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八重山教科書:石垣・与那国、育鵬社採択

八重山教科書:石垣・与那国、育鵬社採択   沖縄タイムス8.27

 【八重山】八重山地区の中学校教科書を決める石垣市、与那国町の教育委員会が26日、両市町で開かれ、ともに「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版「新しいみんなの公民」を採択した。竹富町は27日に協議、育鵬社版を不採択する見通し。県教委は結論の異なる3市町に再協議を求める構えだが、石垣、与那国は拒否も辞さない姿勢であることから「協議会の機能放棄ではないか」と不信感を示している。採択期限は31日。

 石垣市、与那国町とも会議は公開で行われた。約40人の市民らが傍聴した石垣市では議論がまとまらず、全5委員が異例の投票を実施、3対2の賛成多数で採択した。与那国町は協議の上、全会一致で決めた。

 一方、竹富町の慶田盛安三教育長ら複数の委員は「戦争する国をつくるようにも受け取れる」とし、育鵬社版を採択しない構えだ。

 だが、教科書の選定法を定めた「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」は「採択地区内の市町村教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」としている。

 八重山採択地区協議会は協議会と3市町教委で合意が得られなかった場合、県の指導・助言の下に再度、協議できると規約で定めている。しかし、同会長の玉津博克・石垣市教育長は「必ず再協議するとは書いていない」、崎原用能与那国町教育長も「町は既に意思を決めた」と述べ、再協議を拒否する姿勢だ。

 竹富町の慶田盛教育長は「再協議しないのはおかしい。玉津協議会長の会長としての責務だ」と批判。27日の会議では、協議会に提出された現職教諭ら調査員の9教科15種目の報告書も示し、推薦された東京書籍版の採択を見込んでいる。

 玉津会長らの再協議に否定的な姿勢に、県義務教育課の担当者は「ありえない。協議会の機能を放棄したことにならないか。協議の実施については、委員も含めた上で決めるべきだ」と困惑。「採択は各市町村委員会の権限で行われるもの。協議会地区内は同一(の教科書)にしないといけない」とあらためて強調した。

 教科書採択の最終期限は8月31日と法律で定められており、文部科学省教科書課は「期限をすぎた例は聞いたことがない」としている。

*****

 【八重山】竹富町教育委員会(慶田盛安三教育長)は27日、来年度から中学校の社会科公民分野で使う教科書について、石垣市や与那国町と構成する協議会の事前答申にあった「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版「新しいみんなの公民」の不採択を決めた。不採択の緊急動議が委員から出た。東京書籍「新しい社会公民」を採択した。
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by lumokurago | 2011-08-27 12:30 | 沖縄タイムス

八重山で育鵬社公民教科書を採択

 沖縄タイムスです。原発事故もひどいけど、とうとう沖縄で「つくる会」が・・・!

*****

 与那国町教育委員会は26日午後、臨時会を開き、来年度から中学校で使う公民教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版公民教科書を採択した。

 石垣市教委も同日、臨時会を開き、同教科書を採択する見通し。
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by lumokurago | 2011-08-26 17:53 | 沖縄タイムス

頑張り主義を捨てようよ(加藤登紀子)

 頑張り主義を捨てようよ(加藤登紀子)  朝日新聞2002.1.5 (ラミスさんの記事と同日)

 「あんたなあ、水は動くから生きているんだよ。動かん水は死ぬ」

 琵琶湖で今も漁師をしている男が言った。

 「昔の琵琶湖は水量が季節で変化してたんやが、今は川に水門つけて調節してるんよ。それで湖の水が動かんようになったんや。死んだ水で魚が生きられるはずがないやろ!」

 ヨシのはえていた内湖も干拓して田んぼに変えた。川にはすべてコンクリートをぶちこんだ。湖岸は埋め立てて遊歩道をつけた。結果は死んだ水?!

 あーあ、なんとまあ日本人は頑張ってきたもんだ。

 人間も「動かん水」の中で今、死にそうじゃない?

 窓のないビル、歩かなくてもいい動く歩道、退屈な密室の会議、自動センサーの水道やトイレ、会話のいらないパソコン・・・。体も心も動いていない今の日本人って、本当に生きてるの?

