暗川  


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小出裕章さんは子育てもまとも

 『原発・放射能 子どもが危ない』(小出裕章・黒部信一著 文春新書)を読みました。小出さんの感動的な記述を引用します。

***

 太郎、次郎、三四郎

 私はこれまで、3人の息子を迎えました。太郎、次郎、三四郎です。次郎は先天的な障害を背負って産まれてきました。生物体としては弱い存在で、残念ながら私は、次郎を守りきることができませんでした。弱い者に対して、世界はほんとうに残酷なのです。

 しかし、せめて社会的な面、つまり私たち大人が責任を負っている社会のありかたの面では、弱い者に対する差別や抑圧をなくしたい、と思います。そしてそれは本来、自分の子どもに対してだけではなく、世界中の、あらゆる弱い者たちへの行動でなければならないと思います。

 子どもを授かる前は、自分が子どもを持ってしまうと「この子は自分の子」「こっちの子は自分の子じゃない」というふうに区別するようになってしまうのが、私は怖かった。自分の子を特別視してはいけないと思いながら、現実にそうできるかどうか不安だったのです。

 だから私は、太郎、次郎、三四郎という、単なる順番以上の意味はない名前を彼らにつけました。親の思い入れを押しつけたくなかった。子どもは勝手に産まれてきて、勝手にその子の個性で育てばいいと思ったので、名前は考えない、勝手に育ってくれればいい、と。

 それでもやはり、自分の目の前に小さな生命がいる。私が抱かなければ、動くこともできない、そういう生き物がいるわけです。それをなんとか自立させなければいけないと思ったし、もしもここにいる命が何かに脅かされるようなことがあれば、私の命と引き換えでも守らなければいけないと思いました。

 だから私は、みなさんの「自分の子どもだけは放射能から守りたい」という気持ちはよくわかります。でもそれと同時に、もっともっと困難を背負った子どもたち、高い放射線に晒されている福島の子どもたちのことを、考えてほしいのです。

 そして、都会に住む人には、自分たちの生活のために過疎の地域の子どもたちが、原子力発電所の危険を押しつけられていることを、考えてほしいと思っています。

*****

 その通りである。子どもは親の所有物でも親の期待をかける対象でもない。子どもは親とは別人格であり、自分で育っていくのだ。勝手にいじくらないでくれよ、勝手な期待をかけるなよと叫んでいるのだ。もし子どもが子どものうちにそれを叫べずにいるなら、成人してからひずみが必ずでてくる。子どもは衣食住の世話をしてかわいがってやれば、あとは自分で決めて自分で自分を成長させていくのだ。親の勝手な思惑で子どもを縛らないで!!

 それに自分の子どもさえよければという考えで育てると、社会が絶対に悪くなる。悪くなった社会で生きていかなければならないのは、あなたの子どもである。

 子どもは親を選べない。放射能で汚染されてしまったが、過剰なモノに囲まれた日本で産まれた子どもも、アフガニスタンの戦火のなかで産まれた子どもも、ベトナムで枯葉剤の被害にあっている子どもも・・・世界中の子どもが平等なはず。もちろん日本国内で子どもを比較したり、競争させたりなど論外中の論外なのである。

*****

 再び小出さんの文章より。

 最後に、ひとつだけ。
 「子どもを産んでも大丈夫でしょうか?」

 そんな質問を最近よく受けます。福島の事故が起きてしまい、子どもを作ることをためらっている方が大勢いらっしゃるようです。

 しかし、子どもというものは、どんな時代だって、どんな社会だって、生まれてきたし、育っていくのです。戦争の最中でも、奴隷貿易時代のアフリカでも、今だったらたとえばパレスチナだって、子どもは産まれて育つのです。

 ですから私はこう答えます。

 「もし、子どもを産みたいと思うなら、ためらわずに、産んでください」

*****

 大賛成です。
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by lumokurago | 2011-12-10 11:24 | 子ども・教育

