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石原莞爾ってこういう人だったの

 「戦争に負けたからって日本人は非常に卑屈になっていますけれど、われわれは絶対に・・・。悪かったことは悪かった。しかし、われわれは今度の戦争に対して根本的に懺悔をして、われわれは生き返るんですね。われわれは断じて、この世界を統一するために、あらゆる民族に於いて最大限の功績を挙げなければならないと思うんです」

 対談相手「よくわかりましたが、具体的には日本人として、どうしたらよいのでしょう」

 「アメリカが、利害を中心にして考える間は結局、必ず戦争があると思います。ところが今日、私どもは完全に戦争を放棄しちまったのです。放棄したんです。われわれは断じて、これを利害抜きにして、もう立正の大精神に立って、私どもは国策を律して行かなければならんと思います。アイケルパーカーなどが、かつて日本をアメリカの軍事同盟国にすると言ったが、そんなことを、われわれは絶対に許さん・・・。

 日本は蹂躙されても、かまわないから、われわれは、絶対に戦争放棄に徹して生きていくべきです。ちょうど聖日蓮が竜ノ口に向かっていくあの態度、キリストが十字架を背負って刑場に行きときの態度を、われわれは国家としてとる。

 ただしですね、そういう観念的な問題だけではダメだ。私どもは、われわれの建設-幸事を不幸事を思っている・・・。それには8千万人という人間が、この狭い国土に押し込められたことが非常によいと私は思う。8千万人は立派に、ここで食っていくことができる。食っていける。それがためには在来の西洋の文明のような構想ではいけない。われわれは、ちょうどその逆に、都市解体・農工一体・簡素生活の方向に行かなければならないと主張しているのであります。言い換えれば。われわれの革命というものは完全なるわれわれの生活態度の革命までいかなければならない、とこう思う。繰り返して言えば、われわれの革命は、われわれの生活態度の革命であります」

 これは誰のことばだと思いますか? 石原莞爾著『最終戦争論』(昭和47年2月25日経済往来社発行・石原六郎編)のなかの石原莞爾のことばです。これは戦争が始まる前に石橋湛山が行っていた小日本主義そのものだということですが、すごいですね。この発言はいつのものなのかわかりませんが、少なくとも昭和47年(1972年)以前のものですね。あのころ私と同じことを考えていた人がここにもいたんだ! 感動です。(私は1972年には18歳でしたが、高校生のころから当時始まった「使い捨て」がいやで、質素なくらしがいいと思っていました)。

 石原莞爾といえば、満州事変を画策し、戦争を起こした張本人です。その人がここまで変われるものなのか? (私はまったく知りませんでした)。

 カギカッコ内の文章は、生田暉雄弁護士がくださった3冊組の「この人を見よ 後藤昌次郎の生涯①『野人の誕生』」(後藤昌次郎著・日本評論社2010)に後藤さんが引用したものです。石原莞爾は後藤さんの同郷の先人で非常に影響を受けた人だそうです。以下、後藤さんの文章より。

 「石原莞爾が柳条湖で列車転覆を企てて、満州事変を発生させたということは言い逃れのできない出来事です、ところが石原は、満州へ行っているうちに、ものの見方が変わった。かれは中国人だの満州人だのは自己統治の能力はないと信じていた。ところが見ていると、たとえば、学生が日本の侵略に抵抗して組織的にたたかっている。新しい独立国家を作ろうという運動であって、自己統治の能力がないなんて自分が考えたのはとんでもない間違いだ。そういう認識がだんだん高まっていく」
 
 「満州事変の首謀者としての過ちに対する深甚な反省と、形はいずくであれその反省を全人生で表現する姿勢、わたしはそのことを<万物は流転する>というヘラクレイトスの言葉を借りてみずからの脳裏に焼き付けたのだが、思想そのものと言うよりも彼の生きざまに影響を受けたのだ。昭和15年以降の、満州事変の反省に基づく大東亜共栄圏思想に対峙するものとしての東亜連盟の活動は、後に日本国憲法9条の真の支持者たる彼の思想につながるものだった」

 後藤昌次郎さんは『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由(わけ)「A少年」は犯人か』(現代人文社2005)を書いた弁護士です。私はこの本を読んで、あとがきの最後にある「せいいっぱい書いたこの本が、A少年とご両親の目にふれますように」ということばに感動しました。

by lumokurago | 2010-06-04 10:43 | 社会(society)
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