 もともと世界に類を見ない自然に恵まれてきた日本。周りには美しい風景があり、きめ細かい知恵と習慣を持ち、何より自然の風物を愛してきた日本人。

 この第一の価値を、無残にたたきのめした数十年間の「右肩上がり」の日本、大きな勘違い、してたね。かえすがえすも残念だ。

 幸い「頑張って日本を変えよう」の第二の価値はつまづいた。私たちに至福をもたらすといわれたダムも、曲がりくねらない川も、埋め立てだらけの海岸も、がっくりくるような風景を増やしただけで、大きな負債と自然への多大な負荷を残したまま無用の長物になろうとしている。

 犠牲になったのは、鳥や魚だけじゃないと、だれもが気づき始めた。今こそ変な頑張り主義を捨て、第一の価値をとり戻して出直すときだと思う。

 まだまだ日本も捨てたもんじゃない。職人の技も自然の教えも生きている。世界の環境先進国になることだって夢じゃないと思うし、それしか生き残れる道はないと思う。

 本当にハンサムな日本人になろうよ。生きている水の中でのびのびと手足を動かして・・・。

 アメニモヌレズ カゼニモフカレズ

 アツサ サムサノクルシミモシラズ

 アタエラレタショクモツヲ セカイジュウノ ウミト モリヲ クイチラシテイルコトニ キヅキモシナイ

 ソンナ ニッポンジンニ

 ワタシハ ナリタクナイ

*****

 この記事から9年後、原発事故が起きてしまった。取り返しがつかない。それなのにまだ、原発をつづけると首相候補らは言っている。なんてバカなんだ。今度事故が起こったら日本は完全に破滅(いまでも破滅だけど)。自分だけ外国に逃げるつもりなのか。それですむと思っているのか。汚染は世界中に拡がるというのに。どこまで自分勝手なのだ。なんと無責任なのだろう。かなしいなあ。
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by lumokurago | 2011-08-26 15:43 | 社会(society)

今日のチビと兄ちゃん

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 兄ちゃんはどんどん大きくなるけど、チビはあまり大きくなりません。メスだからかな? 兄ちゃんは茶色が少し混ざっていますが、チビはグレーのみ。
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by lumokurago | 2011-08-25 18:36 | ねこと鳥 (cats&birds)

ガラクタ経済から脱却を (ダグラス・ラミス)

 ガラクタ経済から脱却を (ダグラス・ラミス) 朝日新聞2002.1.5

 不況が続く中で、日本では人々がモノを買わなくなったことが問題になっている。現在、ほとんどの日本人は、本当の意味での必要品は手に入れている。それなのに、もっと買わなければ不景気は直らない、と経済学者や政治家はいうのである。経済制度を救うために、必要ではないもの、つまりガラクタ、を買わなければならないということだ。

 この「ガラクタ原則」は現在の経済制度の基本的な逆説を指している。つまり、経済制度は本来私たちに生活の必要品を提供するためにあるはずなのに、この経済制度をうまく機能させるために私たちは必要でも欲しくもないガラクタを買う義務がある、といわれているのだ。そして、このガラクタを買うお金を稼ぐために、私たちは残業しなければならないし、このガラクタを生産するためにだれかが長時間労働に苦しまなければならない。

 もちろん、このガラクタを生産するためには資源を必要以上に消費することになるし。環境をますます汚染したり、破壊したりすることにもなる。さらに、このガラクタ消費経済を守ために、「普通の国」になって軍事力を持たなければならないし、戦争もしなければならないらしい。

 私たちは、経済が発展すれば労働の合理化によって労働時間は短くなり、余暇が増えると期待させられてきた。しかし実際は、世界の最も成功してきた(といわれている)経済大国、米国と日本での労働時間は、国の経済が成長すればするほど長くなり、不景気の時だけ短くなる。こうした長時間労働が、過労死をはじめ、家庭生活、市民社会、政治文化、そして文化そのものに破壊的な影響を与えていることは明白だ。

 「もっともっと消費をせよ」という人は、日本社会の問題を分かっていない。問題は、より質素な消費文化になっても崩れない経済制度に変えることは可能か、ということだ。

 言い換えれば、消費は今後、経るに決まっているが、それが「質素」になるか「貧乏」になるか、ということだ。

 日本列島に住んでいた人々の本来の考え方、感じ方、付き合い方、楽しみ方、価値観が消費優先の産業社会のモラルにとって代わられ、現在の制度になった。その後も激しい変化は続き、それが今の段階で止まることはないだろう。しかし、こんな制度がこのまま長く続くわけがない。

