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『「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか』を読んで

『「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか』を読んで 

『「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか』を読んで_c0006568_1037979.jpg編者:4・7集会実行委員会
出版社:太郎次郎社エディタス
定価:1000円+税 

 本書は2007年4月7日、東大教育学部156番教室で行われた集会「改定教育基本法と教育実践の現在」の記録である。この集会には、教師、父母、市民、研究者が参加、5時間にわたり討議した。筆者は「改定」教育基本法が違憲であるとして、その取り消しを求める裁判を起こしている。学校現場がこの問題をどうとらえているのかに大きな興味を持って、この本を読んだ。

「統治としての教育」を完成させた東京

 学校現場からは、「統治としての教育」を完成させた東京ということで、報告があった。賃金と連動し、校長・副校長・主幹・主任が職階として設定され、教員は「校長の学校経営にどう協力できるのか」自己評価を行い、自己申告書を提出、校長がABCDで評定する。この過程で、教員は校長の指示と「説得」に従って学校経営に参加していくようにできあがっている。校長に従わない教員は賃金も上がらず、すぐに学校から追い出されてしまうというわけだ。

 子どもに対しては、道徳と学力向上が求められ、授業は反復練習と正解にたどり着くまでのプログラムに基づいて行われる。知識を詰め込めるだけ詰め込む、予定されたプログラムでここまでやればいいというスタイルはもう「自動車教習所」と同じではないかというほどだ。

 与えられたことを覚えるだけなので、学びを通して自律的に自分を立ち上げていくことができなくなっていく。むしろ授業の中で、「僕」とか「私」という主語を立ち上げていくこと自体「危ない」のだということを子どもたちが思い始めているということだ。本来自分で考える子どもを育てるべき教育がここまで貶められている。

教育の主権を国家がにぎる道へ

 佐藤学氏(東京大学大学院教授)は、教育基本法改正は憲法改正ができないから、それをやらないまま憲法改正後の日本を一挙につくろうとしたものだと述べ、日本社会が新しい「心の管理社会」に移行していると指摘している。この情況で、教師と親との関係は、子どもを教育する責任の共有から、サービスの提供者とサービスの受け手に変わってきた。人が信頼できなくなって、数値しか信頼できず、学校までが査定社会になってしまった。

 その上、この10年に東京都内のいわゆる要保護・準要保護家庭の比率が3倍に伸び、全家庭のほぼ3割を占めるようになった。その家庭の崩壊、子どもたちの経済的・文化的・社会的混乱を、いまのところは教師が全部引き受けているという実態があると述べた。

 平林浩氏(出前教師)は、学力低下がさかんに言われているが、全体を見れば騒ぐほどのことではなく、いじめや自殺も減っているのに、メディアを動かして教育現場に問題があるように宣伝し、教育改革の必要性を正当化、教育基本法まで変えて、教育の主権を国家がにぎる道を着々と歩んでいると指摘した。今ほど教育が卑しめられている時代はないが、争い、競うのではなく学習意欲を育てる教育、人権を大切にする教育をめざそうと述べた。

 他にこの本には授業の実践報告、参加者との交流があり、教師たちが厳しい条件の中でも授業を武器にがんばっている様子を垣間見ることができた。

筆者の感想

 筆者は東京都杉並区の児童館・学童クラブの元職員である。子ども相手の仕事を長年続けてきて、佐藤氏と同じことを感じていた。昔、親と職員は手を携えて子どもを育てる「仲間」であったのに、ちょうど新自由主義の台頭に従い(杉並区では2005年に「つくる会」教科書を採択させた山田宏区長の台頭)、職員はサービスを提供する者、親はサービスを受ける者と分断されてしまった。

 また、昔は夏休みのキャンプなどでは全員の親で全員の子どもを見るという意識があったものだが、いつからか「自分の子どもだけ」に変わっていった。昔、親は子どもを預けるというだけで、職員に対して基本的な信頼感を持ってくれたものだが、今は、そうとも言えなくなった。保育・教育の仕事は根本的に質が変化したのである。

 子どもの問題は社会全体が複雑に絡まりあって生まれてくる問題である。現代は人類がいまだ踏み込んだことのない複雑で先の見えない時代なのである。

 マスコミはもう長い間、学校バッシングに徹してきたので、子どもと接していない大人たちはそれを信じているだろう。しかし、悪いのは学校ではない。47年に制定した教育基本法が教育を悪くしたと政府や文科省は宣伝したが、47年教育基本法は制定後まもなくからどんどん骨抜きにされ、国家主義教育に戻す策動が行われてきた。その結果、教育はこんなに悪くなったのであり、47年教育基本法を守っていれば、こんなふうになることもなかったのである。

 佐藤学氏は、都道府県教委はルビコン川を渡ってしまった。市町村教委はまだ渡っていない。ただし東京の区教委はかなり渡ってしまった。でも現場の教師はほとんど渡っていないと言っている。筆者もそう思う。心ある市民は政府の宣伝やマスコミに踊らされず、自分の目で学校や子どもの問題を見て、自分の頭で考えてほしいと切に願っている。そして、47年教育基本法を取り戻す一歩を踏み出そう。このまま黙っていれば、日本の教育(学校)は破滅する。犠牲になるのは子どもたちである。

 さいごに……このような大きなテーマを短い文章で書くことには無理があるが、いつまた書く機会があるかわからないので、無理を承知で書きました。子ども相手の仕事をしていた者として、このままでは子どもたちに申し訳ない、なんとしても、現状を変えていかなければならないと強く思っています。

by lumokurago | 2008-07-19 17:01 | JANJAN記事
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