暗川  


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by lumokurago
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チャー吉とニイニ

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 「チャー吉にいちゃんはよく寝てるなあ」
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 「チャー吉にいちゃん、遊ぼうよ」
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 「出口はちゃんと開いてるかな。閉まってるう。かあちゃん、開けてくれ」
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 「遊ぼう」「しつこいぞ」
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 「おれはもう出るんだから。またな」「いいなあ。おいらも外に出たいよお」
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by lumokurago | 2011-10-13 19:00 | ねこと鳥 (cats&birds)

岩手北上 夏油スキー場

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 友人が北上に出張で、一緒に行って温泉に2泊してきました。世の人びとは忙しく、時間が取れませんからね。東北には花で有名な山がたくさんありますが、この近くの焼石岳もそのひとつです。いつか行きたいと思っていましたが、縦走すると山中1泊となり、山小屋がないのでテント持参となります。それで結局行かずじまいになってしまいました。

 夏油スキー場で紅葉まつりをやっていて、屋台がたくさんでていました。ゴンドラに乗ってスキー場の一番上まで行きましたが、紅葉はやっと色づき始めたかというところ。ナナカマドの赤い実が映えていました。
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 車いすで付近を散歩。小さな花がたくさん咲いていました。これはアカマンマです。やはり、車の速度と歩きの速度はぜんぜん違う。みなさん、歩ける人、歩かなければだめですよ。歩かなければ何も見ることはできません。

 それにしても遠い北上まで東京駅から新幹線でたったの3時間。情緒がないなあ。この上、リニアモーターカーまで作ろうとしているなんて、狂気の沙汰だわい。

 焼石岳にはなかなか行かれませんから、写真だけ楽しませてもらいましょう。 焼石岳に水、そして花
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by lumokurago | 2011-10-11 17:25 | 自然 (nature)

おびただしい便りの拡がり その2

渡辺からNさんへ  1986.6.25

 (前略)

 はじめに、「手紙」について

 去年の1月頃から半年位の間、私はOさんやMさん宛てにたくさんの手紙を書いていました。もともと私が≪あうら≫(読書会の名まえ)に関わるようになったきっかけは、私が一昨年の9月に出した『暗川』という個人通信に、Oさんが便りをくれ、私がそれに答えてOさん宛てに書いた手紙をOさんが≪あうら≫のメンバーに拡げたことにあります。

 Oさんは<O⇔渡辺>の便りのやりとりを≪あうら≫の中でも考えたいと言い、私も賛成し、それから私のOさんや他の人宛の手紙は≪あうら≫のメンバープラス私が読んでもらいたい人に送っています。去年のある時期にはみんながそうやって誰か宛ての手紙をコピーして送り合っていたから、たくさんの、いろんな人宛ての手紙が飛び交っていたことがあります。私たちはその現象を「おびただしい便りの拡がり」と呼んでいました。

 「手紙」は確かに、ある特定の相手を想定して、その人に語りかけるという形式をとっています。でも、そこに書かれた内容はその相手以外の人とも<共有>できるのではないかと、私は思っています。その理由を書いてみます。

 私にとって「手紙」というものは次の二つの意味を持っています。

 ① ある特定の相手(一人ではないこともある)を想定して、その相手に思いを届かせたいと願って書いていると同時に、また、そのことが同じ重さで自分に対して自分を語るという要素を合わせ持ったもの。

 ② 私はいつも<出会い>を求め、そして<出会い>を深めたいと思って生きているので、生きていく中での作業である「手紙を書くこと」もいつもそのなかにあり、特定の相手に向けて書いている手紙であっても、未知なる人にも思いを拡げる可能性を秘めたものとして考えていること。


