暗川  


写真日記
by lumokurago
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この格好、どうなってるの?

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 やはり余裕がないので、猫写真でごまかしておきます。今日、ミュウがベランダにでて、屋根のひさしから飛び降り、脱走しました。ミュウをつかまえようとしているあいだに、ニイニも脱走。ニイニはすぐに自分から入ってきたのですが、ミュウははたきにもだまされず、1時間位外を満喫しました。ちゃんと帰ってきたので安心しました。ミュウのいないあいだ、ニイニは2階にも行ったり来たりして、必死で探していました。

 もともと紅白はみていませんが、テレビが映らないので、ますます静か。経産省前で年越ししてるみたいだけど、座っているのが大変なので、これで失礼します。
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# by lumokurago | 2011-12-31 20:46 | ねこと鳥 (cats&birds)

原発アンケートの回答一覧

 この記事(人を人とも思わない卑劣な区議)のつづきです。プロテアさんが宮澤さんが区議のみなさんに送ったメールを掲載しているので、ここではアンケートへの回答一覧を載せます。


原発に杉並区議アンケート(略)への回答等の状況一覧 2011.12.27現在

回答順№ 回答着日 氏名 回答 送付方法 受領 返信発送日 備考

1 11/9 井口留守電 11/15家族の死により回答不可との留守電/返事のはがきに「勤め人は1週間の忌引き明けには働かねばなりません。待つので、必ずご回答を。と記載。

2 11/11 奥山たえこ 郵便11/13 「お立替送料及びコピー代として」として160円分の切手が同封されてきた。

3 11/11 けしば誠一 郵便11/13 両面プリンとの片面を見逃し、再度依頼

4 11/15くろぬりさん 郵便 不可 通し番号を黒く塗りつぶし、行の字をそのまま様に変えて返送されてきた。

5 11/19 大和田伸 ファクス 会派として回答との連絡

6 11/2 6杉並自民区政クラブ 郵便 11/30 大和田、今井、脇坂、藤本、井口、小泉、田中、浅井、大熊、岩田、富本、(政調担当岩田いくまとの記載)

7 11/26 曽根文子 郵便 11/30

8 11/26 さいとう恒男 郵便 11/30 手紙のみ。会派として回答。同感との共鳴私信(ちなみに12/27現在会派としての回答はなし)

9 11/28 小松久子 郵便 12/1

10 11/29 横田政直持参 12/1 締切間に合わないと思い、夜8時ころ持参された。

11 11/30 日本共産党杉並区議団 ファクス 11/30 「6人全員の回答として返信するものです」との記載

12 11/30 新城せつこ 速達郵便 11/30

13 11/30 杉並区議会公明党 郵便 12/1 島田、横山、渡辺、大槻、川原口、北、中村、山本の連名。未使用封筒と使用しようとして糊付けしてしまった横山分80円切手同封

14 12/1 市橋綾子 郵便 12/5

15 12/1 山本明美 郵便 12/5

16 12/3 堀部やすし 郵便 12/5 簡易書留のため12/1着であったが留守のため受け取れず12/3に再配達で受け取る

17 12/3 小川宗次郎 速達郵便 12/5 真ん中ページ無回答返送督促発送12/5  12/14再送受理 返信12/27

18 12/20 すぐろ奈緒 郵便 12/27

19 12/24 河津利恵子 郵便 12/27

20 12/27 市来とも子 メール 12/28 郵便届かずとのことでメール添付で送ったものへの返信 ちなみに郵便の戻りは一通もなし。

【注釈】
・発送区議47名=単独回答13名、会派回答25名 無回答9名
・無回答=創新all2、自民区議団all3、共に生きる杉並all1、民主・社民クラブ一部3
松浦芳子(創新)、木梨もりよし(共に生きる杉並)、佐々木浩(創新)、山下かずあき(民主・社民クラブ)
増田裕一(民主・社民クラブ)、吉田あい(自民区議団)、安斉あきら(民主・社民クラブ)、
大泉時男(自民区議団)、斉藤常男(自民区議団)


 渡辺より:このなかに私たちが「黒塗りはこいつだろう」と想像した人が入っています。想像にすぎないので言いませんがね。
*****

 まったく静かな年末にしたかったのに、どうしてこんなことしなくちゃいけないのか! まじめな数人を除き、区議会議員いらない! それに「会派」で同じ意見にしなければならないのはなぜなのか? なぜおおぜいがまとまらなければ議会に影響力を持てないのか? 少数派や「ひとり」の意見は無視されるのか? 多数が正しいというわけではない。多数は「カネ」に目をくらまされているだけ。少数こそが正しいのだ。小出さん、近藤誠を見よ!

 怒って終るのはいやなので、もう一度あとで更新します。などと言っても、また怒って終わることになるかもしれないが・・・。




 
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# by lumokurago | 2011-12-31 12:33 | 杉並区

なかなか長くは座っていられません

 放射線治療8回を終えましたが(まだ明日1回あり)、激痛はなくなったものの、長い時間ベッド上に座っていることが困難です。メールをくださったかたにも個別に返信することがむずかしくなっています。そのかたがたはブログはみていなそうですが、ここでお知らせしておきます。ごめんなさい。

 『邪宗門』の感想を書くのはたいへんだし、1回読んだだけでは全貌がつかめないので、2回目、読み始めました。でびさんにいただいた本の感想もあるのですが、しばらくお待ちください。

 みなさま、よいお年をお迎えください。(ブログをみていない人のほうが多いので、ここで言っても意味がないのですが、年賀状は失礼します)。
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# by lumokurago | 2011-12-29 20:02 | 転移がんの治療(無治療)

仲良しになったのか? 

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 それともあったかいからくっついているだけか? ここ5日ほど、ミュウがはじめての「さかり」で、昼も夜も「ナオナオアオアオ」と鳴きつづけていました。去勢したニイニイはまったく反応なし。チャーちゃんはこれから去勢しなければと思っていたところなのに、これまたまったく反応なし。ミュウがどんなに大声で鳴いて、うちじゅう、オスを探しまわっても、知らんぷりでぐっすりなのです。

 えー! どうして?
 