 問題は、人々がそのことを理解して、意識的に、意図的にそれを変えるか、それとも相変わらず、残業ーガラクター残業の悪循環を最後の破滅まで続けるのかということだ。

 今、日本経済はマイナス成長になっている。それは危機でもあるが、歴史的な大チャンスでもある。マイナス成長を「行きたい所へ行けない」というものではなく、「別のもっといい所へ行く」というものに、つまり、発展が止まったのではなく、「対抗発展」が始まった、というふうに考えたらどうだろうか。

 「消費せよ」といくらいわれても、私たちは、もう、おいそれとは踊れないのである。

*****

 私がまだ児童館に勤めていた2004年頃、幼児のお母さんはこう言っていた。「父親は毎日終電。母子家庭のようなものです」 過労死が問題となるほどの長時間労働で、いったい何を作っているのか。作ったものは売らなければならない。「あれはすてき、性能がよい。ぜひ買え。買わなければ流行おくれだ」といまだに消費欲があおられている。まだ踊らされている私たち。

 私が学童クラブの仕事に就いた1970年代後半、いまほど物はあふれていなかった(それでももう十分すぎるほどだった)。「貧しい」と言われる母子家庭もいまほどかつかつしていなかった。「貧しい」なりに十分幸せに暮らしていた。時間もたくさんあった。社会全体に「物」が(いまよりは)少なかったから、買わされる物も少なく、お金もそれほどいらなかったのであろう。

 1980年頃、フィリピン人のお母さんが「子どもをサッカークラブに入れたら、ユニフォーム、ボールなどで3万円もかかった。フィリピンではこんなことはとても考えられない」と言っていた。彼女の日本人の夫は亡くなり、彼女ははじめ日本語もできず、大変な苦労をしたはずなのに、「自分は日本で母子家庭やってるが、お金が余っている」と言っていた。

 昔(1970年代後半)と今を比べると、親も子も昔のほうが絶対に幸せだったと確信している。物はこれ以上いらない。人を幸せにするのは物ではない。それなのに(財界はもちろんだが)政治家もマスコミもいまだに(原発事故があってもなおである)経済成長は必要だと言いふらしている。気が狂っているとしか思えない。不景気でよい。不景気のなか、どうやって社会を維持していくのか、それを考えることに知恵を絞らなければならない。
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by lumokurago | 2011-08-25 16:38 | 社会(society)

”よそ行き”で接する家族

 すれちがう親と子<6> 読売新聞 2000年日付不明

 ”よそ行き”で接する家族  互いに疲れ、外で“発散”増える

 「どうして先生はウチの子の悪口ばかり言うんですか! そんなことしてない、って言ってましたよ」

 小学2年生の直人君(仮名)の行動について、担任教師が電話で相談すると、母親は怒りだしたという。

 中部地方の港町にある公立小学校。サッカー少年の直人君はスポーツ少年団で活躍、学業面も優秀で、クラスの人気者だった。しかし、振る舞いがだんだんとわがままになり、遊んでいても自分に有利なようにルールを変えたり、気に入らないと手も出すようになった。

 授業中も「つまんな~い」と、他の子と一緒に教室を飛び出してしまう。それでもクラスメートから慕われてはいたが、「けとばされた」「小突かれた」などの“被害”が担任の耳にも届いたため、注意を促そうと家に連絡を取った矢先の母親の反応だった。

 直人君への対応は学年会議でも議題になった。別のクラスの担任の由美子教諭(29)(仮名)にも似たような経験があり、「家ではいい子でいる分、学校で発散する子が増えてきた。学校での出来事を保護者に伝えると、家での様子や子どもの言い分を信じて冷静に聞いてもらえないことが多い」とため息をつく。

  □  □  □

 「親子がよそ行きでしか向き合っていない。親は本当のわが子を知らない」と、元幼稚園長で武蔵野短大客員教授の清水エミ子さん(70)(幼児教育)も指摘する。そんな親子が増えているような気がするという。

