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暗川  


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がんと闘わない生き方(10)患者インタビューその5

がんと闘わない生き方(10)患者インタビューその5
新たな生き方語ったあとに急転、非情な死…


 E.Gさん
 年齢:39歳、独身
 職業:自営業
 手術法:乳房温存療法

 Q:Gさんの場合は再発してもすごい元気じゃない?

 A:再発してからなのよ、これがね。分かってからね。

 Q:どうしてそういうふうに元気でいられるの?

 A:ひと言ではむずかしいよね。まず、先生たちを信頼してるっていうこと。だから、いろいろこれからもあるとは思うけど、治療に対する不安はない、っていうか死ぬまでの不安がない。あちこち痛くなったりしても痛みを取るような治療をしてくれるし、無理な治療はしないし、そういうことに対する不安がないっていうことと、あとは何か特別な贈物をもらったような感じ。

 いままでの日常生活の中にすごい突然な事件が起こったわけだけど、それを悪くとっちゃえばどんどん落ち込むだけ。でもいいように考えると、何かとてもいい贈物って言ったら変だけど、やっぱりずっと自分に満足してたわけじゃないから、何か自分を変えるきっかけみたいな、そういうふうに受け止めてるっていうこと。

 あとは自分がこうなったっていうことで、今までの友だちとか、まわりの言える人に対してはその人たちとの交流がとても深くなって、嬉しさみたいなのがある。あとは再発しても別にどこか痛かったりしないこと、それが一番の大きな原因だとは思う。やっぱり体がきつかったらそんなこと言ってられないと思う。とりあえず私は運がいい方だと思う。日常生活も不便ないし。この間はちょっと治療なんかしたから痛みとか出ちゃったけど、あれだってやらなきゃ別に何ともなかったわけで(笑)…痛みがないのが一番かもしれないね。あと考えられることってなんだろう?

 Q:前に、いつ死んでもいいって思ってるって言ってたじゃない。

 A:うん。長く生きることに元々執着をもってない。自分が身軽だっていうのもとっても大きな原因だとは思う。

 Q:それは私も思う。

 A:結婚してないし、子どもがいない、小さい子どもがいない。もし自分に、小さい子どもとかいたら、こんな気楽じゃいられない。

 Q:そうだね、そうだよね。

 A:何ていうのか、結構好きなように生きてきたというか、何も我慢してこなかったというか、だから未練もないし、後悔もないし、執着するものがないっていうか。もちろん少しでも長く生きたいけれども、たとえそれがだめでも、あんまり…うーん…そこが友だちから言わせると困るところだって言われるんだけどね。だから、そう、気に掛ることがないの。

 親のことは特に心配だったんだけど、弟が結婚したので。とってもいいお嫁さんなのね。孫もできるし、少しの間はそりゃ親も寂しいし、つらいだろうけど、乗り越えてくれるんじゃないかなあっていうのが…。

 Q:よかったねえ。

 A:そう、それが何か運命っていうか、ちょうど弟の結婚が決まったのが、再発が発見されてすぐだったのね。うまくできてるっていうか、今までだって何回もお見合いもしてるんだけど、全然決まらなかったのが、もうとんとん拍子。

 あとは友人関係で、あなたがいなくなっちゃったら、私どうしたらいいの?みたいに言ってくれる人もいるけど、でもまだいっぱい時間あるから一緒に考えようよ、みたいな感じで。私だけじゃなくて他にも友だち作らなきゃ、って。

 あとは自分自身の死に対する不安みたいなことだと思うんだけど、そればっかりはやっぱり直面してみないとわからないから、具合悪くなってみないと何とも言えない。

 Q:そこでは、やっぱり医者に対する信頼ってのはすごく大きいでしょ。

 A:それは大きい。うん。いまの悩みの種は、ホスピスを東京にするか、実家の方にするか。ここで在宅は無理だから、一人暮らしなんで。実家に帰って在宅にするか、でもそれも先生を見つけないとだめだから、そこがいま、悩んでるところ。やっぱりあんまり忙しくない先生に、ちょっとのことでもすぐに来てもらって診て欲しいっていうのが。あと、じっくり話を聞いて欲しいっていうのがある。入院するならやっぱホスピスじゃなきゃいやだって感じがする。
 
 Q:N市にあるの?