 ①について
 自分にたいして自分を語るということでいえば、「日記」という形式があります。でも「日記」は「ひとり遊び」で、そのなかで自己完結してしまいます。「手紙」という形式が「日記」よりもいいと私が思っているのは、「手紙」は相手との関係性の中で動いていく可能性を持っているからです。交流できるからです。人間は、なぜこうも他者との交流を求めるのでしょうか? 他者に自分を知ってほしいと思い、そして他者を知りたいと思うのでしょうか? その答えは簡単ではありませんが、そういう気持ちはとても大切なものだと思います。交流を求めるから私たちは手紙を書きます。

 「手紙」という形式は心情を吐露しやすい形式です。かと言って「日記」と違い、相手に伝えたいと思って書いていますから、ひとりよがりになる面を極力排して、わかりやすく説明しなければなりません。手紙は特定の筆者によって信頼できる相手に向けて書かれたものだから、他の形式と比較して、筆者の素直な気持ちがそのまま表現される可能性が大です。その上、読まれることを前提に書かれているから、一定程度の客観性もあり、その2つのことで「文学」に近いと思います(おおげさですが)。

 「文学であること」の第一条件は「普遍性」を有していることだと私は思っています。作家は「普遍性」を持たせようとして、現実をろ過して虚構の世界を作り上げますが、手紙はそれと全く逆にその人の現実をなまのまま表わすものであることが、逆説的ですが、「普遍性」を逆の形で表わしていると思うのです。

 私は人間の悩みや苦しみ(逆に喜びも)などは、一人ひとりが重く背負っているけれど、けっこう「ありふれたもの」だと思っています。一人が感じるようなことはたいてい、他の誰もが感じる(或いは想像できる)ことだと思っています。人間は一人ひとり違っているけれど、案外、どこかで似ているところがあって、悩みや苦しみの質の中身を手に取るように感じることは無理にしても、その重さはその人の今までの経験から想像できて、共感することができると思っています。

 上記の二つのこと、「手紙は文学に近い」「人間は共感し合うことができる」ことから、私は手紙は誰にでも見せていいものだと思っています(おのずから制約はありますが)。

 乱暴ですか? 一般的には「信書の秘密」と言って私信は他人に見せてはいけないことになっているのに、まったく逆のことを言っていますね。

 ②について

 私は<関係性>というのはオープンなのに越したことはないし、どんどん拡げていければとってもすてきだと思っています。OさんがNさんの手紙をMさんと私に見せたのも、上記の私と同じように考えたからだと思います。Oさんが拡げたことで、Nさんが私に手紙をくれたり、私がこの手紙を書いているということはいいことだと思いませんか? 私はすてきなことだと思います。

 私はどんどんすてきな人と出会います。そのことをある人に話したら、その人は「それは渡辺さんがそれだけの表現をしているからだ」と言いました。私はすてきな人と出会いたいから、そして出会いを深めたいから、個人通信をだしたり、手紙をたくさんの人に見せたりしています(その前にどうしても書かずにいられないことがたくさんあるのですが)。

 「手紙」のことで、もう一つ言いたいのは、この間、私がNさん宛てに書いた手紙は、形としてもOさんの文章を引用したのでそう言えると思いますが、Oさん(ひいてはMさん)との共同作業であったということです。以前Oさんは、私のFさん宛ての手紙に、彼が“P.S.”をつけることによって「手紙」を共同作業化しようとしたことがあります。一人の便りが困難にぶつかっているとしたら、それは「ひとり」で書いているせいなのではないか、その便りに他の誰かが“P.S.”をつけたらどうなのかとOさんは言っていました。

 この手紙も多分にOさん(ひいてはMさん)との共同作業的な面を持っています。というのは、彼らと接することによって深められた部分が私のなかにたくさんあり、この手紙で使っている言葉も、彼らの使っている言葉の影響を受けているからです。

 この手紙の内容について彼らと話し合ったわけでもないのに「共同作業的な面がある」なんてずいぶん安易な言い方かもしれません。こういうのを「幻想」と言うのかもしれません。が、彼らは別に反対しないと思います。むしろ喜ぶと思います。人間はまったく違うのに、こういう<出会い>というのは<出会い>によって、私が相手の中に、相手が私の中に溶け込んでしまう、という気がします。ずいぶん心情的すぎますね。