 不思議ですが、どこかのだれかさんが去勢手術をしたとしか思えないのです。そう言えば、最近マーキングもしないし、穏やかになり、ますます太ってきたように感じます。どうなってるの? 今度、獣医さんに確かめてみます。ミュウには子どもを産ませたかったけど、貰い手探しが大変なので、無理。年が明けたら獣医さんに連れていくことになりました。
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 ニイニイはいつも私の布団です。
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# by lumokurago | 2011-12-28 20:07 | ねこと鳥 (cats&birds)

チャーちゃん、完全にうちの猫の仲間入り

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 夜はお部屋のなかで眠っています。ただ、妹が一緒に寝て、11時とか4時、5時にチャー吉を入れたり出したり・・・。Dr.Kが「犬の奴隷」なら、妹は「猫の奴隷」か! 大変すぎです。
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# by lumokurago | 2011-12-27 21:45 | ねこと鳥 (cats&birds)

君が代の思い出

 
 昨日、うちでクリスマスにかこつけたパーティがありました。そこにジョニーHさんがみえ、この歌を歌ってくれたので、思い出話をします。

 私が1976年にはじめて就職した高井戸学童クラブでは、学校行事などをみにいくことを思いつかないほど、子どもとも父母とも信頼しあっていたので、入学式、卒業式、運動会、学芸会などには1度も行ったことがありません。日の丸君が代がどうなっていたかも不明ですが、まあ、なかったでしょうね。

 次の職場、宮前学童クラブに異動したのは、7年後の1983年。ここ高井戸第二小学校は「アカ二」と言われるほど組合が強かったので、プールの検定もなく、水着も赤でも黄色でも自由でした。高二には障害児学級がありましたが、普通学級との交流もさかんでした。このときは校長先生に招待されて、何度か卒業式に行きました。もちろん日の丸君が代はなく、子どもとのつきあいが深い学童クラブ職員が来賓の先頭で、形式的に招待している教育委員会、町内会会長や区議会議員は後の方でした。とても心のこもった卒業式を行っていました。

 次に異動したのは4年後の1987年、宮前北学童クラブで、荻窪小学校でした。この学校は「アカ」ではありませんでした。プールに検定があり、水着も紺色のスクール水着に統一されていました。まず、君が代ではないのですが、就学時健診の当日、障害児を障害児学級や養護学校に振り分けるため=障害児発見のために行われている「就学時健診」の目的を説明し、受けるのを止めましょうという趣旨のビラを、私は休暇を取って、校門の外で父母たちにまいていました。

 ビラを全部まきおわり、職場に戻ったところ、館長が「話がある」と言います。学校から「お宅の職員が校門でビラをまいている。迷惑だからやめさせてくれ」という電話がかかってきたというのです。驚きました。本人に言えばいいものを、本人には一言も言わずに、わざわざ館長に電話するとは! 

 館長はこのとき、「渡辺さんの『迷惑』は真摯だから『迷惑』じゃない」という手紙をくれました。

 2年後の1989年、卒業式に私が出席することになったのですが、来賓席に座ると事が大きくなると思い、父母席の一番後ろに座りました。この小学校ではすでに卒業式に日の丸君が代を導入しており、私はそのことを知っていたのです。私は君が代で起立しませんでした。まわりの父母はみんな立っていたので、見えないと思ったのですが・・・。

 学校から怒鳴りこんできたと思いますか? いいえ、まったく逆に校長が神妙にわざわざ菓子折りまで持って、児童館に来て、館長(まえの人とは違う人)に、「お宅の職員が君が代で起立しなかったが、学校では問題にしないから」と言いに来たのです。どういう意味? 完全に不明です。

 そのときの館長は気の小さい事務方の男性(専門職ではなく、区からまわされてくる)で、なにか気がかりなことが起こりそうになると、「鶴亀鶴亀(面倒なことが何事も起こりませんように)」とまじないを唱える癖がありました。それは毎日のことでした。子どもも覚えてしまって、その年の文集の館長の文章の下に、鶴と亀の絵を描いていました。

 このときも、校長が帰ったら館長は「鶴亀鶴亀」と唱え、「渡辺さんの『迷惑』は真摯」だとは言いませんでした。ちなみに、この館長は女性職員をアメリカ女性に例えればだれかといって、職員の受けを狙おうとしていたのですが、私の同僚は「ベティ」、私は「ヒラリー」でした。私がこわかったのかもしれませんね。

 さて、ここからが大事なところです。

 そのまた次に、私は「アカ二」だった小学校の学童クラブに戻りました。1994年のことです。この頃、日の丸君が代の押し付けが始まっていたのでしょうか。先生たちは工夫に工夫を重ねていました。年ごとにおいつめられつつ、それでもできるだけ子どもには聞かせたくないという思いだったようです。最初の変化は前の年までまったくなかった日の丸が校庭の国旗掲揚塔になるべく目立たないように挙げられ、子どもが入場するまえに音楽のみの君が代が流れました。が、「起立」の声はなかったと思います。次の年は、校門に日の丸、歌の君が代を流し、そのまた次の年は、式場正面に広げて貼るのではなく、隅っこのポールに下げ・・・やがては君が代も歌わせるという具合です。

 私が出席したときは、子どもの入場前に曲を流すというやり方でしたが、「起立」という号令がかかりました。私はとっさに、「起立しなくてもいいんですよ。するかしないかは自由です」と大声で言いました。そうしたら「自由でいいんですか」というようにざわめいて、起立しない父母がちらほらありました。このときは、校長が館長に菓子折りを持ってくることもありませんでした。校長はともかく、先生たちは支持してくれたのでしょう。でもそれ以来、卒業式には出席していません。

 1999年に国旗国歌法が制定され、当時の小渕首相は「義務付けはしない」と答弁したが、2003年に10.23通達(都教委による事実上の教員への日の丸君が代強制の通達)がでて、起立しない教員は処分されるようになりました。本土の捨て石にされた沖縄や自由を誇った都立高校での日の丸の掲揚率、君が代の斉唱率もほぼ100%に。

 いま、調子に乗った大阪市長は教育基本条例設置を叫び、石原都知事も「教育を破壊する」と言っています。

 先生たちの1人、2人ではなく、8割、9割が拒否すれば(ほんとうはその考えの人がほとんどなのですからね)止めることができたと思うのですが・・・。だってそんなに大ぜいをクビにしたら、学校は次の日から困るのですから。それにそんなに大ぜいが裁判を起こせば裁判所ばパンクしたかも!