5回目の放射線治療 【追記】あり

 昨日、病院に行ってきました。9時に家をでて、午後から緊急でCTを取って放射線をかける場所の位置決めをしたので、帰りが遅くなって疲れ切りました。ずっと起きている(体を起こしている)と痛みが増すようです。車いすで診察室に入ったのでDr.Kが驚いてカルテに「車いす」と書いていました。肋骨の痛みは場所が移るので、いま痛いところにかけてもまた別なところが痛くなる可能性が大きいのですが、頭にかけるついでにいま痛い右胸にもかけることになりました。来週の火曜日から12月27日まで通わなければなりません。これまでに30グレイかけているので、計10回20グレイです。これで痛みが落ち着けば少しのあいだ復活できるのですが・・・。(この調子ー骨転移増大中ーだとまたほかが痛くなるんだろうなあ・・・)。

 3時すぎに帰宅。4時からヘルパーが来てお風呂に入り、掃除機の音もものともせず熟睡。もう一人で夕食の配膳をすることもできず(動くと痛いので)、妹の帰宅を待っていると、夕飯は8時過ぎになってしまいます。昼食後に飲んだ薬も切れ、食卓まで行けず、ベッドに運んできてもらっています。なんとか6時間おき位に食事ができるように(食後服薬)考えなければ。

 夜中にトイレに行くのがきついので、ベッド上で尿器を使おうと準備しました。ベッド上で尿器を使うのはなかなかむずかしく、練習がいります。私は26歳のときに股関節の手術をして、1ヶ月間ベッドから降りられなかったので、尿器を使う練習をしたことがあるのですが、1日がかりでやっとでました。根気がなくて途中であきらめてしまった隣りのベッドの患者は、手術後、尿がでなくてものすごい苦労を強いられました。
 
 2年前のやはり痛みのひどいときに尿器を使ったのですぐにでるかと思いきや、なかなかでなくて、もう一度練習しなおしです。でも、「尿器を使う」というアイデアが浮かぶのは股関節手術の体験があったおかげなので、人生、無駄なことはなにもないんだなという思いを強くしています。

【追記】 この記事を書いたらすぐにDr.Kから電話がかかってきました。

 1、CTを調べたら肋骨に転移はない。胸椎に転移があり、がんが神経を巻き込んでいるので胸が痛いのだろう。(Dr.Aの胸椎の転移による神経痛という診断が正しかったですね。私の話を聞いただけで、診察もせず画像もみていないのにすごい!)。
 2、その場所は前に放射線をかけたところの一つ上だが、前にかけたところ一つを重ねてかける。がんがとても大きいので、放射線で小さくなると胸椎がつぶれる。まっすぐにつぶれればよいのだが、斜めにつぶれると、そこから下に麻痺が起こる可能性がある。麻痺の兆候が現れたら、余命6ヵ月以上あると予想されれば、整形外科で24時間以内の緊急手術となる。いままでの経験ではこの手術を受けた患者は麻痺がでていない。
 3、麻痺がでるかどうか様子をみながら、1日おきに放射線をかけることにする。

 とのことで、12日月曜日からはじめるとのことでした。まあ、なんとかなるでしょう、とのん気な私は思うのでした。ただ、今回も年末年始の病院の休みにかかるのがちょっと心配。いざとなったら救急車かな。
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by lumokurago | 2011-12-10 08:54 | 転移がんの治療(無治療)

今日は遠方からお客様が

 みえたので更新はお休みです。元気ですからご心配なく。ただ顔面神経麻痺がひどくなり、目がつぶれなくてせっけんが入り、口が閉まらなくて気をつけないとお茶などがこぼれそうになるので、明日放射線治療をお願いしに行ってきます。
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by lumokurago | 2011-12-08 21:53 | きままながん患者

緩和ケア編 その3

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 こんにちは。また猫話になってしまいますが、チビはちょろちょろしてとても危ない猫です。一昨日は戸棚を運んでもらったときに、その下敷きになりかけ、昨日は電気がとれてしまったので、直してもらっているあいだに、紐にじゃれついて、なにかの拍子にしっぽに巻きついて、悲鳴をあげるはめに。抱き上げてすぐに取れましたが、しっぽが切れなくてよかった。私の手のひらは紐で何か所か切れてしまいました。このあいだの獣医さんの話だとしっぽの長い猫はしっぽが事故に遭いやすく危ないとのことでした。子どもでもちょろちょろしてケガが絶えない子どもがいますが、チビはまさにそれです。外にだしたら車にもじゃれついていきそう。動くものならなんにでも反応するので。そしてだれにでもなつくので、通りがかりの人間にもじゃれついて、かわいいので誘拐されそうです。それに対して兄ちゃんはお客さんが来ると隠れてでてこないので、安心です。