 Nさんは3人に対して別々の手紙を書くかもしれないけれど、それに対する返信は3人の共同作業としてあるかもしれません。(後略)


おまけ 渡辺よりNさんへ 1986.8.1

 (前略―「結婚」「恋愛」についていろいろ書いたあとで)

 私は離婚していることと、私が好きになる男性はみんなすでに結婚しているので、出会った男性と「別れないようにしよう」ということを最大の目標にしています。だからまわりの状況や自分の気持ちをみて、うまくコントロールしています。一人の人に「会えなくてせつない」という気持ちにならないようにしていて、誰かに会えば会うたびに元気になるようにしています。そういう友人というか恋人というかが何人かいます。私は自分の感じたこと、うれしかったことや怒ったことなどを、すぐに人に話してしまいます。その人が、私が話すことを共に喜んでくれたり、怒ってくれたり、または意見を言ってくれたりすることがわかっているからです。

 私は傲慢なのか自信過剰なのかわかりませんが、私が好きになるような人は、向こうも私を好きになるとわかっています。なーんて断定するのは間違いかもしれないけれど、少なくとも、私が自分をだした時、なんやかや文句を言う人はいたとしても、わかってくれる人は絶対にいると思っています。だからその他の圧倒的多数がなんと言おうと全く気になりません。(中略)

 私は自分が「内向的」なのか「外向的」なのかわかりません。まあ、こんな分類自体不自然なんだけど。性格としてはもともと「内向的」なのに、いつも思いきったことや目立つことばかりやって、私をよく知らない人にはこわがられている。「外向的」ではなく「行動的」なのだと思います。(中略)

 これからもたぶん男女を問わず「好きな人」に出会い続けていくと思います。だから好きな人がどんどん増えていくと思います。病院に(注:この時入院中だった)ビッグ・コミックがあって、読んでいたら『はぐれ雲』に「神様は人を好きになるようにって、心をくださったんだね」という言葉がありました。(後略)


*****

 この後は以前掲載した次の記事へとつながります。

 恋文1

 恋文2

 左手請求権
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by lumokurago | 2011-10-09 17:14 | 昔のミニコミ誌より

負けた日に

負けた日に  1986.2.14


負けた日に
ころげるように笑った

こころがぽっかりして
サーッとやってきた冷たい白い霧にまかれて
消えていくような
かたくて比重の大きな黒いかたまりが
またひとつ沈んでいくような

「ずうん」という音がする

みんなといて、たのしかったよ
さいこうに

だから笑ったんだよ
声をたてて

ねえ、いったいどこに戻ればいいのだろう

風景が色あせてみえる

ほんとうはもうそんなものはないのかもしれない

戻れない
戻りたくない
戻らなくていい
戻れるはずもない

前進あるのみ
なんちゃって
ふふふ

みんな だいすき


友だちの詩を読んでいたら
彼も「青」にこだわっていて

昔の『クリーム』のロックが
“Strange Blue”とくりかえして

高校生の頃
春の八が岳に行って
歩きながら 雪にピッケルをつきさすと
その細い穴が
のぞきこむと 不思議な水色で
その水色は透明というよりも 不透明な水色だったことを
ふと 思いだす

海の波に洗われた
水色のまあるいガラス玉のような

きっとそれはビンのかけらかなにかだった

まあるい不透明な
きれいな水色の
そこに空全部をひきうけてしまったような

きれいな不透明な水色のブランデー・グラス がほしい
それを手にとって
手のなかで
力まかせに割ったら

赤い血が流れる

そして
水色のかけらがずっときれいになっていく

空だけじゃなくて
海全部もひきうけてしまったように


雲は
もともとひとひらのちいさな結晶にすぎないのに
空は
あとからあとから何千何万何億何兆・・・
いつまでもいつまでもおとしてくるから
つもる つもる つもる
いつのまにかまっ白に
みえるかぎりのすべてのものをおおいつくし