 しかし、ここでも人間は弱いのでしょう。「教え子を再び戦場に送るな」と言ったのはだれでしたっけ? 同じ苦しみを繰り返すことがわかっているのに、よくも平気でいられるなあ。

 やっぱり、人間、性悪説か・・・。性弱説か・・・。
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# by lumokurago | 2011-12-26 19:50 | 社会(society)

試写会での挨拶

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 110名ものお客様で超満員に。
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 顔面神経麻痺のため、口がうまくまわりません。

 本日は暮れの忙しいなか、こんなにおおぜいのみなさまにお集まりいただきまして、ありがとうございます。まず、私の病状ですが、映画のなかにもでてきましたが、耳の近くにある蝸牛骨のそばを通っている顔面神経を、転移したがんが圧迫しているために起こる顔面神経麻痺が、再びひどくなったため、放射線をかけています。

 もう1か所、胸椎(背骨)に20回の予定でかけはじめました。これは9月はじめ頃から背中が痛くなり、痛い場所は右から左、背中から胸と移っていたのですが、胸椎への転移が大きくなって脊髄を巻き込んで神経痛を起こしているということで、行なっています。

 骨転移というのは、がんが成長するために骨を溶かして、できたすきまを埋めていくんですね。だから骨がもろくなって折れやすくなっています。今回放射線をかけている転移は大きいので、がんが放射線で小さくなると、胸椎が空洞になっているわけだから、それがつぶれることになります。まっすぐにつぶれればいいけれど、斜めにつぶれるとそこから下の部分に麻痺がおこるそうで、その場合、24時間以内に緊急手術を行なうと麻痺を防げるそうです。

 通常、放射線治療は毎日行なうのですが、麻痺がおこるかどうか様子をみながら1日おきに行なっています。途中で麻痺がおこらなければですが、来年の1月いっぱいくらい治療がつづくことになります。まあ、麻痺がおこると言っても5割にも起こるわけではなく1割か2割だそうなので、そんなに神経質になる必要はないと思います。

 肺と肝臓にも転移があるのですが、肺転移にはホルモン剤がよく効いて、いまのところCTにも映らないほどに小さくなっています。肝転移はホルモン剤があまり効かないらしく、64ミリの大きさになっています。肝転移に放射線をかければ延命できるということなのですが、延命しているあいだに骨転移が育ってくると、またひどい痛みがでたり、麻痺がでたりするかもしれないので、延命するかしないかは人生観の問題ということになります。

 さて、この映画ですが、ひょんなことからビデオプレスの佐々木さん、松原さんと知り合って、こんな映画を作っていただいて、とてもうれしく思っています。私はもともと寡黙なうえ、学童クラブで働いていて、子どもや保護者の話を聞くことが仕事だったということもあって、ふだんから人の話を聞く立場になることが多いのです。人の話を聞くことは得意です。私は若い頃から個人通信をつくりつづけ、ものすごい量の文章を書いてきた、書くことで自己表現してきたということはあるのですが、「話す」ということはあまりなかったと思います。それで今回インタビューを受け、自分のことを話せるのがうれしくて楽しくてしかたがありませんでした。自分のことを思いきり話せるというのは快感ですね。

 私は「主権実現の手段としての裁判」という、香川県在住の生田暉雄弁護士が提唱する本人訴訟で杉並区の教育裁判をたくさんやっています。ちょっと裁判の宣伝になってすみません。国民主権と言っても、選挙に行くのは3割から4割しかいないし。デモに行く人はほんの一握りです。主権を行使する手段としては裁判という方法もあるんですね。本人訴訟の裁判というのは、弁護士に依頼せず、自分たちで訴状や準備書面を書くので、お金はかかりません。印紙代の13000円だけです。安倍元首相を訴えたりもしたのですが、法廷で口頭陳述すると、主権は自分にあると実感することができます。それはすごい開放感なんですね。この映画で自分のことを話したのも、同じくらい気持が開放されました。近藤先生はテレやなのか、自分がでている映画とか番組は見たくないとおっしゃっていましたが、私は目立ちたがり屋らしく、喜んで見ました。

 なによりうれしいのは、日本の医学界全体を敵にまわして真実を訴え続けてきた異端の医師である近藤誠の理論を広めることができることです。彼はあと2年で定年退職を迎えます。彼は35年以上の医者生活で、患者を診ながら勉強に勉強を重ねた結果、「がんは無治療がいい」という世間から見れば衝撃的な結論にたどりつきました。彼は勉強が大好きで、勉強が趣味なんですね。そうやって勉強してきて、たどりついた真実を微力ながら広めることができたらと思っています。

 やはり「がんは治る」という本はウソでも売れるけれど、私の本のような「治らないものはあきらめよう」などという本は売れませんからね。宣伝しておきますけれど、近藤先生は来年、「がんは無治療のほうが長生きできる」という本をだすそうです。私も前著をもっとやさしく解説し、医療信仰や過剰医療を批判した、読みやすいはずの本をだすことになっています。

  「乳がん 後悔しない治療」を読んでくれて、乳がんがみつかったけれども無治療を選択した人が2人もいるんですよ。乳がん自体では死ぬことはなく、いまはピンピンしているのに、治療すれば抗がん剤も勧められ、リンパ節廓清などしてしまうとリンパ浮腫になる恐れがでて、いまの快適な生活が壊され、やりたいこともできなくなってしまうということなのです。一人のかたは農業をやっているのですが、「20年後生存率」よりも、「5年間幸せ率」を選んだそうです。一度変な医者にかかってしまうと、「抗がん剤をやらないと何年以内に再発する」などと脅されてバトルも大変ですからね。彼女はがんが大きくなって生活に支障がでたり、転移したときに、自分の考え方を理解してくれる医者がいるのかを心配しています。だから、小さいうちにしこりだけ切り取ってしまう選択肢もあるよ、近藤先生が定年退職するまえでないと、そういう対処法を認めてくれる外科医もいなくなってしまうかもしれないから、あと1年位様子をみて、大きくなるようなら考えてみたらと言ってあります。それは乳がんが命に関係ない乳房のがんだからできる対処法です。内臓のがんであれば、そういう小さい手術でも後遺症がでる恐れがあるので、何もしないほうがいいです。

