかりである。

 第三に、日本と発展途上国のあいだに、とくにアジアの諸国とのあいだに、潜在的顕在的矛盾をつくりだした。

 いま世界は、飽食している10億と、飢えている30億との人口で構成されている。この対立は、近代数百年の世界史の結末である。いつになればこの二つの世界に均衡がもたらされるだろうか。
 政府自民党はしわよせが経済力の弱い部分にあらわれることはやむをえないと考えている。今度節約の呼びかけが強まるだろうが、それが平等主義の立場に立つことができないという弱点がある。
 革新諸政党や労働組合は、依然として生活水準の向上、賃上げ要求等をつづけるだろう。とくに労組の場合、未組織労働者や臨時労働者にたいして、どのような平等主義を約束できるのか、できないのか。

 一方、ごく一部に、経済主義の枠を超えようとする発想が生まれている。「スモッグのなかでのビフテキよりも、青空の下での梅干を」。ある小さな労働組合では「質素であれ」という一項をかかげている。そこにはもちろん現在の大量消費社会とそのなかにまきこまれている労働者への批判がある。大企業労働者と臨時労働者の不平等への批判があり、第三世界の民衆とをへだてる巨大な経済的不平等にたいする強い批判がある。

 経済主義の時代のなかで、政府、労組ともに「生活」とか「文化」「生活の質」という言葉を新しい戦略地点としている。

ここから引用。
――文化や生活が戦略地点となるということは、現在の状況の特徴を示している。管理主義はいまやなによりも文化や生活の管理として力をふるっているからである。現在、市民にとって、文化や生活は上から、あるいは外から「あたえられるもの」になっている。おしきせ文化、おしきせ教育、おしきせ生活である。消費、情報、娯楽、余暇などもすべておしきせである。こうした受動性は政治的受動性と結びつく。いわゆる中流意識をささえているもの、中流意識が経済主義へ向かっていく同期は、こうした「おしきせ生活」を失いたくないという恐怖心である。「おしきせ生活」を失うことは下層階級への転落を意味する。

*****

 杉並区職労もいつもいつも賃上げ要求をしていました。私は「労働組合なら賃上げ」というなんの疑問ももたない決まりきったやり方に反対で「質素な暮らし」を訴えたかったけど、わかってもらえないと思ったので言えませんでした。(暮らせるだけあれば)「お金がいらない」なんて変人ですよね。でも生まれてから一度も質素な暮らしができる以上のお金がほしいと思ったことはありません。
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by lumokurago | 2011-05-28 17:53 | 本(book)

こんなものいらねえ

 いらねえシリーズ。リニアモーターカー(建設許可がでたらしい)。東京オリンピック(石原がまだあきらめない)。もともと絶対いらないけど、さらに原発事故があったのになにも学ばない、考え直さない馬鹿。だいたいそんな金、もう日本にはなくなるんだよ。原発を収束させるためにどれほどの金がかかると思っているのか。賠償金にどれほどの金がかかると思っているのか。日本なんて金の面でも破滅するんだよ。

 1~3号機がメルトダウンしてチャイナシンドローム状態。これから地下水が汚染し、海が汚染する。炉心は溶け落ちてもう冷やしようがないし、汚染を止めようがない。爆発よりはましかもしれないが、いま多くの人が死なずとも、徐々に徐々にがんが増えていく。いずれは人類滅亡。

 そうしたら何百万年後、地球は人類登場まえのの美しい自然に戻るのだ。それを夢見ている。
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by lumokurago | 2011-05-28 09:49 | 原発

田代島の猫たち

 猫好きなかたへ

 猫の島 80匹たくましく(毎日新聞)

 猫島万歳楽 田代島の猫たち

 「ペット助けて」愛猫家ら活動 南相馬 毎日新聞
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by lumokurago | 2011-05-27 16:53 | ねこと鳥 (cats&birds)

異端の科学者・異端の医者

 いま、40年間も原発をやめさせるために原子力の研究をしてきた小出裕章氏(や熊取6人組)が反原発の星となっています。彼らがあんなにがんばったのに原発をやめさせることはできなかったのは、おもに多数派である産官学の原子力ムラのためでした。金儲けしか頭にない人間は人の命などなんとも思っておらず、自分たちも信じていないのに(先日の動画の斑目委員長のセリフ「原発が安全なわけない。あんな怪物」)「原発は絶対に安全」といいつづけてきたわけです。なにかにそっくりではありませんか。

