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参議院沖委員会での山内徳信議員による質問

高嶋さんのメールです。(高嶋伸欣さんは琉球大学名誉教授で元東京教育大学付属高校の社会科教員です)。

*****

皆様   沖縄・東京の高嶋伸欣です。

  
 参議院沖委員会での山内議員による10・28質疑の議事録速報版です。

 文科委員会ではないので 中川大臣ではなく森副大臣が型通りの答弁をしています。でも この後の情報によると 先の10・26大臣答弁の評判の悪さは分かったようで、 10・31の沖縄県教委との協議では 11月末まで1本化の努力をさらに続けて欲しいと 教委側に伝えたそうです。もちろん そこには11月を過ぎたら 竹富町は有償にするぞという脅しの意味が残されていますが、 さらにこの期限が12月末に延びることもありえます。11月末を期限とするのに何の法的根拠もないのですから。

 その上 昨日の協議では 県教委側が どうしても一本化を今の時点で図れと言うのであれば 「新たに協議の場を設定する以外にはなく」「そのためには、県教育委員会と文部科学省が3市町教育委員会にあらためて協議を求める必要がある」とすかさず明確に文書で政府側に指摘しています。
 
 これで 文科省は10.26答弁での”脅迫”の効果を薄められてしまったものの、責任を相変わらず県教委に押し付けようとしたのを、「あんたも一緒に説得に当たる責任がある」と、県教委から切り返された訳です。

 さあどうする 文科省? 逃げたら叩かれるし、説得の場に出ればまずはこの混乱の根源が法律の不備を置してきた国側の怠慢にあることを認めて謝罪しない訳にはいかない。 ”脅迫”がいかに筋違いか、誰の眼にも明白となる。

 幸か不幸か 国会の会期は12・9までたっぷりあります。予算委員会の首相もいるところで、中川大臣が追及をどこまでかわせるか。見ものです。

@@@@以下 国会の議事録の転送です@@@@

平成二十三年十月二十八日(金曜日)(未定稿)参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会山内徳信質疑部分のみ抜粋

○山内徳信君

 社民党の山内徳信でございます。 私は今日は沖縄振興法に関する質問を準備をしておりましたが、急遽、二十六日に爆弾発言が出まして、これを先にさせていただきます。両大臣には申し訳ありませんが、先に、文科省から森副大臣にお越しいただいております。これは五分で終わりたいと思いますから、長い答弁は要りません。

 さて、沖縄県八重山地区中学校公民の教科書採択のため、八月二十三日、三つの教育委員会の教育長によって構成された採択地区協議会が開催されました。協議の結果は、意見の不一致で一本化に至りませんでした。二人の教育長は育鵬社版、一人の教育長は東京書籍版を推薦しました。その結果、一本化が実現せず、九月八日、三地区教育委員会の全教育委員十三人による協議会が開催され、東京書籍版を推すのが多数となり、一件落着したかと思われました。 しかし、そういうことにはなりませんで、その後、文科省は一本化に向けての指導といいますか、そういうものについてはこれは当然、教育委員会制度を取っていますから、沖縄県に任せていくべきであると思います。

 ところが、文科省は八月二十三日の採択協議会で不一致であった協議の結果に固執しておるというふうに思われます。そのために、その後いろいろと混迷を来しております。教育委員、沖縄県の教育委員会、そして文科省、沖縄県議会、地元の教育者含めて今大きな問題となって、そして沖縄県民は深い関心を持ってこの動きを今見ておるところでございます。 そういう状況の中にあって、十月二十六日の衆議院文部科学委員会における中川大臣発言の、これは爆弾発言と言ってもいいと思います、東京書籍を推薦した竹富町は教科書無償配付の対象外であると、こういう発言が飛び出してきたわけであります。

  したがいまして、私は、あるいは沖縄の皆さん方の思いを受け止めて、中川大臣にこの場で厳重に抗議をいたします。そして、無償の対象外であるというその発言の撤回をしてください。そうでなければ、今の時代は高校の無償化のそういう時代にあって、一つの地方の島の中学校の無償配付は拒否をしていくと、こういう人づくりの場、学校教育の場において、こういう大臣発言は許せるようなものではございません。 副大臣はしかと受け止めて、大臣と協議をしてやってください。官僚の言うことは聞かぬようにしてください。 そして、混乱を引き起こしたのは、大臣の地方教育への発言であり、これは介入でございます。教育委員会制度を崩しかねない権力的発言であり、教育の中立性を侵すものであると指摘せざるを得ません。

 最後に指摘しますが、教科書無償措置法などの法律は教育権を定めた憲法を支える法律であり、文科省が竹富町に教科書を無償配付せずに教科書の購入を強いるのは、義務教育の無償を規定した憲法二十六条に違反するものであると指摘せざるを得ません。