 この映画をみてくださったかたが、行き過ぎである現代医療に疑問をもち、医者のいいなりにならずに自分で勉強して、がんには「無治療」という選択があるのだということをわかってくださればと思います。

 先日、亡くなった絵本作家の佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」を読みました。佐野さんは私と同じ乳がんの骨転移で苦労したみたいです。言いたいことをはっきり言う(書く)かたで、これも痛快なエッセイとされているのですが、がんに対してはかなりおおざっぱな性格ではないかと思わせられます。書かれたことから推測するだけですが、どうもがんについて何も勉強せず、医者のいいなりになっていたようなのです。点滴されている薬の名まえも知らず、名まえはわかっていても何の薬なのか知らなかったという記述があります。佐野さんが質問しないのも悪いですが、それ以前に医者がちゃんと説明していません。頭がツルッパゲになった点滴注射も何の薬なのか知らないのです。佐野さんが「なんの薬ですか?」と質問すると、医者は「佐野さんは延命治療を望んでいないけど、ぼくは佐野さんには長生きしてもらいたい」などといって煙に巻こうとしました。意地悪を言うようですが、患者が長生きすれば薬が売れますからね。医者の言うことを正直に受けとってはいけません。この部分の記述はかなり省略されているのですが、その点滴は抗がん剤で、佐野さんに知らせず医者が勝手にやっていたとしか考えられません。こんなことが許されるのでしょうか? 患者が延命治療を望んでいないことを知りながら、勝手に抗がん剤を点滴するなんて。それに佐野さんが何の薬か知らないと書いていた「ハーセプチン」も抗がん剤の一種なのです。これも勝手に点滴するなんてひどいんじゃありませんか? 副作用もあるのに、説明もしない。患者の人権無視です。

 この本に載っている二つ目のエッセイ「知らなかった」はもっとまえ(1998年)に書かれたものだということなのですが、「もう病院には行きたくない。薬は怖い。医者は信用できない」という言葉が何度もでてきます。なんの説明もないので、はじめ読んだときは、このエッセイも乳がんになって書かれたものと思いましたが、どう考えてもつじつまが合わないので、よくよく読み返してみたら、乳がんになるまえにかかった、数万倍もつらかったという神経症のことのようです。ここでは「もう病院には行きたくない。薬は怖い。医者は信用できない」と何度も書いているのに、乳がんになってからは医者のいいなりになっているのはどういう心境の変化なのでしょうか。何も書かれていないのでわかりませんが、別の病気であっても、一度病院、薬、医者に対する正しい認識―薬は怖い、医者は信用できないというのが正しい認識なのです―を身に付けたのに、それをなぜか覆してしまったのが残念です。

 亡くなった佐野さんを悪く言うつもりはありません。でも医者がひどすぎなのに、自分を守ることができていません。命を救うはずの医者が信用できず、患者が自分で勉強するしかないというのもひどい話ですが、原子力発電所の事故にしても起こるべくして起きたもので、多数派の学者や政府はいままで国民をだましていたのですから、同じことです。この事故で国民も自分の身は自分で守らなければならないということに気づきました。原子力をめぐる利権の構造が「原子力ムラ」と呼ばれるようになりましたが、医療の世界も同じです。薬や検査をめぐる利権の構造があるのです。近藤先生は原発事故のまえに「抗がん剤ワールド」という表現をしています。抗がん剤も儲かるんですね。

 さて、今日は遠くから来てくださったみなさまにお別れを言うつもりででてきました。すぐに死ぬというわけではないかもしれませんが、骨転移がひどくなると外出がむずかしくなると思います。

 私の一生はとても幸せな一生でした。やりたいことをやりたい放題やってきて、何の後悔もありません。多くの友人と交流し、仕事では子どもたちに力をもらい、充実した毎日を過ごしてきました。一昨年、「余命1年」と言われたときに、友人が全国から会いに来てくれ、生前追悼文集もつくりました。それで十分ですので、お葬式はやりません。うちにお焼香にきてくださるのも御遠慮申し上げます。うちでは私も妹も無宗教で、両親の命日にもお線香をあげません。お花も猫がいたずらしてしまうので、御遠慮申し上げます。もちろんお香典も。お金は生きている人のために使いましょう。

 葬式はやりませんが、なにかのときに、社交辞令でも「若すぎた」なんて言わないでくださいね。世界中ではいまも二秒だかに一人の子どもが死んでいます。日本だけを考えれば少し早いかもしれません。でも世界的にみれば60歳近くまで生きたらもう大往生なのです。それから「無念だっただろう」とか「やり残したこと」がどうのとかも言わないでください。そんな気持ちはまったくありませんので。

 そうですね。あと一つやりたいことがあるとすれば、学童クラブの仕事を約30年間してきて、子どもたちのことを思い切り話すことかな。中間まとめの本はだしたのですが、その後の子どもたちのことも話したいです。いま、どんなに子どもたちが大人から迫害されているかを。どなたか興味のあるかたが講演会を企画してくだされば大喜びで話します。1回ではとても終わらないので、連続講座にしましょう。

 骨は砕いて、計画的避難区域になってしまった福島県川俣町山木屋の牧場にまいてもらうように頼んであります。私の心のふるさとである牧場です。ここは牧場主が「花咲き、鳥の鳴くでんでら野」にするつもりだったのですが、汚染されたためにできなくなってしまいました。いずれは開墾するまえの森に戻るだろうということです。

 私のことはすぐに忘れてくださってかまいません。生きているあいだが大事なのです。生きている「たった一人の人」を大事にしてください。「たった一人」からすべてははじまるのです。「たった一人」が世界につながるのです。これが遺言です。今日はどうもありがとうございました。

*****

 通路に座る人がでるほどおおぜいの方が来てくださって、アンケートの内容も「ほめすぎでは?」と思うものばかり(ごめんなさい)。こんな私ですので、ご批判があれば遠慮なくどうぞ!

