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認知症講演会

東京都の主催で「認知症の人が安心して暮らせるまち・東京を目指して」というキャンペーンの基調講演として行われた、斎藤正彦さんのお話を聞きました。

1.認知症は脳の細胞が失われることによって起こる病的な老化現象で、アルツハイマー病、脳血管性認知症などがある。脳血管性認知症の原因である脳梗塞などの病気は、高血圧のコントロールなどで予防の可能性があるが、アルツハイマー病などは予防できない。

2.認知症の症状には、治療することが困難な中核症状(記憶、見当識など)と、治療やケアで防いだり治療したりすることが可能な周辺症状(徘徊、不潔行動など)がある。

3.認知症による障害は、周囲の人が気づくよりも何年も前から少しずつ進んでいることが多い。こういう時期に、適切な援助を得ることができれば、家庭生活、社会生活上の困難が顕在化する時期を遅らせることが可能になる。

4.つまり、「介護保険以前」の支援を可能にする社会を作ることが、本人、家族の生活を豊かにするだけでなく、結果として自立した生活の期間を長くし、在宅介護の負担を軽減することにつながり、高齢社会の医療、福祉の負担を軽くする。

5.がんの患者さんを、「がんの人」と十把一絡げにすることが理不尽なのと同様、認知症になっても、一人の人間としての尊厳が奪われるわけではない。認知症の患者さんである○○さんも、依然としてかけがえのない○○さんであることに変わりはなく、「認知症の人」という特殊な種類の人になってしまったわけではない。

最後に「大切なこと」として、次のようなことをおっしゃっていた。

「受容」「共感」「尊敬」などという心地よい言葉では早晩行き詰る。私たちは決して優しくも賢くもない。重要なのは未知なるものを畏れる謙虚さである。私たちは自分に理解できないものに出会った時、たじろぐ。できもしない「共感」をせず、知ろうとすることが大切だ。相手を知れば、少し優しくなれる。

感想

「今、計算などがボケ防止になると言われて流行っているが、認知症は病気なので予防できない。認知症は本人の落ち度ではない。怠けたからなるのではない。病気である」ときっぱりおっしゃったのが印象的だった。浴風会病院(老人病院)の院長のような専門家までが「ボケは予防できる」といった本を書いているので、私は「偏見を助長するひどいものだ」と思っていた。父が認知症になって、人から「芸術家はボケないって言いますけどね」などと言われるのが一番いやだったから。

計算したり、訓練をすれば、一般的な脳の老化を遅らせることには役立つかもしれないが、認知症は全く別のことだとはっきりおっしゃっていた。

また、「本人に告知する」または「病気について説明する」(相手の年齢などによって言い方は違うそうだ)ことが大事だとおっしゃっていたことにも共感する。本人がまず自分の変化に気づいて困っているのだから、説明はとても大事である。そしてこのことは何よりも「自分の人生は自分で決める」ことの基本だからだ。(がんの「告知」と同じ意味がある)。

「相手を知る」ことが大切だということに「その通り」と思う。よく老人に対して「暴力的になって・・・」という言葉を聞くが、それは認知症の老人は「不安」のかたまりだからである。相手をよく見て、相手を知ろうとすれば、そのくらいのことはすぐにわかるはず。一番身近で見ている「お嫁さん」からそうい言葉を聞くのは悲しい。

「介護保険以前」の認知症の初期段階の老人に対して、今の日本社会は最悪であろう。斎藤先生の提案は次のようなものである。




認知症が始まっても自分の力で生きることができるバリアフリー社会を作るために、まず必要なことは、認知症の原因となる病気や、認知症という障害について、正しい知識をもっていただくことです。認知症について正しい知識を持つことで、お互いの理解を深めることができます。理解が深まれば、偏見が薄らぎ、対等な人としてつきあうことができるようになります。正しい知識はまた、的確な援助を提供するためにも必要です。的確な時期に必要十分な援助をすることで、認知症になっても、自立した生活を続ける期間を長くすることができます。

認知症の障害による社会のバリアーを取り除くために有効な手段は、わかりやすい「環境」と親切な「人間」です。認知症になると、地下鉄の自動販売機や自動改札が分かりにくくなります。バスの整理券が理解できず、まごまごしてしまいます。後ろの若い人に急かされるとますます混乱します。そうしてだんだん外出をしなくなります。ラッシュアワー以外の時間だけでも、退職後の地下鉄やバス会社の方が案内役でいてくれれば、こういう時期なら一人で外出が可能です。認知症が始まると、お金の感情がすばやくできず、買い物のたびに、レジでまごまごします。列の後ろに並んだ人に舌打ちされ、わずかな買い物なのに1万円札を出し、店員にも迷惑がられます。スーパーのレジにまごまごしても良い、お年寄り専用レーンがあれば、こういう人でも安心して買い物ができます。

一人で用が足せる程度の認知症でも、お手洗いに一人で入った後、出口で家族と待ち合わせることができず迷子になることがしばしばあります。だから、介護しながら外出する異性のご家族は、おちおちお手洗いに行くこともできず出口で待っていなければなりません。排泄に介護が必要になるともっと大変です。でもデパートなどの公共の建物に、家族用のお手洗いが必ずあれば、認知症が多少進行しても介護している家族は安心して外出できます。認知症になってもわかりやすい環境、障害を理解して適切な援助をしてくれる人がいれば、認知症の患者さんも、ご家族も、今よりずっと長く、深く、外の世界と触れ合うことができます。こういう社会は認知症に限らず、統合失調症、発達障害など、様々な目に見えない障害を持つ人にとっても住みよい社会です。これが私の考える脳と心のバリアフリー社会です。

(斎藤正彦さんのレジュメより)

by lumokurago | 2006-11-03 21:06 | 社会(society)
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