ひとひらひとひらが舞いながら
音という音を
すいとる

とおくで
耳ざわりなかん高い金属音が
キーンキーンと響いているのに
雪の日にはそれも消えている

雪はただ音をすいとり 白く静かに拒絶する

昼は
音がキラキラと光る

雪は音をすいとるから美しい

春がくれば その音は
ポトポトと
サラサラと
ゴーゴーと
力となってあふれ出す
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by lumokurago | 2011-10-08 17:12 | 昔のミニコミ誌より

本日ニイニイ脱走

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 チビちゃんの勇気はすごいです。台所の高い戸棚の上に登り、さらにその上の棚の上、天井とのすきまに登りました。(写真添付)。兄ちゃんはあっけにとられて見ていましたが、まねして登りました。でも天井とのすきまには行かれず、チビが登っているところを見ています。(これも写真あり)。兄ちゃん、がんばれ。 9.29

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 チビちゃんは最近かなり落ち着いてきました。いままでは起きているときは動き回るのに忙しく甘えたりしなかったのに、ひざに乗って甘えてくるようになりました。寝るときは2匹が布団の上に乗って重しになっているので、身動きするのが大変です。チャー吉とは仲がよいとまではいきませんが、共生しています。 10.3

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 ところで、ゆうべ、大変なことがありました。兄ちゃんは9時頃から私と一緒に寝ていたのですが、チビがおらず、最初は心配していなかったのですが、やがて兄ちゃんが心配そうに声をだしたり、うろうろと探したりしはじめました。私は「どこかにいるだろう」と思っていたのですが、12時頃、窓辺で「ガタガタ」という音。野良猫が来たのかと思い、見に行ったら、チビが中に入ろうと窓をガタガタさせていたのです。驚いて窓を開けたらすぐに入ってきました。今朝、妹に話したら、11時頃、2階のベランダにでて遊んでいたので、ベランダから屋根→ひさしにでて、下まで落ちた(飛び降りた)のだろうとのことでした。前の猫も落ちた(飛び降りた)ことがあります。猫でもケガすることがあるようですが、ケガがなくてなによりでした。兄ちゃんは「よかったね」というようににおいをかいでいました。
 朝6時にチャー吉が来て、みんな起きました。チャー吉用のミルクを兄ちゃんが飲もうとしたら、チャー吉は譲っていました。子猫はこの家の猫で、自分は外猫なのだという自覚があるのかなあ? チビはチャー吉のしっぽにもじゃれついています。チャー吉が穏やかな猫でよかったです。と言っても百戦錬磨の跡があるとてもでかいオス猫なので、喧嘩は強いでしょうね。(去勢手術の件は検討中です)。 10.5

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 こんばんは。もういちいち猫のことを報告されるのも面倒かもしれませんが・・・。ごめんなさい。今日はチャー吉が3時半頃来て、ご飯を食べて、眠っていました。4時からヘルパーで、私はお風呂に入りました。そのとき、チャー吉が「ヒーヒー」と鳴いている声が聞こえたので、でたいのだろうと思いましたが、お風呂からあがってからと思っていました。あがってみると、チャー吉はもういません。どこかから出たなと思っていたら、兄ちゃんも庭にでていました! この間留守にしたときと同じく、窓がきちんと閉まっていなかったので、すきまから手を入れて開けたのでした。チャー吉につづいて兄ちゃんもでたのでしょう。チビは眠っていたので、何も知らず。
 庭にでてつかまえようとしたのですが、私が素早く動けないので逃げられてしまい、捕まえるのは無理だとあきらめました。
 絶対戻ってくるとは思ったのですが、心配で、心配で・・・。明日からの旅行も取り止めようかと思うほどでした。結局、真っ暗になって、何も見えなくなり・・・7時を過ぎてから窓のところに戻ってきました。チビを別室に閉じ込めて窓を開けましたが、兄ちゃんはすぐには入ってこず、一度逃げました! 知らんふりしていたら、やっと入ってきました。まったくなんて心配させられたのでしょう。
 前の猫が母を在宅で引き取るときに部屋の模様替えをしたら、自分の家と認識できなくなって帰ってこられなくなった(獣医さんの分析)ので、建て替えの片づけのためしょっちゅう家具が入れ替わっているいま、心配で外に出せません。
 ま、妹は私ほど心配性ではないので、まかせて旅行に行ってきます。 10.7