 と憎まれ口をきいていますが、ほめられるのはいくつになってもうれしいですね。とてもとてもうれしかったです。一番の遠方は三重県からのお客様ではないでしょうか。遠いところ、ありがとうございました。メールもたくさんいただきましたが、これでみなさまへのお礼に代えさせていただきます。ほんとうにありがとうございました。

 レイバーネットに掲載された報告はこちらです
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# by lumokurago | 2011-12-24 13:21 | がんと闘わない生き方

「容子からのメッセージ」完成試写会

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 ★映画「容子からのメッセージーがん もう一つの生き方」試写会

 12月23日(金・休)13:30開場 14:00開演
 なかのゼロ視聴覚ホール(中野駅徒歩7分)
 参加費 1000円
 主催:ビデオプレス 03-3530-8588


*****

 1年半に渡って取材をつづけてこられたビデオプレスさんの作品が完成します。なんと母島にも行ったんですよ。おおぜいのみなさまにご協力をいただきました。11月13日の試写会でもご意見をいただき、直すところはまた直したそうです。どんな作品になったかな?

 がんは世間で恐れられているような病気じゃない、がんにかかっても楽しく生きられ、がんで死ぬのもそんなに悪くない、そんなことが伝わればと思っています。がんに対する知識も増すことができますよ。Dr.A、Dr.Kが登場して解説してくれます。

 みなさま、ぜひいらしてください。当日、余裕があれば和服で参加したいと思っています。
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# by lumokurago | 2011-12-23 18:00 | がんと闘わない生き方

明日試写会です

 今日も放射線治療に行き、疲れてしまいました。明日、着物を着るのはあきらめ、この日のために伸ばしていた髪も切ってしまいました。放射線のあたったところ(頭蓋骨の下の方にかけています)が抜けてしまうからです。長い髪の毛が抜けると始末が大変ですから。

 羽織だけ着ていきますね。どんなファッションになるでしょうか?
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# by lumokurago | 2011-12-22 20:51 | きままながん患者

放射線治療5回目

 今日は病院玄関から放射線科までは車いすでしたが、診察室と治療室には杖で入りました。座っているところから少し歩くのはそう大変ではないのですが、ベッドから起き上がるのがちょっと大変なのです。それでまだベッド上の生活をしています。とりあえず「痛い、痛い」と声がでてしまうほどの「激痛」はなくなりました。ありがたいことです。

 病院通いは1日おきですが、それ以外の日にヘルパーさんが来たりするので、なんとなく忙しい生活です。疲れています。でも好きなお医者さん&やさしい技師さんたち(技師さんにお世話になるのも合計100回にもなる)に会えるので、元気に通っています!! 

 あさってが祝日なので、あさっての分、明日また病院です。あさっては上映会。着物を着ていくのは無理かなあ・・・。
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# by lumokurago | 2011-12-21 20:07 | 転移がんの治療(無治療)

おめでとう 惟向(いむか)君

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 12月17日、うちに下宿していたイザベルと宇田川君に赤ちゃんが生まれました。4120g、57cmもあったそうで、生まれたての赤ちゃんには見えませんね。「いむか」君は日本名なのかな? フランス語にもそういう単語があるのか、不明です。おすこやかに・・・。
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# by lumokurago | 2011-12-20 18:48 | 世界(world)

3にゃん揃い踏み

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 この写真、まえに載せましたっけ? 10月20日のものです。あれからもう2ヶ月、いま撮ったらどうでしょう?

 胸の痛みはほぼ消え、両足の坐骨神経痛に変わりました。大人しく、「邪宗門」を読みつづけています。
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# by lumokurago | 2011-12-19 19:19 | ねこと鳥 (cats&birds)

ベッド上の生活

 昨日3回目の放射線をかけて、痛みの場所がまた移りました。今度は左胸のまえと左足(坐骨神経痛復活?)、腰のしびれです(右胸もまだちょっと痛いけど)。痛みどめの薬が効かないことがわかったので、今日は休薬し、すべてベッド上の生活です。動かなければ痛くないんですよね。私は股関節の手術で入院していたとき、術後1ヶ月間、ベッド上の生活だったので、慣れています。それなりに快適にしています。「邪宗門」(上)の半分まで読み進みました。

 ただただ困るのがチャー吉です。外で「あおあお」と鳴くと入れないわけにはいかず、痛みをこらえて起きていって、窓を開けて入れて、カリカリをあげると、今度は「ヒーヒー」(窓ガラスを)「ドンドン」・・・今日は入れるだけで精いっぱいだったので、無視しました。30分くらい経って、妹が下りてきたら、今度はおいしい缶詰の催促です。ご飯に関してはうちの猫よりずっとずっと甘えんぼです。うちの猫はもらったものをおとなしく食べるだけで、催促はしません。

 昨日、Dr.Kに野良猫のではいりのために夜、妹が同じ部屋に寝ることになったと言ったら、笑っていました。

 建て替えのために引っ越したらどうかという話もでたのですが、チャー吉を見捨てるわけにはいきません。人間の子どもも、猫も、一度捨てられて、その後やっと信頼しかかった人にもう一度捨てられたのでは、あまりにもかわいそうですから。
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# by lumokurago | 2011-12-17 19:21 | 転移がんの治療(無治療)

緩和ケア編 その4

 こんにちは。緩和ケアについて書いてみました。簡単なことしか書いてありませんが、注意の喚起にはなるでしょうか。お読みになってみてください。網野先生をだすなとおっしゃってもダメですよ。

緩和ケアも「標準治療」でなく自分で決めよう

渡辺:長くなって悪いんだけど、最後に緩和ケアの話もさせてね。『後悔しない治療』に書いたけど、最初、私は骨転移の痛みを取るために慶応病院のペインクリニックにかかったのね。そこで麻薬をはじめいろいろな薬をだされたんだけど、医者が「自分で勝手に薬を増やしたり減らしたりしないように」と厳命していたの。麻薬だからさ、さすがの私も「そうか」と思って神妙になっていたわけ。麻薬とのつきあいに慣れるまえに、ちょうど年末年始の病院の休みにかかったときに、吐き気などの副作用もでて、痛みも限界で、大変な思いをしたの。慶応病院の救急に電話して、担当でない麻酔科の医者のアドバイスをもらって対処したんだけど、年明けに外来に行ったら、年末年始だったから仕方がなかったけれど、勝手に増減しないように、とまた言われた。

