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「魔法陣」と私と夢

「魔法陣」と私と夢_c0006568_22173832.jpg
「魔法陣」作品展より(「魔法陣」は阿佐ヶ谷にある「障害」者の作業所です)。

1985年3月発行の私の個人通信にFさんが原稿を寄せてくださっていますから、思い起こせば長いおつきあいです。私がなぜFさんに個人通信をお送りするようになったかといえば、当時、私は杉並の学童クラブで「障害」児受け入れをめぐって、児童福祉センターといろいろとやりあっており、それを読んでいただきたかったからだと記憶しています。なぜFさんを知ったかと言えば、「障害児を普通学級へ」の運動から「中野杉並保育教育を考える会」を知ったからです。

さらになぜ私が「障害」児者問題に興味を持ったかといえば、26歳の時に変形性股関節症の手術をして、車椅子、松葉杖などを経験する「にわか障害者」になったことがきっかけです。

1985年当時、私が個人通信に報告していた時の子どもが、魔法陣でお世話になっているTちゃんです。小学校3年生の時からの長いおつきあいです。



あれから20年以上経ちましたが、社会が加速度的に悪い方に変わっていき、現在が最悪であることを実感せざるを得ません。学童クラブの「障害」児問題でいえば、「障害」児の受け入れが制度化され、より「重度」の子どもも受け入れるようになりましたが、制度の中身がよくなったというわけではありません。それに、学童クラブ全体がすべて(職員の労働状況も子どもの状態も)どんどん悪くなっていますので、その中で「障害」児への対応だけよくするということも不可能だと思います。

結局、あの当時私が訴えていた本質的な事柄はなおざりにされたまま、ごく表面的なところで「受け入れ」の制度化及び「改善」が進められてきています。私たちがあの当時一生けんめいに模索していた「障害」児と「健常」児の交流も、あまりの忙しさと余裕のなさ(子ども、大人両方の)から現在ではとてもむずかしいものになっていると思います。それでも職員が努力していることは信じていますが、残念でたまりません。

魔法陣には昔も少しだけボランティアで関わったことがありますが、仕事を持っていたため、長続きしませんでした。今回は退職したので、少し長く続けられたらと思ってお願いしたところ、木曜日の機織の時間にどうぞと言っていただきました。

Kちゃん、Yちゃん、Aちゃん、Mちゃんたちの懐かしい面々に会えてとてもうれしいです。また、新しいメンバーの方々もいつもなごやかで、笑い声が絶えません。Tちゃんもいつも「学童クラブ、行ったの」と言ってくれます。ここに来ると本当にほっとできます。 

退職の理由はいろいろありますが、その中には「今の子どもたちとのつきあいに疲れた」ということがあります。本当なら苦しんでいる子どもたちに対して、大人として何かできればと思うのですが、職場環境も天と地ほど変わり、職員が自由にできることも非常に限られてきて、窮屈でもあり、また、子どもたちとの信頼関係もなかなか築くことができず、非常に薄っぺらいものとなり、逃げるようで申し訳ないけれど、第二の人生を探そうと思い、決心しました。

と、探す間もなく、昨年の「つくる会」(扶桑社版)歴史教科書採択反対運動に関わってしまい、あれよあれよという間に、採択取り消しの裁判まで起こすことになってしまいました。現在は裁判中心の生活です。去年の2月から4つも裁判を起こしています。初めての時はドキドキだった記者会見にもすっかり慣れてしまいました。

ちょっと横道にそれましたが、こんな私の大きな夢は、「障害」児者も老人も、子どもを育てている夫婦も親と一緒に暮らせない子どもも独身者も、みんなが協力しあいながら暮らせる家(もっと大きくなれば「地域」)を作ることです。こんなにひどい日本社会です。もちろんこれからもあきらめずにできることはやっていきたいけれど、政治を変えるのはあまりにもむずかしい。無理だ。だったらせめて「障害」児は「障害」児、老人は老人、子どもは子どもと分けないで、みんなが自然に一緒に暮らせたらいいなあ。そのくらいのことは政府ぬきで自分たちでもできるんじゃないかなあ。

同じことを思っている人はきっとたくさんいると思います。そんな人たちが集まれば不可能も可能になるかもしれないと夢見ています。

(「魔法陣」だよりに寄稿したもの)

by lumokurago | 2006-11-24 22:22 | 社会(society)
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