 一昨日、完全無治療のKさん(注:今度の「本」でお話をうかがっています)を訪ねてきました。神経因性疼痛で手がしびれて痛み、鍼師を呼んでいました。神経因性疼痛にはなんの薬も効かないそうで、そのことは近藤先生も認めているそうです。臓器転移はないのですが、手の痛みが耐えられなくなれば、セデーテョン(注:モルヒネの分量を増やして意識レベルを下げる。これを行うといずれ亡くなる)を行ってもらうつもりだと言っていました。A先生(Kさんの在宅医)はロキソニン、ボルタレンをばしばしだしていたそうです。それと「訳のわからない薬(精神薬だと思われる)」をたくさん飲まされ、頭もすっきりせず傾眠状態になって、ひどい目にあったと言っていました。ヒスロンを試すことになったときに、すべての薬は止めたそうです。その後9月頃からヒスロンを増量して飲んでいましたが、効き目がなく、やめたとのことでした。

 ボルタレンを試してみたらと言われましたが、網野先生はたぶん使っていらっしゃらないのですよね。また、彼女は乳房が最初から痛んだので何年もリン酸コデインを飲んでいたそうです(近藤先生の処方)。

 デュロテップMTパッチ2.1mgを10枚、リン酸コデインを20個、処方していただきたいので、よろしくお願いします。 渡辺容子  12.1


こんばんは。
ちびは母猫に可愛がられなかったので、
人間に懐くのでしょう。人間のほうがよい
のです。人間の怖さを教えられていません。
危険ですね。よろしく保護してください。
処方箋は明日送ります。
ボルタレンは消炎鎮痛剤の中では最も強く、
したがって副作用もつよいのです。ですから、
めったに処方しません。副作用で世界中の
多くの患者さんが死んだといわれます。
チバガイギーの内幕という告発本をよんでこのことを知りました。
以来、慎重になっています。
網野  12.1


 こんばんは。例の「本」(注:出版予定の拙著)についてKさんといろいろやりとりしたなかの一節です。(注:Kさんに掲載の許可を取っていないため、途中を要約します)。


★それと…、無治療も大事だけどね、「素人-がん入門」というのであれば、「痛み止め、鎮痛剤」の件にも触れておく必要があるのではないかと愚考します。
 ペインクリニック(麻酔科)の医者は診断を誤り、今、思えば、「神経因性疼痛」だったのだが、「患部との関連は考えにくい」と診断し、おかげで痛みに苦しんだ。
 その後も、A医師に効きもしないどころか、頭が朦朧とするばかりの薬品を「鎮痛補助薬」として飲まされ続け、しかも、「止めると痛くなりますよ」と脅され、結局、私自身も私のブレインであるべき人々も、私の傾眠傾向、思考力の極度の低下、記憶の混乱、無気力、倦怠感などを、「癌の特徴」と誤解し/させられ、薬を服用していなければ得られた筈の「普通の生活」を奪われたと、私は確信しています。ほら、普通は、死ぬまで、同じ薬を飲まされ続けるじゃない?
 でも、私は、「ヒスロン」を始めた時、バトルして、それまでの「鎮痛薬」を全て止めたからね、「使用前/使用後」が、バッチリ体感されているのです。
 世間では、今でも、「癌の痛みは取れます。薬を使いましょう!」みたいな初歩的レベルの医者が多いみたいだけど、上級者の振りして、A医師みたいに無用有害な薬をチャラチャラ出す輩もいる。
そして、「神経因性疼痛」は誰にも治せず、セデーションしか解決方法が存在しない(これは、近藤さんも認めている)。
 結局、痛みの件について、近藤さんの「闘うな」的なバイブル本(論理的指導書)が存在しない事が悔やまれます。「シッカリしろよ、良心的癌専門医/ホスピス医!」と、私は言いたいと思うよ。いい本、書けよってね!!
★それでは、また。K拝
 