 「いい子でいることを子どもに求めるには、自分もいい母親を演じ続けなければならない。これではお互いに疲れて、いつか発散せざるをえなくなってしまいます」

 親ばかりか、大人の社会の方も子どもの騒がしさや行儀の悪さなどに対して寛容でなくなって、周囲が子どもたちを追いこんでいる。

 清水さんは先日、塾帰りの小学3年生ぐらいの男の子3人が他人の家の飼い犬に石をぶつけて遊んでいたのを見かけた。「おもしろい遊び、してるわね。今度は3人で石をぶつけっこしてごらん」と声をかけたら、真っ赤な顔をして逃げて行ったという。「塾の成績でも悪くて、うつうつとした気分だったのか」と清水さんは思った。

 このような時は、「子どもには、そうせざるを得ない事情があったのだろう」と相手をいったん認めて受け入れることが大切、とは清水さんのアドバイスだ。

 □  □  □

 投稿誌「わいふ」が5月に開いた「公園育児ってこんなもの」と題した座談会。出席した30~40歳代の母親3人からは「(子どもの遊び相手の)親の方にすごく気を使う」「子どもを無視しても親同士の付き合いを優先させちゃって」「子どもが悪いことをしたからしかるよりも、体裁で怒ったことが多かった」などの本音が飛び出した。

 はれ物に触るようにするのでもなく、ひたすら命令に従わせるのでもなく、家族の一員として、当たり前に子どもに接することが難しくなっている。

*****

 とてもとてもよくわかる。そうなのだ。子どもは家庭で「いい子」にしなければならないから、外で発散しているのだ。昔は家ではわがままにし、外でいい子にしていたものだが、今は子どもの態度が昔と正反対なのである。なんでこうなってしまったのだろう。親の期待が大きすぎるのか? 子どもは親に見捨てられたら食っていけないから「いい子」にせざるをえないのである。なんとけなげなことか。ストレスたまっちゃう。どこかで発散させなければ生きていけないから、学校や学童クラブや児童館でわがままのし放題。困った職員が親に相談を持ちかけると、決まって「うちではいい子です。学校(学童)でそんなことするはずない。うちの子はいい子です。先生の指導が悪いのです」となる。

 昔は子どもに困ったことがあって親に相談すると、よくわかってくれ、一緒に解決策を考えることができた。昔の子どもの「問題」は家庭環境から来るものが多かったので、親が真剣に考えてくれるとたいていはよくなった。

 しかし、今の子どもの「問題」は複雑で、家庭環境から来るというよりも社会全体から来る。「問題」がわかりにくいうえ、親は協力的でない。親は「問題」を見ようとしない。気づかない。言ってもわからないからどうしようもない。子どもは必死で「問題行動」というサインをだしているのに。

 親子が「よそ行き」でしかつきあっていない。だから人間関係が作れない。家庭とは暖かいだけのものではない。人間と人間が一緒に暮らしていれば、きれいごとではすまない。エゴがぶつかりあうこともあるだろう。「家庭はどんな家庭でも矛盾と葛藤のかたまりだ」とある人が言った。その通りだと思う。「矛盾と葛藤」をだすことができないのでは家庭ではないのである。

 子どものうちにそれができないと、成長してからたまりにたまった矛盾と葛藤がいっぺんにでてくる。必ずでてくる。小さなうちにでてくれば解決も簡単だが、でるのが遅くなればなるほど、解決に時間がかかる。

 だから家族で「よそ行き」のつきあいをするのはやめたほうがいい。多少感情的になろうが、子どもと生身の人間としてぶつかりあった方がいい。「いい母親」じゃなくていいし、「いい子」でなくていいのだ。

 そうすれば外でちゃんとした子どもになることができる。家庭でくつろげなくて、発散できなくて、なんの家庭だろう。
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by lumokurago | 2011-08-24 13:31 | 子ども・教育

原稿掲載されました

 さきほどのDr.Aとのメールにでてきた原稿はこの雑誌です。No.2に書いたところ、「もう一度書いてください」と頼まれたものです。「先端医療」の本に「無治療」のすすめを書いたのですが、「がん患者に勇気を与える」とほめられました。いいのかなあ?

