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切なく悲しい北朝鮮  辺見庸

 新春特別企画です。

 去年読んだもろもろの本や新聞記事に、共感した文章はたくさんありました。その中で最も共感した文章を転載させていただきます。2009年9月8日の沖縄タイムスに掲載された辺見庸さんの連載「水の透視画法」35回、「切なく悲しい北朝鮮―憂える『知』日本に乏しく」です。

*****以下転載

 北朝鮮はどこまでも悲しい。数かぎりない人びとが飢えと圧政に苦しんでいるというのに、いっさいの政治的たくらみぬきで外から助けの手をさしのべようとする者はごく少ない。食糧、医薬品の絶対的不足でいたいけな子どもたちがいま現在ばたばた倒れているのにもかかわらず、それでも援助すべきではないという理屈が日本では主流であり、北朝鮮制裁は世界の趨勢である。北朝鮮はほんとうに悲しい。38度線以北にだって人の世の条理と情愛を解し、詩歌や音楽を愛でて、この自由に餓(かつ)えている人びとがやまほどいるというのに、異様な独裁者と軍事パレード、ミサイル発射実験、マスゲームといったメディア・イメージですべてがひとからげにされ、全体主義を支配する国家指導者と呻吟する広範な民衆・個人をはっきり区別して考える冷静さを日本は失っている。飢えて病んだ子ら、悩める個人たちをおもんぱかる慈しみのこころが日本にはぞっとするほどたりない。

 北朝鮮はとほうもなく悲しい。自国の現代史の土台に日本の植民地支配があたえた深い傷がいまだにぱっくりと口をひらいていて、加害側がとっくの昔にわすれてしまった暴虐の数々を、まるで昨日のことのように生々しく記憶させられ、かたときもわすれることをゆるされない。北朝鮮はあまりにもせつない。拉致事件の非道や核実験の愚行により、まがうかたなかった日本との歴史的被害と加害の関係がいつのまにか逆転し、北朝鮮こそが国際社会における悪と加害性をいまや他のどこよりも重く背負わされるようになってしまった。植民地時代の宗主国の悪行はなにからなにまで“帳消し”になったとでもいうように。創氏改名や強制連行の史実も加害側に都合よくうすめられ、歴史は今日、原型がわからなくなるほどにたわみ、よじれ、変色してしまった。

 北朝鮮という存在はつらい。北朝鮮について考え、行動することはとてつもなくむずかしい。なぜかといえば、それは実体的な他国というより、心理学的には無意識のコンプレクス(複合観念)でもあり、こころのなかで抑えつけられ対象化されないまま、ゆがんだ記憶と感情だけが陰にこもってしまっているからだ。まるで病的幻想か心的外傷のように。あるいは”自己嫌悪”のように。北朝鮮にとっても、日本という国は無意識のコンプレクスや心的外傷につらなるきわめて特殊な存在のはずである。つまり、われわれはまったく似ていないのに、どこか似ている。恨みと蔑視と親(ちか)しさが、こころの内側でこもごも寄せてはかえす不可思議な関係に私たちはあるのに、たがいにそれを解こうとせず、たがいが同時代に近くに存在するという最低限の事実さえ尊重しようともしない。結果、日朝関係は米国もあきれるほど感情的で恐怖神経症的になっている。

 北朝鮮はみじめだ。北朝鮮をおもう日本の「知」も思えばみじめたらしい。日本における北朝鮮論はずいぶん脆弱で貧相で偏頗である。朝鮮半島の北半分をまるごと“狂気の王朝”ときめつけて、在日米軍基地永続化と日本独自の軍備増強の口実にするロジックだけがどんどん肥大化し、独裁国家からの人々の救済という観点からものごとが真剣に考えられたためしはついぞない。餓死寸前の子らをなにごとにも優先させて政治的底意なしに救うという発想もまったくうすい。一方で、日本のマスコミと左翼陣営の一部は「民主主義人民共和国」という、全体主義的実相とおよそ逆の僭称をじつに長くゆるしてきたし、いっときは悲惨な国情を不当に美化したことさえあった。北朝鮮が民主主義とも人民共和制とも縁もゆかりもないことは早くからよく知られていたにもかかわらず。

 北朝鮮は悲しい。地獄のような朝鮮戦争がおきたとき、これぞ日本の経済復興にとって「天佑」だといって相好くずしてよろこんだのは当時の吉田茂首相だけではない。おおかたの人々が戦争特需をもろ手をあげて歓迎し、米軍の爆撃機が連日、日本から発進していくのにこれといった反戦運動もなかった。日本の「知」というものの、それが隠しようもない貌である。だとしたら、設問を原点にひきもどしてみてはどうか。<北朝鮮にはそも血のかよった人が住んでいるのかいないのか>と。北朝鮮という陰画から、ひとりの悩める生身をさがしだして、想像の友とすること。日本の恥ずべき「知」はそこから「知」をとりもどすしかない。そうできない私たちの「知」はなんともむなしい。

****ここまで全文転載

 あまりにも重要な指摘なので、予想される反応にもかかわらず全文を載せざるを得ませんでした。私が今まで北朝鮮に対して感じていたことをこれほどわかりやすく書いてくれた文章に初めて出会いました。

by lumokurago | 2010-01-01 23:16 | 社会(society)
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