 痛み止めについて、私が言えることは、自分の痛みの状態をよく感じて観察し、対処法を自分で考え、薬を選ぶ(もちろん医師の助けを借りながら)ということぐらいです。KさんがA先生に飲まされていた薬は慶応の麻酔科でだしていたガバペンなど(名前も忘れましたが)と同じ系列と思われます。それらはいまの緩和ケアでは「標準治療」になっていますね。ホスピスを訪ねたときにそのように言われました。でも、Kさんはそれらの薬で苦しんだし、私にも無用でした。

 緩和ケアについて(特に薬について)、先生こそが患者向け指導書(パンフでいいのです)を書くにふさわしい医者だと思いますが、考えてはいただけませんか?  渡辺容子  12.2


Kさんに大賛成ですね。
神経因性疼痛というのはinsidious pain
のことでしょうか。私のバイブル本は
Palliative Medicine,a case based Manual
(Neil Mcdonald著Oxford Medical Publications)
です。ずいぶん前に読んだのですが大変勉強に
なりました。このような本がすでに出ていますので
私の出る幕ではないと思います。患者のみなさんも
疑問点の解決に読まれるとよいでしょう。
本日処方箋おくりました。
網野  12.2


 えーっ! こんなむずかしい英語の本、患者には読めませんよ。A先生でさえロキソニンやボルタレンをばんばんだし、副作用で患者を苦しめても気づかない。Kさんだからバトルしてやめることができましたが、普通の患者は医者のいいなりでしょう。慶応の麻酔科はじめ普通の緩和ケア医は患者を苦しめたり、効き目のない薬を大量にだしている現状です。患者はだれを頼ったらいいのでしょうか。副作用の解説だけでも系統的な本があれば助かると思います。

 ところでロキソニンが市販されるようになったのですね。このあいだ薬局に行って知りました。市販されるまえから、腰痛にも歯痛にも頭痛にもなんにでもロキソニンが処方されていましたが(母の例)、副作用についての注意が足りないと思います。近藤先生はアメリカの統計に照らせば年間8000人が副作用死しているとおっしゃっていました。おそろしいことです。 渡辺容子  12.3


こんばんは。
とにかく一番まともな医者は近藤先生です。
彼が書くのがベストでしょう。ターミナルケアが
ルーズになっているのは事実です。現状は、
医者であればだれでもプロを名乗ることが
できます。癌専門病院の麻酔科にいたのが
権威とされている。これがまずい。
どうすべきか。確かに「しっかりしろよ」という
のもいいですが、医者はくだらない専門医制度を
作るのが関の山でしょうね。
やはり患者側から変えていくしかないように思います。
癌医療全般と同じですね。
英語の医学書は日本人の書いた日本語の関連本よりも
読みやすいと思っています。平易にかかれているのです。
ですから、中学生程度の英語力で十分なのですね。専門語は
読んでいるうちに覚えてくるでしょう。
緩和医療の基本は「薬は最小限でよい、WHOのような権威に
従順になるな、常識を疑え」ですね。
日本の麻薬消費量が欧米に比して少ないことから、大量投与が
さも進んでいる医療だと誤解されているように思っています。
他のくすりも同じでしょう。insidiouspainですと薬が効かないので、
むやみに大量になっていることが多いでしょう。私の経験では、
モルヒネもそんなに大量は必要ありません。効果のない場合は、
モルヒネの効かない病態を考えるべきですね。
薬の問題については大阪のドクター(名前わすれました、調べてください)がセンターを
つくってがんばっていますね。彼に疼痛ケアに特化した薬の
解説書を頼むとよいのではないでしょうか。
網野  12.3