 さっき(午後11:30)、チャーちゃんが来たので起きてしまい、眠れなくなってしまいました。それでこれを書いています。
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by lumokurago | 2011-08-24 00:30 | きままながん患者

かくれんぼ鬼とプロレス

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 兄ちゃんがかくれんぼ。頭隠して尻隠さず。
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 狙うチビ
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 兄ちゃん
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 兄ちゃんを狙うチビ

 見ていると飽きません。のんびりまったりの日々です。

*****

 こんばんは。メス猫の様子はいかがですか?
 兄ちゃんはいままで眠っているところをさっと捕まえなければ捕まらなかったのですが(一度捕まればゴロゴロとうれしそうにいつまでも甘えて抱かれている)、今日、はじめて自分から私のひざに乗ってきました。やった! クシャミ、涙も治りました。
 チビはやんちゃで兄ちゃんにかかっていくのですが、兄ちゃんはでかいのでチビを思いやっているようです。やさしい兄ちゃんでうれしいです。
 今日まで眠っているときにどこにいるのかまったく不明だったのですが、発見しました。父のアトリエの絵の棚の一番上(天井の近く)に2匹で寝ていました。写真を撮ったのですが、暗いためかピンボケでした。どこにいるかわかったので一安心です。
 というわけで、とっても幸せに暮らしています。
 蕗書房の雑誌、2度目の原稿を書いてみました。編集者に初回に詰め込んだと話したら、では各論でお願いしますと言っていたのですが、死生観の話になってしまいました。読んでみてください。
 渡辺容子 8.21


こんばんは。
二匹とも元気な様子で安心しました。
ちびねこはずいぶん大きくなりましたね。
兄ちゃん猫も慣れてよかった。
書斎メス猫は本日ようやく私の手から餌を
食べるようになりました。ベランダには、母猫
と父猫、去年生まれた子猫がいます。三匹全部
避妊手術、去勢しています。書斎メス猫も避妊手術を
終えるとベランダで過ごすことになるでしょう。家族全員
そろって楽しく過ごすでしょう。
読みましたが、ますます文章が上手くなりましたね。
随筆家になれそう。
網野 8.21


 こんばんは。えー! 父猫まで来たのですか。猫の父親って存在感ないけど「家族」らしくやってるのでしょうか。母猫は育った子猫が自分の子だとわかったのでしょうか。猫が家族で暮らすってとっても珍しいですね。
 文章についてほめすぎですが、うれしいです。
 渡辺容子 8.22


こんばんは。
猫はずいぶんリラックスしていますね。
くつろいでいるのがよくわかります。
当院の父猫は去勢されて以後、餌を
食べにくるようになったのです。
喧嘩も弱くなったでしょうし、仕方ありません。
あみの 8.22
 
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by lumokurago | 2011-08-23 19:36 | ねこと鳥 (cats&birds)

皆が愛情持てば世の中変わる

 皆が愛情持てば世の中変わる  SUGIZO(LUNA SEA)  朝日新聞夕刊 JEANS 2000.5.19

 今の世の中を「どうでもいい」と考える若い人は多いと思う。俺も半分はそう思うけど、何とかしたいとも思っている。愛情が足りないんだよ、親も教師も。人と接することがずっと苦手だった分、愛情には敏感かもしれない。恋人だけでなく、人をもっと愛したいし、愛されたい。みんなが愛情を持てば世の中は変わると思うな。真冬に素足の子どもが凍えている国もあって、物に満たされた日本人の生活は特別なもの。それを意識したら、日本の若い世代もちょっとは変わるんじゃないかな。

 俺は26歳ぐらいからすごく変わった。子どもができて、人を愛することをより深く意識して。昔の俺は地球の「がん」そのもの。世の中はすべて俺のゴミ箱だと思っていたし、飲んだら大暴れするし、フロンガスがいっぱい入ったスプレーを使いまくって髪を立てるし。でも、最近は環境のことを考える。ゴミを分けないと怒る。洗剤にもうるさい。十年前の俺とはずいぶん違う。

 いつも自分の意思を貫いて生きていたい。「これでもいい」じゃなく、「これがいい」と思うことを。そして、”今”が何よりも大切だけど、”未来”はもっと輝いていると信じているし、何があっても絶対にうまくいくと信じている。十年前、真矢と二人で所持金が百円もない日があったけど、なんとか食いつなげた。最終的に理想の自分になりたいと思えば、なんとかなるものだから。いまだに理想には全く届かなくて、いつも走っているけどね。
 
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by lumokurago | 2011-08-23 11:41 | 子ども・教育