*****

 記事が予約投稿できるようになったので、留守の間の分をそうしてみました。では、行ってきます。
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by lumokurago | 2011-10-07 20:21 | ねこと鳥 (cats&birds)

おびただしい便りの拡がり

 これまでに掲載した手紙を何人かの人に送ったところ、ある人(Kさんとします)からいただいた手紙の最後に次のような文章がありました。

――「そこに帰れば自分を必要とする人がいて、安心できる場所というもの。私にとってはそれは自分しかない・・・自分をつよくしなければならないと思う」という所、私自身にとっての生きている限りの課題でもあります。好きな人(恋人、友人、家族・・・)がいて、大いに励まされ、生きる喜びを感じていても、でも、やはり私は私なのです。


渡辺よりKさんへ  1986.1.7

 (前略―OさんにKさんの手紙を見せたら喜んでいたという内容)

 ただ、お手紙の最後にあった「私は私」というところは違っていると言っていました。「私は私」と言ってしまうと、“私”は“私”のなかで完結すると認識していることになるが、それはまだ“自分”というものを知らないのではないか、人間は自己完結できないものであり、そこに“共同性”の問題があるというのです。

 私も「私は私」とだけ言い切ってしまうことには違和感があります。Mさん宛て手紙に書いたのですが、私はこの間、自分が話すことが苦手ということにすごいコンプレックスを持っていて、Yさんなどに憧れを持っています。彼女はとても生き生きと話すので。私は書くことに対してはかなり自信を持っているけれど、それだけでは対処できない場面が多いので、「話せなくても書けばいいんだ」とも思えず、自己嫌悪に陥っていました。

 12.28にMさん、Oさん、私で忘年会をやった時、そのことについてOさんが「象徴的なことだが、Yさんは『渡辺さんはすごい』と言っている」という話をしました。『共犯幻想』というマンガに「自分の体温を知るためにも他者の左手が必要」というテーマがあります。その通りだと思います。

 Mさんは“役割分担”という話をして、「“自分”がたくさんいる」と言いました。私は“役割分担”と言ってしまっていいのかはちょっとわからないけれど、「“自分”がたくさんいる」という感覚には同感です。“共同性”とは「“自分”がたくさんいる」ことの自覚なのでしょう。

 山口泉さんの『吹雪の星の子どもたち』(径書房)に「吹雪の星」に生まれた子どもたちには“星外脳”という欠損した部分があり、それを求めて宇宙に旅立つというテーマがあります。Aさんという人がこの本への感想に「みんな私の“星外脳”なんだな」と書いています。私もそう思います。他者とは自分の欠損した部分を埋めてくれるものに違いありません。

 だから「私は私」と言い切ってしまうことには「違う」と思うのです。私の“星外脳”はOさんであり、Mさんであり、Kさんであり・・・etc.の人たちなのです。

 “星外脳”とは、人と人との“出会い”のことでしょうか?