 こんにちは。今日も暖かくて師走という実感が湧きません(もともとベッド上の生活なのであまり季節感はないのですが)。Kさんのベランダではもう水仙が咲きました。薬を飲んで治まっているから大丈夫と思い、(建て替えのため)荷物を片づけようとしたり重い物を持ったりすると、またすぐに痛くなるので、おとなしく横になっています。取ってあった最も古い本(20代で読んでいたもの)をかたっぱしから読んで処分しています。

 その大阪の医者は医療ビジランスセンター浜六郎さんですね。
 http://npojip.sakura.ne.jp/index.html

 モルヒネに関する本があったので注文しました。緩和ケアについて患者の側から変えていくのがむずかしいのは、そのことを考える頃にはかなり具合が悪くなっていたり、すぐに亡くなってしまうからではないでしょうか。私はまだ少し余力があるので、今度の「本」に入れられるかどうか、まじめに考えてみます。ありがとうございました。 渡辺容子  12.4

 
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by lumokurago | 2011-12-07 11:48 | Dr.Aとの往復メール

『内灘夫人』 五木寛之

 『内灘夫人』 五木寛之もずいぶん読んだが、残っていたのはこれ1冊。出版は1969年で私が読んだのは1976年、22歳のときである。

 石川県金沢市の「内灘」で米軍試射場反対闘争があったのは「昭和」27、8年頃のことらしい。つまり1952、3年、私が生まれる1、2年前だ。主人公の霧子=内灘夫人は大学時代、この闘争にかかわり、学生結婚した師であり同志であり恋人であった夫がいまは事業に成功、変節したことで、心が離れ、きままな有閑マダム暮らしをしている。表面的には堕落した怠惰な暮らしなのだが、心のうちではいまだに内灘闘争のころの純粋で充実した時間の記憶から離れられないのだ。

 霧子が生きる「いま」は内灘闘争から15年ほど後、1960年代後半の再び学生運動が盛り上がった時代である。霧子はむかしの自分と夫のようないまを生き生きと生きる学生と知り合う。彼らは生硬に権力に抗うのだが・・・。

 三木卓の解説より引用する。

 ――街頭におけるデモ行進や、反戦・平和の式典があるたびに最近のわたしを襲ってくる思いは、つまるところ、わたしたち政治に対する意志表示の行為が、わたしたちの生活を支えている場においてなされなければ本質的な力になり得ないだろう、ということである。戦後25年有余、日本の反体制運動があれだけ派手に闘ってきたにもかかわらず、日本の体制がともあれ着々と自らを発展させて来得たのはつまるところそういうことなのだろう。街頭でのデモなどが行われるが、それは職場からも家庭からも離脱したポイントで政治的行為が行われるということである。極端な話をすれば、軍需工場の職工は、殺人兵器を製造する手を休めて反戦集会に参加し、また戻ってくればその続きを作り始めるのだ。

 いわば、そのような意味において、日本の民衆の体制に対抗する政治的行為は、かなりの部分、<青春>の場を設定することによって成立し得たものであったのではないだろうかと思う。とすれば、それはいわば観念的な場であり、その人間の持続していくべき生に対して十分な影響を与え得ない、というのがまず普通であろう。もし与え得るとしたら、それは、その人間がその政治的行為を、政治を超えた魂の問題として自らが進んで深く受けとめようとした時である。しかし、そのことによってかれは破滅するかもしれない。

 『内灘夫人』のなかで、わたしの心に最も深くとどまったのは、霧子が自分たちの学生運動と時を隔てて現在ある学生運動を比較して考える終りに近いあたりである。彼女は、自分たちの戦いのほうに<もっと有機的な、みずみずしい、青春という爽やかな果実の匂いが漂っていたのではなかろうか>と思い、若い恋人である<克己たちの戦いは、すでに政治の裡の姿をむき出しにして、コンクリートの荒野で戦っている感じがする><彼らの青春は、最初からその荒涼たる灰色の世界に投げ出されているのだ>と考える。そして<その灰色の世界を作っているのは、それは取りもなおさず、このわたしたちだ、という気が>するのである。