 そうです。医療です。がんの早期発見理論は破たんしているにもかかわらず、ますます推奨されるがん検診。必要のない薬を売るために、病気でもないのに病気のレッテルを貼ろうとして行われる健康診断。ハイパーレスキュー隊と同じほど被ばくするCT検査も日常茶飯に行われています(ちょっと頭を打っただけの健康な子どもにも1回のCTで20ミリシーベルトを超えて被ばくさせています)。そして毒性が強く命を縮める抗がん剤が延命すると言いはっている。

 Dr.Kが20年以上がんばっているのに、やはりやめさせることはできません。それも少数派の雑誌ではなく文藝春秋という多数派の雑誌に書き続けているのに。本もたくさん出してきたのに(七つ森書店とか八月書館とかかもがわ出版ではありません)。これも産官学癒着の金儲け大好きな医療ムラの結束が強固だからです。多数派はお金が大好き。(しかも日本の医者は勉強してない。それはおもに英語ができないため最新の知見の載っている英語の論文が読めないからだとDr.Kは言う。だから日本の医療は欧米に比べ非常に程度が低い)。

 原発事故は被害がわかりやすい。だれでもこれは大変だと思う。子どもを守らなくちゃと思う。

 見えにくいけれど医療の世界も同じです。手術も抗がん剤治療も、そしてハイパーレスキュー隊と同じくらい被ばくするCT検査も被害をつくりだしているのです。医療として行われる行為は、患者を治すためにやられるのでなければ犯罪行為です。体を切り刻む、毒を飲ませる(抗がん剤のみならずすべての薬には副作用がある)、被ばくさせる。これでほんとうに治しているのか? むしろ有害なのでは? 医療の世界では医者も患者も病気を治すためにやっていると錯覚させられているので、気づきにくいだけです。例えばがんで手術して後遺症で苦しんでも、「がんだったんだから仕方ない」と思いこんでしまう。しかし、手術で果たしてがんは治ったのか? それに人間、病気になると不安を煽られ目が曇らされてしまいます。だから真実が見えにくく、科学的根拠がないのに宗教のように医療を信仰しています(わずかですが必要で役に立つ医療もあります)。
 
 ちょっと頭を打っただけで健康な子どもを原発事故以上に被ばくさせるCTから、子どもを守らなくちゃ。放射線被ばくに敏感になるなら、医療の持つ隠された欺瞞性にも敏感になりましょう。そして無用で有害な医療を拒否しましょう。
 
  近藤医師の本を読んで勉強してください。異端の科学者が希望の星になったいま、異端の医者にも目を向けてください。

 推薦図書  『成人病の真実』
       『患者よがんと闘うな』
       『あなたの癌はがんもどき』

 医者不足なんて大ウソで、医者や製薬会社のために患者がつくりだされているのです。有害無益な医療をやめ、必要な医療だけにすれば、医者は少数精鋭でよくなり医療費も激減するのです。原子力発電が一番安いなんて大ウソだった。小出さんが「絶対に使えるようにはならない」と言うもんじゅに1兆円も無駄遣いしてしまった。医療の世界でも原子力の世界でも、金に群がる人びとに税金がぼったくられているのです。

 拙著もぜひお読みください。『乳がん 後悔しない治療』径書房
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by lumokurago | 2011-05-27 09:32 | Dr.K関連記事

慶応大学医学部専任講師 近藤誠(現代の肖像)

 最近のDr .Kの患者・ファンのみなさまのために(じつは私も読んでおらず、去年朝日新聞記者の取材を受けた際、送ってもらいました)、著者の米本和広氏の許可を得て、掲載させていただきます。米本さん、どうもありがとうございます。2004年のアエラの記事です。ほんとうは写真がすてきだとのことですが、写真は手に入れることができませんでした。

[発行日]=2004年7月12日

 慶応大学医学部専任講師 近藤誠(現代の肖像)