 そのあと、入院して放射線治療に突入したんだけど、麻薬とNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)以外に訳のわからない薬(抗けいれん薬など)を増やされたんだ。医者とバトルするのも面倒だから言いなりになって飲んでいたんだけど、あとで近藤先生と網野先生二人に「こんなにたくさん薬がでているのはおかしい」「自分で調節するように」と言われたの。痛みの治療を引き継いだ網野先生には麻薬も飲み方や分量は自分で決めるように言われたから、驚き。あんなにうるさく言ってたペインクリニックはなんだったの、という感じ。それで徐々にやめてみたら、その頃替えたホルモン剤が効きだしたこともあるけど、結局痛み止めの薬は全部いらなくなった。

黒木:へえ、薬の使い方ってお医者さんによってぜんぜん違うんだね。

渡辺:そうなのよ。これも目からうろこでしょう。麻薬と聞くと特別な薬だと思っちゃうけど、やっぱり自分で決めていいんだってさ。緩和ケアも最近注目されるようになってきたけど、ほかの医療同様、問題多いみたいなんだよね。

黒木:問題って?

渡辺:緩和ケアを受けるのはターミナル(終末期)の人がほとんどでしょう。その頃になると具合もだいぶ悪くなっているだろうし、じきに亡くなってしまうわけだから、患者からの声が上がりにくいということもあって、実態がどうなっているのか、医療関係者以外にはわかりにくいと思う。

 これは一つの例だけど、このあいだ転移性乳がんのA子さんから話を聞く機会があったの。彼女の痛みは神経因性疼痛という難治性の痛みなんだけど、診断もむずかしいし、結局のところ、それを治す薬はないということなの。乳がんでかかっていた病院の麻酔科(ペインクリニック)の医者は「患部との関連は考えにくい」と診断し、彼女は痛みに苦しみつづけたそうなの。

 そのあと、別の緩和ケア医が「鎮痛補助薬」を処方したんだけど、頭がもうろうとして眠くなるばかり、思考力は極度に落ちて記憶も混乱し、無気力、倦怠感が強くなって大変だったんだって。それらの症状はその薬の副作用だったんだけど、そのときはがんのせいだと思っていたんだって。つまり医者は副作用がでたことに気づかなかったというわけ。それどころか薬を止めたいと言う彼女に「止めると痛くなりますよ」と言って脅したんだって。

 彼女はその後、医者とバトルしてそれらの薬を全部止めて、やっと普通の生活に戻れたの。彼女には薬を止めるまえと後で、副作用を「使用前/使用後」のようにはっきり体感したから、副作用のこわさがよくわかるって言ってたわ。残り少ない「普通の生活」を薬のためにだいなしにされたと怒っていた。

黒木:薬の副作用ってそんなにひどいのね。

渡辺:うん。彼女だから医者とバトルして止めたけど、普通は死ぬまで同じ薬を飲まされつづけるんだよね。副作用はがんの症状だと誤解させられてさ。

黒木:こわいねえ。

渡辺:話はちょっとそれるけど、高齢者にぼけの症状がでたら、まず薬の副作用を疑えという本も読んだよ。薬をやめてみると元に戻る人も多いそうよ。結局、日本の医療って薬の使い過ぎなんだよね。網野先生によると、緩和医療の基本は「薬は最小限でよい、WHO(世界保健機関)のような権威に従順になるな、常識を疑え」なんだって。

黒木:へえ。それじゃいままで聞いてきた医療に関する話と同じだね。

渡辺:あはは。結局、それが世の中のことを考えるときの基本なんだよね。ネットで検索して緩和ケアのことを調べると、日本と欧米の麻薬消費量が棒グラフになっている表をよく見るのね。日本の麻薬消費量は欧米に比べてすごく少ないの。そのためなんだろうけど、緩和ケアに対する基本的論調はどれも日本は遅れている、欧米を見よ、麻薬の大量投与が必要だみたいに書いてある。でもそれも網野先生に言わせると誤解なんだって。網野先生の経験ではモルヒネもそんなに大量は必要なくて、モルヒネの効果がみられない場合は、モルヒネの効かない病態を考えるべきなんだって。例えばいまの私の骨転移の体動時の痛みのようにね。それは骨転移からくる神経痛で、麻薬よりもNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)が効くと言われていて、自分の実感としてもそれは正しいと思う。

 でも、NSAIDsのボルタレンやロキソニンは副作用が強くて、ロキソニンではアメリカの統計を日本の人口に照らすと年間8000人もの副作用死をだしていて(ボルタレンはもっと強い)、網野先生も「なるべく飲むな」と言いながら処方してくれているの。私にとってはそれが悩みの種なんだよね。ロキソニンが一番効くから飲みたいんだけど、いまは1日1回にして(それでも網野先生は胃腸障害がでる可能性があると言っている)、あとはアセトアミノフェン(むかしからある比較的副作用が少ないとされる非ピリン系解熱鎮痛薬)やリン酸コデインを飲んでいる。いまはそれでなんとかしのいでいるけど、もっと痛みが強くなれば、ロキソニンをもっと飲もうと思っている。元気な人ならともかく、私は副作用死がどうのなんて言っていられない状態なんだから。

 でも慶応病院の麻酔科はじめ緩和ケア専門医のあいだでは、私やA子さんにだされていた大量の薬が「標準治療」なんだよね。効かない薬、副作用だけをもたらして患者を苦しめる薬がさあ。

黒木:痛みの治療についても「標準治療」は間違っているんだ。

渡辺:網野先生は緩和ケアについても医療関係者が変えていくことはむずかしく、患者が変えていくしかないとおっしゃっている。でも、患者は素人なんだから、緩和ケアに関する医師による患者向け指導書がほしいと思う。もちろん「標準治療」推進の医師でない少数派の医師のね。