 ここにわたしは、われわれの国の歴史の、のがれることの困難なひとつの構図があると思う。それはわれわれに痛みをもたらさないではいない。現に1950年、60年、70年に大きな結節点のあるこの国の戦後の歩みを見ても、この酸鼻の構図から免れてはいないし、また未来をのぞき見ても未だに一すじの可能性もわたしには感じられない。挫折したものは乗り越えられるべき屍体となるのではなく、その敵対する側にまわってしまうのだ。積極的か消極的かの差はあり、それは同一視はできないものの、この円環をどこかで断ち切ることがない限り、この世界の質を変革することはむずかしいのだ。後略――


 戦後66年たった現在、「日本の反体制運動があれだけ派手に闘ってきた」ことを知る者すらほとんどいないであろう。私もその一人だ。三木の解説に「学生運動は青春の自己証明の一つの方法としていつの時代にもあった」とあるが、私の学生時代(戦後35年頃)にすでにそんなものは消滅していた。内ゲバしかなかったのだから。「その灰色の世界」を作ったのは、霧子らの世代であり、そのまた下の「全共闘」と言われる世代である。(いつも言っているように私は「全共闘」世代を恨んでいる)。

 いま、原発事故のおかげで(まさに「おかげで」)古い世代の「夢」が再び活気づいてきた。「政治」にどっぷりつかった彼らは、ほんとうに純粋な気持ちから反原発の運動をしているのか? どこかに新しく登場したお母さんたちや若者たちを自分たちの「政治」や「運動」に利用しようという下心があるのではないか?

 話がずれたが、青春に囚われ、夫の経済力に頼って有閑マダムをやっていた霧子は、小説の最後に内灘(金沢)で仕事を探し、汗水たらして働くことを始めようとするのである。人間の「生活」を。

 「おそすぎた出発だが、出来る限り遠くまで行ってみよう、と、心の中で呟きながら、霧子は風に逆らう1本の樹のように、いつまでも夜の中に立ちつくしていた」・・・これがラストです。



 
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by lumokurago | 2011-12-06 12:00 | 本(book)

私の痛みには寝ているのが一番

 朝食前などのヤクの切れ目が痛いんですよねえ。夕食前も切れたはずなんだけど(食後飲むので)、横になっている間はまったく痛みはなく、起きてご飯を食べ始めたら猛烈に痛くなった。ご飯を食べ終えて、ヤクを入れ「ギャアギャアギャア、痛い痛い」と言いながらベッドまでたどりつき(10歩ほどなんだけど)、横になっていたら、痛みは消えた。それでも起きあがる気力がなかったのだが、貼り薬の麻薬の貼り替え日(3日ごと)なので、仕方なく起きあがって貼り替えたところ。

 いま猛烈に痛いのは右の胸(肋骨)だが、私の痛みは体重がかかるとでるらしいことを数日前に発見。痛みどめが効いているからと、動いたり物を持ち上げたりすると、痛くなる。横になっている分にはまったく痛くない。

 それで横になって本ばかり読んでいるのです。
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by lumokurago | 2011-12-05 21:59 | 転移がんの治療(無治療)

終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案

終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案

読売新聞 12月5日(月)1時29分配信

 高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給は、延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、中止したりできるとする医療・介護従事者向けの指針案が4日、東京大学(東京・文京区)で開かれた日本老年医学会のシンポジウムで発表された。

 近年、口で食べられない高齢者に胃に管で栄養を送る胃ろうが普及し、認知症末期の寝たきり患者でも何年も生きられる例が増えた反面、そのような延命が必ずしも本人のためになっていないとの声が介護現場を中心に増えている。

 そこで、同学会内の作業部会(代表・甲斐一郎東大教授)が試案を作成した。広く意見を募って修正し、来年夏までには同学会の指針としてまとめるという。

*****

 これもよかった! 少しずつであっても人間的になってくるのか・・・。

 
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by lumokurago | 2011-12-05 12:01 | 父・母・介護

教科書採択、市町村ごと容認…法改正を検討

教科書採択、市町村ごと容認…法改正を検討

読売新聞 12月5日(月)3時4分配信

 文部科学省は、小中学校で使う教科書の採択を巡り、複数の市町村からなる広域地区では同じ教科書を使うことを定めた共同採択制度について、市町村ごとの単独採択を容認する方向で検討に入った。