 「白い巨塔」の中の孤独
 著書『患者よ、がんと闘うな』で論争を巻き起こし、医学界の鬼っ子に。
 「抗癌剤は効かない」「手術偏重に異議あり」「癌検診は有害だ」
 「常識」を覆す発言に医師は反発、マスコミが飛びつき、患者は右往左往。
 癌と闘う気を削ぐ、患者をミスリードする扇動家--批判はついて回る。
 しかし彼は言うのだ。「すべてを疑え。私の言葉も疑え」
 (文=米本和広、写真=鈴木愛子)
 
 近藤誠(こんどうまこと)には孤独の影がつきまとう。

 学内に友人と呼べる友人は一人もいないし、それどころか廊下ですれ違うと目をそらす同僚すらいる。

 もともと近藤は将来を嘱望されたエリートだった。1973年に慶応大学医学部をトップの成績で卒業し、放射線科入局6年後には早くもアメリカ留学を命じられている。ノーベル賞物理学者の故湯川秀樹が予言したパイ中間子の、癌患者への照射実験がテーマだった。今となってはわからないが、教授は近藤にキャリアを積ませたかったのだろう。

 実際、近藤は帰国して3年後の83年には専任講師に昇任している。臨床同期でもっとも早い出世であった。

 「英語の論文数も多く、医学部の同級生(100人)の中では近藤が一番先に教授になるだろうと囁かやれていた」(慶応同期生の一人)

 だが、それ以後の出世は“塩漬け”。35歳から55歳の今日まで講師のままである。

 慶応病院の裏手にある昭和初期の古びた建物の、狭くて埃っぽい階段を汗をかきながらあがっていくと、4階に彼の研究室がある。薄汚れたドアの外に立つと、近藤が好きだという哀調を帯びたオペラが聞こえてくる。

 資料の置き場にも困る狭い空間で、廃棄処分にしてもいいようなギィギィ鳴る椅子に座りながら、近藤はインタビューにときに大笑いしながら快活に答えた。表情に鬱屈したところは微塵もない。だが、古色蒼然とした建物と廊下に流れるオペラの音色のコントラストに、どうしても孤独の影を感じてしまう。

 近藤はいつのまにか孤独にさせられたわけではない。自らの意志で、「白い巨塔」に背を向け、孤独の道を選んだのだ。

 それは87年の“事件”がきっかけとなった。

 アメリカで最先端の癌治療を目の当たりにした若き近藤は、癌と闘う決意を新たに、悪性リンパ腫など様々な癌治療に取り組むとともに、タブーとされていた患者への癌告知を試み、その一方で欧米で一般的になっていた「乳房温存療法」の普及に精力的に取り組んだ。

 温存療法は乳房をごく狭い範囲でくりぬき、放射線を照射するもので、それまでの筋肉ごと乳房を切り取ってしまうハルステッド術に比べ、後遺症は少なく、乳房を失うことがない点で画期的な治療方法だった。ところが、日本では全くといっていいほど知られておらず、東大や慶応など外科の名門にあってすら、欧米では姿を消した時代遅れのハルステッドが主流だった。

 近藤はこの状況を何とか変え、温存療法を広めようと考えた。そんなとき、自分の姉の温存療法を手がけることになった。執刀を頼んだのは医学部同期の雨宮厚(現大船中央病院外科部長)。慶応の医局にも属さず慶応病院の勤務医でもなかったが、アメリカで温存手術を多数経験していた。雨宮による姉の手術は見事な出来ばえだった。83年のことである。

 近藤は雨宮と組んで、温存療法の実績を積むことによって、世に知らしめようと考えた。だが、現実には84年に2人、85年に1人、86年に3人という程度でしかなかった。今でもそうだが、癌の初診で放射線科の門を叩く人はほとんどいない。少数の症例でも、学会や、学内誌「慶応外科」を含め医学誌で発表するように努めたが、反応は全くなかった。乳癌患者が多数訪れる慶応の外科医に直接「一緒にやらないか」と申し込んだこともあったが、ふんと横を向かれただけだった。