 A:うん。そういうのも調べて準備は整えてるんだけど、でも、そうね、あんまり帰りたくないっていうのもあるしね。東京の方が好きだから。

 要するに自分で考えられて情報も集められて検討できる。前もって全部準備できる、それを自分で選んでいける、そういうことをK先生に教えてもらったみたいな。

 Q:自分で自分の死に方とかそういうことも決めていく。

 A:自分で選んでいかなきゃいけないな、ってこととかね。おまかせにしちゃったら、最後まで医者の好きなようにされちゃう。だからやっぱり、そういうふうに何でも自分で決めていけるところがいいんじゃないかしら。

 Q:何でも自分で決めていけるって自分で思うようになった、それはどういうきっかけ? 最初の病院の対応がすごい変で、これじゃおかしいって思って勉強したんだよね。

 A:そうだよねえ。だからもう、K先生の本、読んでだよね。温存の治療については読んで納得してたから、別に選ぶまでもなくそれでよかったんだけど、最初に悩んだのは、抗がん剤が2クール終ったところで、白血球がゼロに近くなっちゃって、それ以上続けるかどうかで2人(放射線科医と外科医)の意見が違うから、初めてそこで悩んだのね。で、あなたが後悔しないように自分で考えなさい、って言われて、ここで初めてこういう大事なことをホントに自分で決めなきゃいけないんだっていうのを実感して。さんざん悩んだけど、やめることにした。

 結果として再発しちゃったけど、あの時悩んで自分で決めたっていう意識があるから後悔してない。それまではだいたい病気にあまり縁がなかったから、全国どこに行ってもこの病気にはこの治療、この薬、そういうのが標準的にあるもんだと思い込んでた。自分で決めるなんてそんな考え、最初なかったもん。やっぱりあの2人の治療の過程で、だんだんそういう考えに慣れていったっていうことだと思うけどね。

 Q:やっぱり患者もあの2人が違う意見で、自分で決めろって方針があるから、勉強して決めなくちゃいけないって感じで鍛えられるっていうか、そういうところがあるよね。ホルモン剤についても(自分で決める機会が)ある人はあるんだよね(ホルモンレセプターのあるがんの場合、ホルモン剤が効くとされているが、副作用もあり、飲むか飲まないかは医師によって考え方が違う)。

 A:ホルモン剤はレセプターのある人はみんな悩むみたいね。私は当初なかったから、悩まなくてよかったわって感じなんだけど。

 Q:いくつかそういう選択しなきゃならない場面があって、すごい考えて決めるからね。

 A:みんな、だから1度はあるんだね。

 Q:1度はある。それでやっぱり医療全体に対する考えもこの経験で変わった?

 A:それはもう、180度変わっちゃったよー。もうそれはホントに。

 Q:そうだよね。医者が信頼できるっていうのはどういうところで思います?

 A:いまは、あの2人とかかりつけの歯医者さん以外誰も信用していない。まあ実際、自分がかかってみて、いろんな場面で相手がどう反応するかっていうのを確かめてみないと、信用しない。

 あの2人以外で信用した歯医者さんを例にとれば、やっぱりこっちの質問に対してちゃんと答えてくれる。あと技術。技術はあの歯医者さんは、私はお掃除してもらってちょっと矯正してもらったくらいだから、あんまりわからないんだけど、でもやってもらったあと、とても調子がいい。

 歯磨きの指導とかもお仕着せじゃなくて、その先生は自分で工夫してやれって言うの。何々法とかいろいろあるんだけど、歯の形とか顎の形はみんな違うから、その人に合った磨き方があるから、自分で工夫してやれっていうの。でも行く度に汚れの染み出しみたいな液をつけてくれて、こことここが磨けてないよっていうのを見せてくれるから、そうすると自分でどうやって磨けばいいか、だいたい分かってくるのね。だからそういうところがとっても信頼できて。