 省内の有識者会議での検討を経て、教科書無償措置法を改正したい考えだ。

 地方教育行政法では、教科書採択の権限は市町村教育委員会にある。しかし、教科書無償措置法は国が教科書を無償供与する前提として、市や複数の市町村で採択地区を設定し、共同採択するよう求めている。

 共同採択制度には地域の教師に教材の共同研究をしやすくさせるなどの狙いがある。採択地区は5月現在、全国で582地区あり、横浜市、さいたま市などの大都市を除き、大半は複数市町村で構成している。

*****

 よかった!
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by lumokurago | 2011-12-05 08:49 | 沖縄

柴田翔

 柴田翔を読んだきっかけはなんだったのか、何も覚えていない。が、4冊も取ってあったことを思えば、当時(20代前半)は傾倒していたと思われる。

 『されど われらが日々――』 この本の奥付 1977年 (出版「昭和」39年)
 『鳥の影』 出版「昭和」46年
 『贈る言葉』 出版「昭和」46年
 『立ち尽くす明日』  出版「昭和」50年

 『鳥の影』の加賀乙彦の解説より引用する。

 ――若い頃の希望や夢は、いつかは破れていく。その希望や夢が明るく大きいものであればあるほど挫折の傷は深い。柴田翔を読むとき、そこには、失われた青春とそのことに傷ついた人間たちがよく現われてくる。その傷を癒す手立ては若い頃にも現在にもどこにもない。行く手には袋小路がひかえるのみ、といった状況をこの小説家は執拗に描いている。

 作品のある部分が、作者の核となる気分や興味を鮮明に映し出すことがある。たとえば、『贈る言葉』の主人公の女子学生は、メーデーに参加をしている嬉々とした学友たちを見て次のように言う。

 「それは、どんなにいいことだろうかって思うの。あんなに明るく、自分のしていることは正しいんだ、それは誰にも否定できないことだって、信じていられるとしたら。だけど、いつか、あの人たちだって気づかない訳には行かないのよ。私たちは決してそんなに明るい社会になんか暮らしてはいないってことに。私たちのまわりの社会派、決して、将来へ向って進んでなど行かない。それは、暗く、陰気で、精一杯に生きて行こうとする人の心の願いなど、少しもかえりみようとはしない社会なんだ。そこでは、もっとmずるく、もっと、頑なに、ただひたすら自分に執着するほか、生きていく方法なんかありはしないんだってことに。そして、あの人たちがそれに気づいた時は、もう総て手遅れなんだわ。その時は、自分を捨てて、死んだように生きていくほかはないのよ」

 ここに柴田翔という小説家の重要な傾向が要約されている。――

 もう一つ、私が当時書き写した文章がある。

 「人生への強烈な関心というものは、おそらく、その強烈さに見合うだけの、一つの思い込みにも似た強烈な観念、例えば永久革命、例えば永遠の反抗、更には絶対的愛、絶対の自由、純粋な性といった強烈な観念に、転化することなしには、存在しつづけることができない。それらの観念はみな「絶対」あるいはそれに準ずる形容詞を要求するのであって、つまるところはただ一つ、漸く始められた人生を力の限り生きたいと願う若い人間のあがきなのだ。だが、そうやって形成された排他的な観念は、自己の強烈さに見合うだけの対象を、この世界に発見できない。それゆえ、あまりに強い関心を人生に懐くものは、必然的に、身のまわりの事柄には全く興味が持てず、自分をごまかして二十日ねずみのように空虚な行動の車を踏みつづけるか、あるいは、外見的には完全な無関心、無気力のうちに陥ってしまう他はない」

 若い男女の関係や「結婚」「家族」にひそむほころび、幻想や矛盾、打算もいやというほど書かれている。『されど われらが日々――』の最後に主人公の女性が自分の生き方を求めて旅立っていくところにとても共感した20代の私だった。
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by lumokurago | 2011-12-04 16:25 | 本(book)

内海さんの写真より

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by lumokurago | 2011-12-04 10:58 | 花 ・樹(flowers&trees)