黒木:そういう本があれば患者も知識を得ることができて、薬を自分で選ぶことができるようになるね。

渡辺:うん。いまはネットで検索すれば情報はたくさんでてくるけど、その情報が正しいのかどうか、まったくわからない。むしろそういう簡単にでてくる情報は疑わなくちゃいけない状況だからね。緩和ケアについても自分で決めて納得して死んでいけるようになれば、それが最期の満足というものだと思うよ。

***** 渡辺容子 12.7


こんばんは。
まず、第一に権威のない医者の名前は不必要かもしれません。
第二に骨痛bonepainにはモルヒネなど麻薬が効くことになっています。
私の好きなバイブル本にもそう書いてあります。
第三に麻薬が効かない場合、bonepainではなく神経痛か
insidiouspainを考えるべきでしょう。この痛みには精神的なものも
含まれます。
第四に麻薬も適正な服薬量の中で患者さんが量を調節するのが
よいでしょう。
以上老婆心ながら。網野。  12.7


 こんにちは。昨日、慶応病院に行き、顔面神経麻痺がひどくなったので(口がしまらずお茶などがこぼれる、目が閉じず石鹸が入る)、放射線治療をお願いし、ついでに右胸(肋骨)にもかけようということになり、CTを撮りました。今朝、近藤先生から電話があり、
 
 1、CTを調べたら肋骨に転移はない。胸椎に転移があり、がんが神経を巻き込んでいるので胸が痛いのだろう。(先生の胸椎の転移による神経痛という診断が正しかったですね)。
 2、その場所は前に放射線をかけたところの一つ上だが、前にかけたところ一つを重ねてかける。がんがとても大きいので、放射線で小さくなると胸椎がつぶれる。まっすぐにつぶれればよいのだが、斜めにつぶれると、そこから下に麻痺が起こる可能性がある。麻痺の兆候が現れたら、余命6ヵ月以上あると予想されれば、整形外科で24時間以内の緊急手術となる。いままでの経験ではこの手術を受けた患者は麻痺がでていない。
 3、麻痺がでるかどうか様子をみながら、1日おきに放射線をかけることにする。

 ということで、月曜日から1日おきに放射線治療を行うことになりました。また年末年始にかかりそうでいやだなあ。

 昨日は病院に長時間いて、体を起こしている時間が長くなると痛みがひどくなることが確認されました。医薬ビジランスセンターの緩和ケアの本が届きました。モルヒネの量についてはやはり欧米に比べて少ないという論調でした。NSAIDsはやはり、できるだけ使わないようにと書いてありました。ボルタレンはあったけど(副作用の注意もあり)、ロキソニンは名まえも載っていませんでした。なぜか聞いてみます。ナプロキセンという薬が比較的副作用が少ないと書いてありました。これはどうですか? 鎮痛補助薬も載っていましたが、記述が簡単すぎでした。Kさんのような副作用がでることはこれではわかりません。私が飲まされていた抗けいれん薬は「効き目がない」とはっきり書いてありました。やっぱり。
 骨転移の体動時痛には笑気ガスが効くと書いてあり、欧米では使われているが、日本では使われていない、抗がん剤などやめ、これを認可したらと書いてありました。近藤先生に話したら、笑気ガスは完全な麻酔だからなあ、とお勧めしないようなお返事でした。 渡辺容子 12.10


こんにちは。
神経痛とわかったら、後は
原因部位の治療と神経ブロック
ですね。
薬はロキソニンがよいと思います。
ナイキサンも同程度の効果があるでしょう。
どちらも副作用は出ます。ナイキサンのほうが
少ないといわれていますが、副作用も同程度
でしょう。放射線療法の効果に期待しましょう。
網野  12.10


 こんばんは。月水と2回の放射線治療を行いました。顔面神経麻痺(頭蓋骨の転移)はかなりよくなって、目に石鹸が入ることはなくなりました。しゃべるのもずいぶん楽になりました。
 胸椎はCT画像を見せてもらったところ、脊髄ががんに埋もれていました。これじゃあね。体動時の右胸の激痛が消えて、代わりに左胸が常時鈍痛+体動時の痛みとなりました。少しまえに戻ったようです。先生にも言い忘れていましたが、1ヶ月以上まえから両足の指がしびれています。ほんの少しなのでお風呂に入ったときしか感じません。これは麻痺の前兆ですね。近藤先生の話では放射線をかけなくてもいずれ麻痺になるそうで、放射線をかけたからといって麻痺になるのは1割から2割だそうです。いざとなったら救急車で整形外科です。

 佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」を読みました。彼女も乳がんの骨転移です。最初は医者のいいなりになっていたようですが、あとで「医者は信用できない。薬は怖い。病院にはもう行かない」という心境になったようです。読んでいると症状の描写がいまの私と似ているので、骨転移による神経痛のひどいのだと思います。この本を読んだだけでは緩和ケアをきちんと受けた様子はなく・・・。とても気の毒だと思いました。対談している医者もひどすぎるので、次にひどいところをピックアップしました。最低の医者ですよ。
 
http://lumokurago.exblog.jp/17207161/  渡辺容子  12.15


こんばんは。
脊髄へのダメージが無い状態で癌が消滅してほしいですね。
全般的に良い方向のようで安心しました。
最低の医者を御紹介いただきましたが、これが当世の
普通の医者というものでしょう。医者も作家の患者も現代医療教の
信者のようですね。仕方ないです。
寒くなりました。猫と一緒に寝たいのですが、猫は女房のほうが好きですから
私のほうには来ません。仕方なし。
網野  12.15

*****

 左胸の痛みは消え、今度は右の背中の激痛になりました。痛みどめを増やしていますが、いまのところ効きません。がんばって放射線治療に行って来るぞ。
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# by lumokurago | 2011-12-16 09:39 | Dr.Aとの往復メール

『死ぬ気まんまん』 佐野洋子

 堅い本ばかり読んでいたので、合間に佐野洋子を読んだ。ちょっと! 困るなあ、こんなに有名な人がこんな無責任な本書いちゃあ!