渡辺よりMさんへ  1986.1.17

 (前略)

 “選択”ということは、単に二つの、あるいはいくつかの道のうちから1本を選ぶということではなく・・・1本の道を選んだ私は、選ばなかったもう1本の道、あるいはその他のすべての道をひっかかえて、背負いこんで生きているのだという気がします。うまく表現できないのだけれど・・・。
 
 どっちの道を行った方が“幸せ”なのかわからない、ということはある。それに“幸せ”が“不幸”になったり、また、その反対だったりすることはよくあることだから、ほんとに何がいいかなんてわからない。(中略)

 私は元夫が地元(名古屋)に就職して実家に帰ったとき、ついていかなかった。その理由は名古屋に仕事がみつからなかったから。それは「“愛”か、仕事か?」という二者択一問題では、私にとってはなかった。私は物心ついて以来「一生仕事をしていく」ことは当たり前だと思っていたから、まったく迷わずに東京に残った。それでよかったと心から思っているけれど、「あの時、ついていったらどうなっていたか」とは思うことがある。

 今頃は小学校にあがる位の子がいたかもしれない。それはそれで“幸せ”だったかもしれない。でも、今、私のまわりにいてくれる人たちとは出会わなかっただろう。別の人たちと出会ったかもしれないけれど、今の“私”とはかなり違った人間になっていたと思う。あの時、名古屋に行かなかったことが(これがすべてではないが、きっかけとして)私をこれほど世間から見れば変わった考えの持ち主にしてしまったとは、おそろしいものだなあ。

 もっと昔の話で、今思いだしたんだけど、高校時代の先輩が私に言ってくれたことがある。私はお茶大(お茶の水女子大学)の、今は亡くなった周郷博という先生が好きで、お茶大の児童学科を受験した。けど、試験当日熱がでて落ちた。受かったのが早稲田の一文(第一文学部)だったので、そこに入学したんだけど、早稲田の一文を受験した理由というのが、私はなぜか数学ができた(他の科目よりましだった)ので、私立の文系で数学が選択できる唯一の学部だったからなわけ。それで先輩に自分には他にやりたいこと(児童学)があるのに不純な動機で入学してしまったというようなことを話した。そしたら、その先輩は「たとえ希望の大学に入ったって、しっかりとやりたいことを持っている人なんていない。やりたいことがあるんならどこでもできる」と助言してくれたのです。この場合は自分で選んだというわけではないけれど、同じことだと思う(実際には私の大学時代は内ゲバに翻弄されてしまったが)。

 “選択”ということは、その言葉一つで括れないものを含んでいると思います。一方の道を選んだ私は、選ばなかったもう一方の道を引き連れていると思います。選ばなかった道のすべてを、カッコよく言えば“止揚”した形で、今、この道を歩いていると思います。(後略)
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by lumokurago | 2011-10-07 17:12 | 昔のミニコミ誌より

CT検査の結果 肺転移縮小

 検査の報告をDr.Aへのメールで代用します。 

 こんばんは。結局、今日、近藤先生のところに行ってきました。レントゲンでは、なんという骨か、骨盤の下のほうが薄くなっていて、右足が痛いのはそのせいじゃないかと。ほかは前と比べてそんなに変わっていないそうです(入院以来検査していなかったので、ずいぶん前の写真と比べていました。「ずっと検査してなかったんだなあ」と。比較するためには痛くない時の写真も撮っておいたほうがよいのでは?―笑―。来週の月曜日に胸部から骨盤までのCT、14日に骨シンチの予約を入れてくれました。(Dr.Kが)お休みをとる前、来週の水曜日にCTの結果を教えてくれることになりました。骨シンチの結果は帰ってきてからの21日です。放射線はめいっぱいかけてしまったと思っていたのですが、まだかけられるらしい(?)です。が、慶応病院の放射線科のベッドがなくなってしまったため、通うしかないとのことで、いまの私は大丈夫ですが、痛くて通えない人もいるのにひどい病院だなあ。
 今度の連休に北上の温泉に行く予定です。近藤先生に「大丈夫?」と聞いたら、「うん」と言ってました・・・。 渡辺容子 9.30