 したがいまして、大臣発言を、重ねて申し上げますが、撤回をされて、竹富町の児童生徒にも当然に憲法二十六条の無償給付の対象にすることをこの場で求めるわけであります。 憲法九十九条は、政府も公務員もみんな憲法を遵守する義務を規定しております。そして、今問題になっております憲法二十六条の二項にはこういうふうに書かれております。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」。 義務教育は、これを無償とする。この憲法の規定を尊重して、竹富の子供たちにも向こうが選択したいという教科書に対しても無償の措置を講じていただきたいと思います。それを行政的な、あるいは官僚的な、適当にあしらっていくということになると、これは大変な問題になります。

 三年前のあの教科書問題がよみがえってくることを私はこの場で指摘をして質問を終わりますが、この場で私が求めておるのは、撤回をしてほしいということと、無償の対象にするということを副大臣から答弁を求めます。にこにこ笑うもんじゃないよ。

○副大臣(森ゆうこ君)

 お答えしたいと思います。 まず、この八重山地区の教科書の採択の問題でございますが、少し整理をさせていただきたいと思うんですけれども、まず、八月二十三日の八重山地区採択地区協議会、この協議の結果、そして再協議が八月三十一日に行われたわけでございますが、その結果につきましては答申というものが、一致した結果として答申がなされたものというふうに私どもは承知をいたしておりまして、そしてその答申に基づいて、中学校の公民の教科書以外はその答申に基づいた各教育委員会における教科書の採択が行われたものであるというふうに承知をいたしております。

 中学の公民の教科書につきましては、石垣市、そして、それから与那国町におきましては採択地区協議会の答申の結果どおりの育鵬社の教科書が採択をされたと。一方、竹富町の方はその答申とは別の東京書籍の教科書を採択したと。これが事実経過でございます。 そこで、文部科学省といたしましては、沖縄県教育委員会に対しまして、八重山採択地区内の市町教育委員会が規約に従ってまとめられた結果に基づいて、公民についても同一の教科書を採択することを指導するよう求めてきたところでございますが、なお同一の教科書を採択するに至っていない、これが現状でございます。

 しかしながら、採択地区内の教育委員会において採択が分かれた場合、どの教育委員会の採択した教科書について国が無償措置を行うかについては……

○委員長(岸信夫君)  副大臣、答弁簡潔にお願いします。

○副大臣(森ゆうこ君)

 最終的には、費用を負担する文部科学省において判断をするものであるというふうに思っておりますので、そういうことで文部科学省として判断を示したというところでございますし、なお、憲法違反ということに関しては、それは当たらないということを申し上げたいと思います。

○山内徳信君

 文科省の今の答弁は間違っておると、沖縄側あるいは現地側は考えております。したがって、憲法二十六条の「義務教育は、これを無償とする。」と、こういうことをやってください。法律よりも憲法が上位であります。
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by lumokurago | 2011-11-02 11:19 | 沖縄

昔の手紙より

 古い手紙を読み返していてでてきました。私が子どもに対応する基本姿勢です。

*****

 私の職場ではみんな(=大人)が“仲良しごっこ”をやってます。表面的に波風を立てず、スムーズに人間関係を流していくために、自分の本当に思うことを見ようとせず、そのために人間らしさが失われています。私はそんな人たちと自分との間に“ガラス”があることを感じています。みんなと仲良くやるために人間として本当に大切なことを見失うことだけはしたくない。でも、大多数の人たちはつまらない表面的な“うまくやる”関係だけに目を奪われ、大切なことをないがしろにし、ますます自分を、人間を卑屈にし、自由とは全く逆の方向に流されていきます。なんということでしょうね。

 そう“卑屈”なのです。なんで本当のことを言わないの? 私たちはもっともっと求めていい。自由になりたい。自分の好きなことを思いっきりやりたいって。こんな世の中おかしいって。なんで本当のことを言えないの? 弱すぎるよ、あんたなんて! (この「あんた」はうちの職場の人とか大多数のそういう大人のこと)。

 ちょっと長くなるけど学童クラブであったことを書きます。

 今、4年生の男の子にHという子がいます。3年まで学童クラブに入っていました。4年になってクラブをやめましたが、毎日のように児童館に来ていました。児童館というのは子どもが自由に遊びに来るところで、私の学童クラブはその一室にあります。

 Hはあばれんぼうで乱暴な子で、母子家庭、お母さんは仕事で帰りが遅く、6年生のお姉ちゃんが夕食を作ったりしています。

 4月の中頃、Hたちはふざけて追いかけっこをしていて、中から窓のカギを閉められ、Hは外から窓ガラスを蹴って割りました。そのとき、私はHに「お母さんはHのために一生けんめいがんばっているんだから、あなたももうお母さんに心配かけないように自分のことは自分でやらなくちゃいけない」という話をし、その前から手の爪をすごくのばしていたことについて「危ないから自分で爪を切ってきなさい」と言いました。この爪については、職員がみんなで「切りなさい」と言っていたのですが、切らなかったのです。

 私は「子どもが爪をのばすのには心が不安定だったり、何かモヤモヤがあったり理由があり、それは大人が切れなどと言えば反発して切らなくなるだけだ」と言っていたのですが、他の職員は「理由なんかない。不潔なんだ。普通は大人に言われれば切るもんだ」と言って、子どもの気持ちをわかろうとしませんでした。