 困る記述を抜き書きする。はじめはエッセー「死ぬ気まんまん」から。

 「ガンが再発して骨に転移した時、お医者は、死ぬまでに治療費と終末介護代含めて1千万円くらいだろうと言ってくれた」 おいおい、これは抗がん剤(猛烈に高い)やビスホスホネート(骨転移に効くとされているこれも高価な薬ーDr.Kは効かないと言っている)で積極的に治療するからであって、対症療法(ホルモン剤とたまに放射線)ならこんなにかかりませんよ。桁が違うんじゃないの! 人びとを脅さないでほしいなあ。

 「根が貧乏性の私は物欲がない」のに、イングリッシュグリーンのジャガーを買って「私の最後の物欲だった」だってさ。 すごい金持ちだなあ。なにが「物欲がない」だ。ちゃんとあるじゃないの。ウソつかないでほしい。「貧乏だった」「貧乏だった」って書いてあるけど、戦争中~戦後すぐのことでしょう。自分が金持ちだってこと、自覚すべきだよな。東京に家2軒、軽井沢に別荘、車も持ってるんですよ。

 「毎週点滴をしにゆく。よくわからないが、免疫力を強める薬と、骨を強化する薬を点滴するが、痛くもかゆくもなく、気分が悪くなることもない」 自分が点滴されている薬を「よくわからない」では困るのだ。勉強してくださいよ。って、もう死んじゃったから遅いけど、医者がちゃんと説明すべきなのだ。

 「医学の進歩は、朝と夕方では違うほどらしい。骨に転移しているので、骨のための点滴と、なんのためだかわからないハーセプチンという薬を点滴してもらうために、週1度、病院に行く。・・・略・・・先日、先生が何か注射してくれたら、頭が1日でツルッパゲになってしまった」 「医学の進歩は、朝と夕方では違うほどらしい」=大ウソである。がんは40年前から治るようになどなっていないのだ。作家ともあろう人がいい加減なことを書くな。「ハーセプチン」は抗がん剤の一種である。前のほうに「抗がん剤はやらない」と書いていたので医者にだまされていたのだろう。何の薬か聞かないからこういうことになる。ツルッパゲになる薬の名前も聞くべきだった。はげるのは抗がん剤である。また、だまされている。

 「医者がまたなんだかわからないツルッパゲになった薬をもう1回打つ時、私は「何のための薬ですか」ときいたら、「そうだね、佐野さんは延命しないでいいって言ってたね。僕は佐野さんはもっと生きていて欲しい」  このあとが省略しすぎでちょっと意味が通じない。こうつづく。「私はポーっといい気持ちになった。息子と同じくらいの若いいい男がこんなこと言ってくれる。一瞬この医者のために長生きしようかと思った。「わかりました。止めましょう」 よーし、この医者のためにも立派に死んでやろう。しかし立派な死に方がどういうものなのか今もわからない。 医者はこの薬を打つのを止めたのだろうか? 薬のなまえがわからないだけでなく、文章が説明不足だと思うのは私だけ?

 次は平井達夫氏(築地神経科クリニック理事長)との対談から、同じく困るセリフを抜きだす。

 平井:早期発見して取れば治るという時期を逸すると、ものすごい労力と、ものすごいお金と、ものすごい精神的苦痛を味わうことになります。だから、早く発見して、早く手を打たないと、ガンは治らないのです。 どうしてここまで人びとを脅すのか? 無治療では自分の仕事がなくなるからであろう。それともただの無知?

 平井:ガンは早期発見の治療しか完治できません。いま日本で一番すごい検診は、国立がんセンター中央病院、検診センターでやっていますよ。20万円ですけど、それぞれの分野の癌専門医がついて上から下まで全部ガンの検診。 金儲け、金儲け! 金儲けをして人びとを脅す最低の医者たち。

 平井:ガンはだいたい1期、2期、3期、4期と分かれます。1期は小さいのが臓器の中にあるんですが、精密な検診とかでわかって、取れば治ります。2期は2、3センチのものが見つかりますが、これも臓器の中にあるんです。医者も、治せるかもしれないと張り切るわけですよ。 1期でも100%治る(がんもどきである)というわけではない。小さくても転移しているがんもあることを知らないのかな? 

 平井:脳卒中も予防が大切で脳ドックは絶対に受けたほうがいい。 脳ドックを受ければ40歳以上の人には小さな脳梗塞が必ず見つかる。脳ドックで見つかった小さな梗塞を手術したおかげで、なんでもなかったのに障害者になってしまった人を知っている。

 佐野:ええ、父も家で死んだものですから家の中で死人を見ていますが、父の死に方が立派でした。
 平井:最高学府出のエリートですからね。
 死ぬにあたって最高学府出もなにもないだろう! こんなことを言う人、信頼できないね。

 最後にエッセイ「知らなかった」について。

 ここで佐野さんは「私は、病院に行く気はもうなかった。薬は怖かった。どんな医者も信用していなかった」と何度も何度も書いている。しかし、薬が怖くなったのはなぜなのか。医者を信用しなくなったのはなぜなのかは一言も書いていない。読者はそれを一番知りたいのではないだろうか。

 そしていろいろなところが痛くてたまらないのに、自分はどこも悪くないと書いている。この痛みは骨転移からくる神経の痛みだと思う。「あばら骨がメリメリ音をたてて粉になるかと思うほどで息もつけなくなった」と書いてあるのが、少し大げさだがいまの私と同じだからだ。ほんものの上手な緩和ケア医のところに行けばよかったのに、それまでに医者を信じられなくなっていたのである。なんと気の毒なのだろうか。

 知り合いの編集者が佐野さんの息子さんをよく知っている。佐野さんはやはり一癖も二癖もあるむずかしい人らしいが、とにかくおおざっぱでがんの勉強なんかするわけないと言う。でもね、死んだ人にこんなことを言うのは申し訳ないけれど、自分の体は自分で守らなければ。そのためには勉強するしかないのだ。医者は信用できないのだから。

 佐野さんの本は売れるだろうなあ。第一『死ぬ気まんまん』というタイトルがひきつける。この人ががんのことを勉強して、よくわかって書いてくれていればなあ。影響力、絶大だったのに、残念だ。少数派はやっぱりここでも少数派で、売れない本を書くしかないんだなあ。

 ま、それが少数派の運命だから、仕方ないか。 
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# by lumokurago | 2011-12-15 13:14 | 本(book)