 今日のCTの結果は(封のしてある近藤医師宛ての封筒をあけたところ)、2009年8月に同じクリニックで検査した結果と比べ、肝転移、骨転移増大、肺転移縮小でした。2009年8月のあと、骨転移の激しい増大で放射線治療を行ったので、骨転移については、比べても意味がないと思います。腫瘍マーカーCEAがいままでになく上がり、CA15-3も上がっているもののそれほどではないので、CEAが肝転移、CA15-3が肺転移に関係あるかもしれません。近藤先生の水曜日の診察では肝転移に放射線をかけるかどうかの話がでるかもしれません。猫がいるから長生きしたいので、かけてもらおうかな(笑)。
 痛み止めは余っていたアセトアミノフェンを飲んだところ、効いているようです。 渡辺容子 10.3

 
 こんばんは。近藤先生のところに行きましたが、CT検査をしてくれたクリニックからの手紙以上のことはわかりませんでした。骨シンチはこれからですし、肝転移は増大しているもののすぐに治療しなくてもよさそう。肺転移が縮小したのはよかったです。
 「あと1年は生きられるか」と聞いたら、「どうかなあ」という感じのお答えでした。私は網野先生に看取っていただければそれで本望です。 渡辺容子  10.5


こんばんは。
癌とは共存できそうな状況ですね。
肝臓はタフな臓器ですので気にしなくて良く、肺転移が
縮小したことで余命が伸びたとおもいます。
私の場合、今年死ぬような気分でしたが、もう少し生きる
かもしれないですね。何をするかですが、本は書く気がしないし。
何か、遊ぶことを考えてみたいと思っています。
網野  10.5
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by lumokurago | 2011-10-06 18:04 | 転移がんの治療(無治療)

昨日の4にゃん

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 ニャーちゃんです。どこかよそでご飯をもらっているため、うちには顔を見せに来るだけ。たまたま子猫2匹がほかの部屋に行っていたので、窓を開けっ放しにしたら、入ってきて爪とぎして、すぐに帰っていきました。
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 チャー吉と2にゃん(ニイニはしっぽのみ)。
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 ミュウは眠いのに無理に目を開いているので、目がすわっています。変な顔!
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by lumokurago | 2011-10-05 19:28 | ねこと鳥 (cats&birds)

Oさんとの対話より その3

 まだ説明していなかったのですが、Oさんとは児童館の同僚たちの読書会《あうら》のなかでつきあっており、Oさん⇔渡辺の<便り>を4、5人で共有していました(その後、人数はもっと増えていきます)。そのため、宛名は象徴という意味で< >に入れられていました(<渡辺容子>様というように)。が、この頃から私はもう宛名を「みんなへ」に変えていました(特別な場合は除く)。「<便り>の共有~おびただしい拡がり」については今後テーマとして出てきます。

*****

渡辺よりみんなへ  1985.10.30.

ときどき、自分で自分を励ませなくなる
この先、生きていくことにとっても不安になる
ぽっかり空いた時間に、隠されていた心の空洞がみえてしまう
たぶんそれは、人間なら誰でももっている、生まれながらの「欠損した部分」
・・・一般的に言いかえるなら「孤独感」というもの
一方では「<名まえ>の渇望感」と呼ばれ、「希求性」を生み出す原動力になっているもの
もう一方では、ただただ「さびしさ」に突き落とすもの

「たったひとり」であること
そのことが力を呼び起こす
誇りを呼び起こす
と同時に、深いかなしみが流れる
それは底流だ

「欠損した部分」は誰もが生まれ落ちたときからもっている

私たちは「欠損した部分」を埋めようと他者との出会いを求める
しかしそれが埋まることはない
だから永遠に「たったひとり」なのだ
「たったひとり」であることの強さと弱さを常に抱えている
いつも綱渡りをしているような危うさのなかで

さびしいときには、好きな人の顔を思い浮かべよう
その人たちが、みんなそれぞれの場所で生きていること
ひとりひとりが、泣いたり笑ったりしながら
「たったひとり」であることの誇りとさびしさを抱え込んで生きていること
自分で自分を励ませないときは、そのことだけが私を励ます