 Q:ひとりひとりが自分で努力して身に付けるみたいなふうに教えてるわけね? こうしなさいじゃないのね。

 A:こうしなさいじゃなくて、それがとっても気に入っちゃってね。自分のいまの体の状態はこうで、いまはこれだけのことを望んでいると言えば、本当はここまでやればいいんだけど、でもあなたがいま、そういうならここまでやりましょうっていうことをちゃんと説明してくれて、そのとおりにしてくれる。それで信頼するようになって…。

 Q:押し付けないんだね。聞いてくれて、意見もちゃんと取り入れてくれて。

 A:ちゃんとやってくれて、たぶん技術もいいんじゃないかと。痛くないし。だから信用できた。あとはあまり医者行ってないからわからないよね。

 Q:話はちょっと変わるけど、うちの病院は患者の意識も高いと思う。それに患者同士がこんなに仲良くなっちゃうようなのも他の病院だったらないですよねえ。

 A:ちょっと考えられないよね。無理矢理、会とか作ってとか、そういうのならあるかもしれないけど。

 Q:外来でアンケートを頼むと、いやがる人はほとんどいない。対応がすごい協力的で、やっぱり意識が似てるのかなって。自分たちが受けた治療をもっと広めたいし、今後の患者さんのためにも何かしたいって気持がすごく強い。

 A:そうだよね。やっぱりみんなどっかで(いまの医療が)おかしいと思って来てる人が大半でしょ。そうしたらねえ。

 Q:そうそう、意識高い。

 A:そうそう。で自然にやっぱり他の人にも知らせたいっていう気持になるし、だから私も最初に乳がんってわかったときは、誰彼かまわずベラベラしゃべってたのね、ホントに。みんなたぶん知らないだろうから、乳がんってこうなんだよ、温存できるんだよ、知り合いでいたら教えてあげてね、みたいに。人のためになりたいっていう気持も強かったし。だから治療中はけっこうハイな状態だったんだよね。なんか、病気と闘うというより、世の中と闘ってるみたいな…。

 Q:そう、そう、そう。(日本の医療は)こんなにひどかったのかみたいに気づいてさ、何とかしなくちゃいけないとかねえ。そういうの、やっぱりあの病院の特徴かもしれない。

 A:そうだよね。

 Q:やっぱり恵まれてんだよね、私たち。まあホントはこういうのが普通になんなきゃいけないんだけど。

 A:それと初めてO病院で鎖骨の上のリンパ節に再発・転移が発見されてから、ずうっとHさんに一部始終を聞いてもらってたでしょ。これとっても重要。“転移”っていう重い事実をね、当初は誰にも言えなかったもの。家族にも、友だちにも…。でもこればっかりは、さすがの私もひとりでは抱えられなかった。とにかく誰かに聞いてほしかったの。

 あの時は、O駅でHさんの携帯に電話したんだ。そしたら彼女、都内にいたのね。私が会いたいって言ったら、じゃあ今から会おうよって言ってくれて、それで待ち合わせして会ったの。あとで聞いたら彼女その時、徹夜明けでほとんど寝てなかったんだよ。それでも私のために時間、さいてくれてね。A先生に言われたこと全部言って、とにかく誰かに聞いてもらえたんで私は少し楽になったというか…。

 でも誰でもいいってわけじゃないんだよね。やっぱり“がん”という同じ病気になった人だからこそ分かってもらえる。病気のこといちいち説明しなくてもいいし、病院の様子とか、先生の喋り方とか、その辺もわかってもらえるでしょ。これはとても大きいよね。それに彼女は、自分で「いつ死んでもいい」なんて言ってるでしょ。こういう人なかなかいないからね。

 “死”の話題を気軽に口にできるって、私にとってこれ以上楽なことはないって感じ。彼女に話すことで自分自身も感情を整理できるし、彼女に何か言ってもらうことによって、自分の思い込みやとらわれから離れて客観的に判断できるようになれる気がするの。話したあとではいつもスッキリして、何でも笑い飛ばせるようになれる。「笑える」ってやっぱりすごいことだよね、こんな病気でさあ。「笑える」間は元気でいられると思うもの。彼女には本当、感謝してます。それにこういう友だちに巡り会えたってのも、K病院ならでは、だと思うから、K先生の患者になって本当によかったと思います。

 Q:ちょっと話は変わるんですけど、生き方の変化とか、人間関係の変化とか、生活の変化っていうのはありました?