 近藤は焦りにも似た気持ちに駆られた。〈このままの状態が続けば日本の女性の乳房は抉り取られるだけだ〉。そこで、温存とハルステッドの術後の比較写真と資料をいつもカバンに入れ、事あるごとに知人や、つてをたどって新聞記者に温存療法の存在を伝えた。近藤が笑いながら当時を振り返る。

 「あの頃は、飲み屋に行けばそこの従業員にも写真を見せながら説明し、笑われたもんですよ。でも、それが縁で受診に来た人もいた」

 近藤の運命を変える“事件”は、看護実習生からの情報によって発覚した。

 「新聞記事で乳房温存療法を知った患者さんが近藤先生の受診を頼んだそうですが、受付で外科に回され、切除手術を受けることになっています。その患者さんは担当医や看護婦さんに『近藤先生に聞いてくれ』と頼んでいました」「どうも、近藤先生が進行度の高い癌だから温存療法は無理と判断されたと思っていらっしゃるみたいで、手術することに同意されたようです。この話、ご存じですか」

 近藤は驚き、やがて怒りが湧いてきた。〈これは犯罪じゃないか〉

 看護実習生に連絡役を頼み、患者の希望通り温存療法を施すことができたが、この後も同じようなケースが生じることが予想された。しかし、一放射線科医が巨大医局に怒鳴りこんでも解決することではなかった。実績を積み、情報を発信していくしかなかった。

 深刻な選択を迫られたのは翌年のことである。「文芸春秋」から原稿執筆の依頼があり、手始めに乳癌治療のことを書いてみないかと言われたときだった。

 乳房温存療法を紹介し、「東大など日本の大学病院ならどこでも乳房を切除している。治癒率は同じなのに、勝手に切るのは犯罪行為ではないか」と書いても、慶応の2文字さえ入れなければ大きな波風が立つことはないだろう。しかし、慶応医師の肩書で執筆すれば慶応の外科でも温存療法をやっていると読者に思われてしまう。そうなれば、受付でまた勝手に外科に回され、乳房を失ってしまう女性が出るかもしれない。それに東大の名前を入れて慶応を書かないのは不公平だ。

 だが「東大、慶応など」と書けば、出世の目はなくなり講師のままで終わる――。

 こう考えていけば、どんなに良心的な医者であっても「出世か患者か」という二律背反の選択肢にぶつかり、悩むことになる。だが、近藤の思考回路は違った。

 〈社会に広く情報を公開していくにはどちらがいいだろうか。教授になれば社会的発言力は増すが、他科との関係など様々な制約を受けることになる。うーん、社会に発言していくには講師程度の身分のほうがちょうどいいか〉

 この選択によって、近藤は抗癌剤の危険性、外科手術の危うさ、癌検診の有害性などについて次々と発言し、医学界に大論争を巻き起こしていくことになる。

 近藤は何か行動を起こすときには常にシミュレーションして考える。「白い巨塔」からの激しい怒りは予測できた。もっとも悩んだのは次のことだった。

 〈最大の問題は「孤独」になるということだ。それにぼくは耐えられるだろうか〉

 ときに、近藤は39歳。孤独についてどう考えたか。

 「誰か一人ぐらい、ぼくが書いたものを読んで良かった、ぼくと出会って良かったと思う人が出てくるのではないか。そうであれば生きてきた意味があるのではないかと考えました」

 学内からの「反発」はすぐにやってきた。「文芸春秋」発売日の翌日のことだ。狭くて古びた階段をダッダッと駆け上がってくる音が聞こえてきた。放射線科の教授だった。

 「外科のA先生(教授)が犯罪行為とはどういうことだ!と怒っているぞ」

 A教授は日本外科学会の会長であり、乳癌外科の専門医。つまり「白い巨塔」のドンである。

 その日以降、近藤が予想した通り、周囲の風景は一変した。

 まず、外科や内科などから患者紹介がなくなった。放射線治療が必要な他科の患者は近藤以外(水曜日以外)の放射線科医に回された。意図はどうあれ、兵糧攻めだ。昨日まで話していた内科や外科の医者も、近藤と顔を合わせるや、まるで化け物でも見たかのように顔を背け、急にタッタッと小走りになって通り過ぎていった。