私が「たったひとり」であること
みんなが「たったひとり」であること
「たったひとり」・・・地球上に後にも先にも「たったひとり」・・・


Oさんより<渡辺>へ  1985.12.31

 (前略・中略)

 さて、10.30付の<便り>を痛切に受けとっています。その痛切さは特に≪一方では・・・≫というコトバの繰り返しのなかから浮かび上がってきます。

 ≪一方では・・・≫というコトバは、自分の意志の志向の強さは(それが強ければ強いほどなおさら)、同時にそれとは逆の方向に引き裂かれる――ということを指し貫いていると思います。そのことについて、ぼくはこう思っています。どのようなものごとも、そのほんとうの意味は、いま当面している問題やテーマそれ自体のなかにあるのではなくて、むしろその陰にあって、まだコトバにのぼってこないところにこそ隠されている、というように。だから、また、あらゆる全てのことにおいては、いま取り組もうとしていることと同時に、そこから引き裂かれていくような力を想定して、両者を抱え込まなければだめだろうとも考えています。特に<運動>および<表現>の世界においては(もっと正確には並列ではなく、<運動>を<表現>としてあるいは<表現>を<運動>として志向する<運動>⇔<表現>の世界においては)――。

 例えば女性問題を追求しようとするとき<男性>問題を、インターナショナル性を問題にしようとするとき<ナショナリズム>を、前衛を問題にするとき<民衆>を、他者としての権力を問題とするとき<自己>を、固有性を追求しようとするとき<無名性>を・・・というように。もちろん、両者の間の、容易にまたぎ越せない困難な条件のようなものを見落としてしまうことはいけないと思いますが、対極にあるものを抱え込めない志向性は、致命的ともいえるようなおおきな脆さをつきまとわせることになることは間違いありません。

(中略)

 あることに直面したとき、判断や行動を支え~持続させていく力になっているのは、自信たっぷりのじぶんの実力なのではなくて、実はむしろいま直面している問題には一見とおく無関係に思えるものまでをも覆ってしまう拡がりが孕まれているのかもしれないという畏怖感なのではないかということです。つまり、そうした畏怖感を通して自己を切り開きつづけていこうとしない限り、直面している問題のなかに自己が縮小されて閉じ込められてしまったり、直面している問題自体の流動性によって、知らず知らずのうちに自己のあり方が歪んでいってしまったり、ということがあるのではないかと思えるのです。(後略)

渡辺よりみんなへ  1986.1.7

 (前略・中略)

 高校生の頃、リルケの『若き詩人への手紙』が好きでたくさん写していました。いまの私を励ましてくれそうな気がして読み返していました。写したものを(他の日記などと共に)私は焼いちゃったらしいけど、写した箇所はいまでもよく覚えていて、同じ箇所に感動する自分に「成長がないなあ」と思ったりして。それは例えば次のような一文です。

――私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです。あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを、そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。
 今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遙かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。

 生きること、なにがなんでも生きること。まず、生きること。生きることそのものにこんな励ましが必要なんて、なんて人間て“自然”から遠いのでしょう。海も木々も動物たちも、淡々と自らの生を充足しているのに。

 再びリルケより

――孤独であることはいいことです。というのは、孤独は困難だからです。ある事が困難だということは、一層それをなす理由であらねばなりません。
 愛することもまたいいことです。なぜなら愛は困難だからです。

 困難な道をこそ選びたいと思います。なぜなら、困難な中でこそ真剣に打開の道を捜さなければならず、悩みも多く、たくさんのことを考えるからです。安易な道は堕落の道でしょう。

 生きている限り、いつも自分を問い、問いを生き、細い1本のこみちを捜していく者でありたいと思います。
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by lumokurago | 2011-10-04 20:37 | 昔のミニコミ誌より

内海さんの写真より

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 ポーチュラカ(スベリヒユ)。真夏の花ですね。掲載が遅くなってすみません。
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by lumokurago | 2011-10-04 18:40 | 花 ・樹(flowers&trees)