教育再生へ「信の国」をつくろう

 古い手紙を整理していたら、新聞の切り抜きがいくつかでてきました。10年以上まえのものですが、問題は古くなっていないどころか、同じ状態orもっと悪い状態で継続されたままです。ぜひお読みください。 


教育再生へ「信の国」をつくろう  村上慎一 (愛知県立岡崎高校教諭) 朝日新聞 論壇 2000.10.21

 人生と生活は違う。学校はよき生活より、よき人生とは何かを教えるところである。しかし、この逆ばかりを教えてきたように思う。減らない不登校生徒、学級崩壊、凶悪な少年犯罪・・・教育が対応を迫られている深刻な危機は、このことと無縁ではない。

 自分たちの生き方を絶対視し「今の若い者は・・・」と言う大人も、若者におだてるようなことを言う大人も、若者に伝えるべき何物ももたない点では同じである。このことのデメリットは、大人たちの想像以上に大きかったのではないか。「よく生きる」とはどういうことなのか、国民がこの問いにはっきりと答えられない状況が継続している。

 戦前の「忠孝」を第一とする考え方が、敗戦という事実を超えられなかったのは必然としても、これに代わる新たな伝統を作りあげられないままである。伝えるべき貴き生き方をみつけられず、人びとは迷走した。民主主義が旧来の伝統に代わることを期待し努力した人もいたが、全体としては思ったようにいっていない。「忠孝」に代わる倫理規範を持たぬまま、多くの人はそれぞれの欲望の充足を最優先させてきたように思う。

 言うまでもなく、人びとの欲望を最もよく充足するのはお金である。無意識的に学校は、貴い職業としてお金を多く手にすることができる社会的地位の高い職業を紹介した。学校の教師の言うことに忠実な、成績のよい生徒がこぞってそうした職業を志望することがそれを証拠立てている。誠実になすべきことをなし努力しても好成績を得られない生徒より、人間的欠陥があっても成績のよい生徒の方が評価されてきた。結果だけを重んじる学校のあり方が、社会のありかたと相似形であることは言うまでもない。やがて社会は、努力を嫌がり結果ばかりを欲しがる子、そうじてどうしようもなくストレスをため込む子、職業に貴賤をつけ、嫌われる職業に就かない若者などを抱えることになってしまった。

 直接手を下したのは親や教師であったが、社会全体が欲望充足優先のあり方を教育に浸透させたのだと思う。その退廃は、のっぴきならないところまできている。社会全体が、素晴らしく生きるとはどういうことかについて明確な知見を持たぬ限り、教育にあいた大きな穴を埋めることはできないと思う。

 教育基本法を見直そうという動きがあるという。貴い生き方とはどういうものかが分かるようにして欲しい。個人の尊重、世界平和といった教育基本法の理念は、現代にも有効である。それを実現していく個人のあり方が示されなかったために、教育基本法は徐々に空文化してきたのだろう。理念に力を吹きこむ倫理を考えなければならない。「忠孝」に近づかないことを前提として。

 思いやり、正義、博愛、礼儀、友情、誠実、自由、清廉――人が生きるのに大切な倫理はたくさんある。これらを包括し行動化を促すものとして、「信」を中心とした倫理規範を創造してはどうかと思う。人間が人間としてよく生きるとは、他者との関係をよく生きることである。いかに多くいかに深く他者に信頼されるか、他者を信頼できるかをよく生きているかどうかの尺度としたい。その達成を個人の自信の根拠ともしたい。学校なら勉強で信頼を得る子がいてもよいが、スポーツへの取り組みや趣味の豊かさが信頼の源になる子がいてもよいし、地道な努力や誠実さで信頼できる子がいてもよいことになる。貴い生き方について社会全体が合意した時、教育の再生は緒に就くと考える。

 皆が同じであることに「信」の根拠を置いてきた教育を、違いに「信」を置くように変える必要がある。教育基本法のいう個人の尊重も、自他の違いに「信」を置くものであるべきだろう。異質共存は責任ある自由を招くことにもなる。世界平和にも異質共存の原理を貫いてほしい。良い機会だと思う。教育基本法の見直しを通して、次世代に伝えるべき人間のありかた、社会のありかたを真剣に考えてはどうかと思う。(投稿)
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by lumokurago | 2011-08-22 19:50 | 子ども・教育