 学外の「白い巨塔」からも一斉に反発の声があがった。温存療法を支持する市民団体の電話相談をしていた女性が話す。

 「外科のお医者さんから脅迫めいた電話が殺到しました。切除手術の良さとか温存だと再発率が高いとか、延々としゃべり続ける。怖かったですよ」

 しかし、学内外で孤立していくのと反比例するように近藤の受診を希望する乳癌患者は急激に増加した。この10年間に執刀医の雨宮とのコンビで温存療法を施した患者は3000人、実に日本の乳癌患者の1%にも及ぶ。

 近藤は孤立したが、患者に支えられた。そして、『がん専門医よ、真実を語れ』『ぼくがすすめるがん治療』などを出版し、社会に向かって情報を発信し続けた。

 大論争となったのは『患者よ、がんと闘うな』である。表題が刺激的であったこともあって、「白い巨塔」からは一斉に反発の声があがった。だが、近藤は癌治療を拒否せよと呼びかけたわけではない。東京の癌研病院に勤務したこともある名取春彦は、著書で次のように述べている。

 「近藤誠の主張は、『患者よ、がんと闘うな』で十分説明されている。それは(1)抗がん剤の使いすぎ、(2)手術のやりすぎ、(3)がん検診の行きすぎの三つに絞ることができる。いずれも正論である」

 名取は、こうした正論は以前から言われていたことだが、世間から注目されるためには「穏健な言葉ではなく、挑発的な言葉でセンセーショナルを起こさなければならなかったことも忘れてならない」と分析している。

 病理医の並木恒夫(日本病理研究所副所長)もこう語る。

 「近藤さんの本は多数読んでいるが、事実において間違った記述は私の知る限りなかった」

 近藤批判に根拠があるとすれば、一部の患者が近藤の主張を曲解したことが大きい。ある病院の乳癌患者会の一人が話す。

 「リンパ節切除は多くの場合必要ないという部分だけを読んでか、リンパがばんばんに腫れているのに、手術はノーという。そんな患者が来たらお医者さんは怒りますよ。それで近藤先生の本はデタラメが書いてあると思い込んでしまう」

 近藤に診察してもらったことのある女性はこんな体験をしている。

 「高田馬場にある病院で近藤先生のことを話したら、『なぜ、あんなやつのところにかかっていたんだ』と怒鳴られた。結局、別の病院で治療を受けることになったけど、そこでは近藤先生と今後かかわらないという念書を書かされました」

 抗癌剤も手術もノーと言われれば医者は感情的になり、近藤は患者をたぶらかす扇動家だと思う。

 不幸なことである。なぜなら、近藤は100年以上も前のマルクスのように、こう書いているのだから。

 「すべてを疑え。私の言葉も疑え」(『ぼくがすすめるがん治療』)

 慶応の2文字を入れたあのときから、はや16年。大学内での近藤の位置は全く変わっていない。他科からの患者は相変わらず回されないし、近藤が診察した患者で手術が必要な患者は他の病院を紹介せざるを得ない。

 孤独な生活スタイルも何一つ変わっていない。

 水曜日の診察、それ以外の曜日の授業や治療を除けば、恐ろしく平凡である。朝5時に起き、犬の散歩をして、7時に古びた研究室に入る。読者への手紙を書き、原稿を執筆し、一段落するとオペラを聞きながら海外の論文を読み、そして夕方には家に戻る。

 慶応の若い放射線科医、川口修は「歴史的経緯は知らないが」と断ったうえで、近藤への不満を語った。

 「先生はよく勉強もしているし、経験も豊富です。チームをつくって勉強会なんか組織してくれてもいいのに、やろうとしない。酒に誘われたこともないし」

 この話を近藤にぶつけると、眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。

 医学部同期の飯野病院(東京都調布市)院長の飯野孝一が、近藤から聞いたという話をしてくれた。

 「チームをつくったりすると、自分のシンパとして学内で反発を受ける。今のままでいいんだと話していた」

 こんなエピソードもある。92年頃のことだ。近藤が博士論文を指導した学生がいた。論文の末尾に近藤への謝辞を書いていたことから、不合格にされそうになったというのだ。この話にはオチがあり、「結局、論文はパスしたが、その学生がある教授の子どもでなければ不合格になっていたでしょう」(同期生の一人)。