 私はガラスのことでHに話をした時も、はたしてこんな言い方で切ってくるかどうか全くわからなかったのですが、次の日、来た彼に「手は?」と聞いたら、きれいに爪を切った手をみせてにっこり笑ったので、「えらい!」と言って頭をこづいてやりました。

 それなのに他の職員たちは、ガラスの件とその子がいつも児童館のきまりを守らないことについて、母親と話す必要があると言い、しかし私は爪を切ってきた子どもの気持ちを大切にしたかったので反対しました。でも私の意見は通らず・・・私は子ども自身から母に話すために猶予期間がほしいと言い、子どもに事情を説明し、「あさって私がお母さんに電話するから、それまでにガラスのことを自分から言うように。正直に言った方がおこられないんだから」と言いました。その時、子どもは「わかった」と言ったのですが、結局は言わず。そして子どもに「お母さんに言うことになった」と知らせると、子どもの言ったことは「どうせ(自分から言っても言わなくても)おこられる」。

 私がお母さんに話したことは「爪を切ってきたことをほめてほしい」ということと、「もっと子どもと接してほしい」ということ。他の職員は「児童館のきまりを守るようにお母さんからも話してほしいと言ってくれた?」と聞いてましたが・・・へーンだ! “きまり”“きまり”ってうるせえな!

 Hは乱暴な子で私の言うことなんかちっともきかず、叱ろうとすると逃げたり、かみつたり、あばれたりするのですが、前にHを叱ろうとして逃げられた時、近くにいた女の子(Hのカノジョ)に「どうしてこうなんだろう?」と言ったら、その子は「Hはナベセン(私のこと)が好きなんだよ」と言いました。それで私はうれしかったのですが、いつもそんな乱暴ばかりするので、もっとすなおになってほしいと願っていました。そこに爪を切ってきたということがあって“関係が作れた”と思い、うれしかったのです。

 ところがその後Hは他の職員に「ババア」と言い、ひどく叱られました。この時彼はものすごくあばれ、職員は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」と言い、彼を押さえつけました。彼はおとなしくなってじーっとすわりつづけ、結局「失礼なことを言ってごめんなさい」と謝りました。その後、一度も児童館に来ません。

 職員は「たとえ80歳のおばあさんにだって“ババア”なんて言うのは失礼なことだ」という言い方をしていましたが、80歳のおばあさんにそう言うのと私たちに言うのとは質が違うと私は思います。私は子どもが“ババア”と言うのを叱りません。“ジジイ”と言い返したりしています。というのは、子どもがそういう憎まれ口をきくのは、親愛の情の表現という一面もあることがわかるからです。

 今、子どものことばは“冗談”“ゲーム”として使われることが多くて、そのなかには人を傷つける場合もあり、叱らなければならないこともあります。でも、私はある時点から、なにしろ子どもを受け入れることを第一に考えてきたので、“ババア”程度のことは許しています。そこまで叱ってしまうと、そういうことばは今の子どもたちのなかにあまりに多く氾濫しているのできりがないのです。

 子どもが「ナベセン、ナベセン、それはババア」とふしをつけて歌ったり、中学生(クラブと関係ない児童館に来る子)が、友だちに「このばあちゃん、生意気なんだぜ」と紹介したりすると、私はうれしくなってしまいます。児童館に来る子も、来れば「ワタナベ!」と呼んで、私だけにあいさつしたり、中学生になってまでなぐるまねをしてちょっかいをかけてくるのは、やはり私がどこか自分たちを受け入れてくれると思っているからなのでしょう。そういうことは子どもは敏感に感じ取ります。

 私は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」ということばを憎みます。大人は絶大なる権力を子どもに対して持っています。でも人間として子どもと対等であろうとする私は、いつもその大人の権力だけは行使すまいとしています。大人の方が強いなんて当たり前のことだ。だからこそ私たち大人はそのことを忘れずに、いつも弱い子どもの声を聞きとらなければならないのではないか。

 子どもにだって言い分はあります。“ババア”ということばを使った、その理由がある。子どもは幼いゆえにそのことをことばで説明できないならば、大人は子どもの気持ちを想像してやらなければならないと思う。大人なのだから。

 でもそうしようとする大人はほとんどいません。

 大人がいつも正しいわけではない。子どもが正しいこともある。こんな社会を容認している大人が正しいはずないもんね。

 私は大人の権力を行使してではなく、関係を作ることによって子どもと話し合いたいし、私の言うことを聞いてほしいと思っています。でも、子どもは私に「おまえの言うことなんかきかない。他の先生の言うことなら聞く」と言います。大人の権力に従わせられることに慣らされてきたからでしょう。私のような大人には初めて出会ったからでしょう。でも私はあきらめません。現に他の職員が誰も切らせることができなかった爪を、彼は自分で切ってきました。

 私は子どもに“なめられている”ことを誇りに思います。誰も私の言うことをきいてくれません。一緒にあばれる仲間だと思っているのです。仲間だと思ってくれることが私はうれしいです。ここから始めたいと思います。

 1989.7.8
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by lumokurago | 2011-11-01 19:00 | 昔のミニコミ誌より