 A:再発するまではありませんでした(笑)。でも何か、やっぱ根本的には違ってきたとは思うんだけどね。人生には限りがあるんだみたいな。一応、がんていうことで死を意識するっていう意味で、深いところでは変わってたかもしれない。けど、表面的には全然変わりませんでした。

 Q:今度、再発があってからは変わりました?

 A:うーん、変わったね。健康にいいことに関心がいくようになった。食べ物から始まって。変えられないところもあるんだけどね、でも変えようと努力してるし。人間関係は本当により深くなりたい人とはより深くなれたっていうのがあるし、どうでもいい人とは付き合わなくなったっていうのもあるし、人間関係は変わってきてると思います。生き方は何といったらいいのか、最近よく言われるのがね、再発して、ますますねえ、傲慢になったって。

 Q:本当!

 A:ますます傲慢になったって言われる。

 Q:(笑)あーそう、私もそうかもしれないね。うーん。なんかやっぱり限られた生っていうことがはっきり突き付けられてくるわけだから、そうするともうどうでもいいことなんか、かかずらわってるヒマないって感じだよね。

 A:そうだよ。もう、人から傲慢だと言われようが、いいじゃんそんなことみたいな。時間がないんだから。

 Q:そうそう、だから大事なことだけしようと思うしねえ。

 A:うん。そう、そう、そう。

 Q:選んでいくよね。人間関係もそうだけどね。すごくなんか精選されてくるし、生き方すべてがそうなって…

 A:で、あとね、やっぱり人からどう思われるかっていうことをますます気にしなくなった。

 Q:元々、気にしないけど…

 A:元々、あまり気にしてないけど、ますます気にしなくなって(笑)。だってねえ、気にしてられないじゃん、もう本当に。だから再発してある意味で楽になった部分もあるんだよね。そういうことで言えば。自分を全面的に出しても誰も怒らないっていうか。やっぱり今まで結構好き勝手にはやってきたけれども、それなりに周りに合せて気を使ってる部分とかいうのももちろんねえ、あったから、そういうのも気にしなくなる楽さ(笑)。

 Q:そう、そう、そう。「印篭」でしょ。だから。

 A:そう、そう、そう。印篭、印篭なの(笑)。楽になることも結構あるのよね。あとやっぱりとりあえず、老後の心配しなくていいってのが楽。(笑)とても楽。やっぱみんなそういう宣告されてない人は、守るべきものがありすぎるから、いろんなことにとらわれて窮屈に生きてるわけじゃん。でもそれががんで再発なんて言われちゃったら、守るものがなくなっちゃうから、とっても楽っていうか。

 Q:うん、そうだよね。それでもう6、7年も生きられたら…最高だよね。

 A:だから本当にね、いまの状態で、そんなに長くなくてもいい、2、3年でも。本当にこの状態をずっと続けられたら一番幸せ。

 Q:そうだよね。そうなんだよ。そこが全然違うんだよ。窮屈なままずうっと長生きして、本当に年寄りになって死んじゃうのとさ、すごい短い間でも解放されちゃって生きるっていうのはすごいなんかねえ。

 A:で、もし万が一、治っちゃったら、ずっと解放されたままねえ、婆さんになれそうな感じ。そしたらものすごい、生きることが楽しくて楽で、楽で楽しくて、そういうふうに生まれ変われるみたいな。

 Q:本当そうだよね。やっぱりこの経験をそういう楽しい方向とかプラスの方向にできるともうすばらしいよね。 

 【追記】この年の暮れまで元気いっぱいで普通に生活していたGさんは、年が明けて田舎から帰ってきたら、突然、具合が悪くなってしまいました。いったんO病院に入院し、抗がん剤を試しましたが、効果はなく打ち切り、在宅で酸素を使い始めました。乳がんの肺転移は苦しく、1人で生活するのは無理で、田舎のホスピスに入ることを決めた時、症状が急激に悪化して救急車で近所の病院に運ばれ、そのまま亡くなりました。2月でした。まだ39歳。がんはやはり残酷であり、若すぎる死は非情です。

by lumokurago | 2009-05-15 20:50 | がんと闘わない生き方
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