 近藤はよく食べよく酒を飲む。決して口にしないが、若い医師を酒席に誘わないのは、彼らに迷惑がかかるのを恐れてのことだろう。

 そんな近藤が昨年末から落ち込んでいる。唯一チームを組んできた雨宮のことだった。一人の患者が持ち込んだ領収書から、彼が長年にわたって医療費の不正請求をしていた事実を知ってしまったからだ。検査づけの診療スタイルはそれ以前から気づいていたが、改めて調べてみると、これまで執刀していたのが雨宮本人ではなく8割近くを部下にやらせていたことなどもわかった。

 「雨宮に確かめたところ、否定しなかった。すべての患者さんに返金するように言ったのに、なかなか実行しない。いい医療をやろうと頑張ってきたのに」

 と近藤は寂しそうに話す。

 その後、病院は患者の一部だけに返金をはじめたが、苦悩の末、雨宮と決別し、患者を別の病院に紹介することにした。また孤独の道を選び、ついにひとりぼっちになってしまった。

 近藤の診察を受けた患者からは、「ぶっきらぼうで冷たい」という不満も聞かれる。治療の選択肢とそれぞれのメリット・デメリットを示すと、質問がない限り、黙ってしまうというのだ。誘導せず、患者と一緒に病を考えたいと思うから自分の方から積極的に発言しない。それが冷たく見えてしまうのだろう。

 実は近藤誠はよく涙を流す。患者の間で「泣き虫まこちゃん」と言われているほどだ。後輩が立派な仕事をしたと言っては泣き、亡くなった患者さんの話をすると泣く。私が取材しているときも、雨宮のことを質問すると、涙を浮かべた。

 最近、近藤はホスピス病院に入った患者たちを見舞っている。同行したとき、その女性(40)は近藤に今朝作ったという俳句を渡しながら、私にこう語りかけた。

 「近藤先生はとてもやさしいんですよ。元気がいいときには水曜日の外来に行って、オペラの話をする。それが今の私の楽しみです」

 余命幾ばくもない彼女の澄んだ目が印象的だった。

 2カ月後、その人は亡くなった。そのことを教えてくれたとき、近藤は涙を浮かべていた。(文中敬称略)

 
 米本和広 1950年、島根県生まれ。横浜市立大学卒業後、繊研新聞の記者を経てフリーに。著書に『洗脳の楽園――ヤマギシ会という悲劇』『カルトの子』など。
 
 ■こんどう・まこと
 1948年 東京都生まれ。
   73年 慶応大学医学部を卒業後、同大の放射線科に入局。
   79年 アメリカに留学。
   83年 帰国して乳房温存療法を開始。専任講師に昇任。
   88年 初の著書『がん最前線に異状あり――偽りのときに終りを』を発表。
       「文芸春秋」6月号に「乳ガンは切らずに治る」を発表。その後、次々と情報を発信していく。
   90年 『乳ガン治療・あなたの選択――乳房温存療法のすべて』出版。
   94年 『患者と語るガンの再発・転移』『抗がん剤の副作用がわかる本』出版。
   95年 『ぼくがうけたいがん治療――信じる医療から考える医療へ』出版。
       医学鑑定に取り組む「医療事故調査会」の発足にかかわる。
   96年 『患者よ、がんと闘うな』がベストセラーに。大論争が巻き起こる。
   97年 『「がんと闘うな」論争集――患者・医者関係を見直すために』出版。
   98年 『なぜ、ぼくはがん治療医になったのか』出版。
 2000年 『本音で語る! よくない治療ダメな医者』『医原病――「医療信仰」が病気をつくりだしている』出版。
   02年 『成人病の真実』出版。
   03年 『医療ミス――被害者から学ぶ解決策』(共著)出版。
 
 【写真説明】
 医学は進歩してきたと言われているが、癌による死者の数は増える一方である。医療事故も後を絶たない。近藤は近代医学の意義を自分に問いかける。
 印税の一部を市民団体に寄付してしまう。金銭には無頓着だ。いまだ住まいは狭い賃貸マンション。愛犬が孤独を救ってくれているという。
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by lumokurago | 2011-05-26 16:08 | Dr.K関連記事