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ゆうだい君と手紙をくれたみんなへ その1

 「ぼくのおとうさんは東電の社員です」  私なら、子どもたちにこんなことを書く。

*****

 ゆうだい君、そしてゆうだい君に手紙を書いてくれたみんなへ

 みんな、いっしょうけんめいに考えて手紙を書きましたね。それだけ原発事故がみんなにとってショッキングなできごとだからだと思います。いままで何も考えずに、電気をつかって長い時間ゲームをしたり、パソコンをしたりしていたのが、事故が起こって放射能がもれて、それがこの先、何百年ものあいだ、消えることがないというのですから、それはそれは大変なことです。大人は節電、節電と言ってさわいでいます。そして、放射能の影響は大人よりも子どもがうけるらしい。わたしたち、どうなるの? いつまで生きられるの? がんになるの? そんなのいやだ。ぼくたちには将来の夢があるのに、と、きっと不安でいっぱいでしょう。

 むかしも原発事故はありましたが、日本にとってこんなに深刻な事故ははじめてです。たった1回の事故がとりかえしのつかない事態を招いてしまったのです。日本は半永久的に放射能で汚染されてしまいました。土や水が汚染されたために、食べ物も汚染され、どの食べ物なら安全なのかさえはっきりしません。おかあさんたちはみんなのことを考えて、いてもたってもいられない気持でしょう。ではどうしたらいいのでしょうか? 起こってしまったことは取り返しがつかないとしても、今後、みんなが元気で生きていくためにできることを探して、それをやり遂げなければなりません。

 これから、みんなの手紙を読んで感じたことを書きます。

 1、大人は平気でウソをつく。

  一番大事なことです。みんなは、テレビをみたり、新聞を読んだり、大人たちが言っていることを、ほんとうだと信じて、その情報をもとに手紙を書きましたね。でも、テレビや新聞や大人たちのほとんどが言っていることは、ほんとうとは限りません。全員ではありませんが、大人は平気でウソをつくので、ほんとうのことを知ることはむずかしいことなのです。なぜ大人は平気でウソをつくのでしょうか。

 「わたしのお母さんも平気でウソをつくの?」と思った人がいるかもしれません。ちょっとむずかしいけれど、大人には「役割または立場」というものがあります。その「役割または立場」が大人にウソをつかせるのです。枝野前官房長官は原発事故が起こったとき、「ただちに健康に影響はない」と言いつづけました。しかしこんな重大事故が起こったのははじめてなので、「ただちに健康に影響はない」かどうかはわからなかったはずです。事故が拡大した恐れもあるからです(その可能性はいまでも完全に否定することはできません)。だからこの発言はウソなのです。枝野前官房長官は政府を代表して、このウソをつきました。理由はパニックを起こさないためとかなんとか言っていますが、事故の重大さを国民に知られたくなかったからです。「健康への影響がでるかどうかはわかりません。今後政府として責任をもって事故を終わらせ、影響について調査して、ご報告します」というのがほんとうでした。

 枝野前官房長官は「官房長官」という政府を代表する立場にいたから、平気でウソをついたのです。本心でどう思っているかはわかりません。それに、枝野さんも自分の子どもにこんなふうに平気でウソをつくとは思えません。家では「いいお父さん(という役割)」をやっていることでしょう。

 枝野さんのなまえがでたので、ついでにこんな話もしておきます。みんなは経済産業省(原発をとりしきっている国の役所)まえで、福島のお母さんたちをはじめ、全国からたくさんの人が集まって、すわりこみをし、テントをはって泊まり込んでいるのを知っていますか? 今日で139日目です。人々はあんなに恐ろしい事故を起こした原発(日本に54基ある)を全部廃止してほしいと、経産省まえにテントをはって必死でうったえているのです。

 ところが枝野経産大臣が、今日(1月27日)夕方5時に、テントを撤去(無理やりとっぱらってしまう)するといっています。経産省まえにテントをはることは、なぜいけないのでしょうか? 経産省の敷地内だから、とか火事が心配だとか言っているようです。しかし、よく考えてごらんなさい。経産省の敷地は国民のものではありませんか? 経産省の大臣の給料も、職員の給料も国民ーみんなのお母さん、お父さん、すわりこんでいる人たち・・・が払っているのです。経産省は国民のためにあるのです。それなのになぜテントをはってはいけないの? それに大人が泊まっているテントの火事が心配なら、普通の家ぜんぶの火事が心配でしょう。ほんとうは撤去させる理由がないから、こじつけているのです。これも「ウソ」の一つです。原発を廃止しようという国民の声がこれ以上大きくなると困るので、ウソをついてもつぶそうとしているのです。

 「国民主権」ということばを知っていますか? 国のあり方、法律や経済、ここでは原発を廃止するかどうかを決めるのは国民だという意味です。しかし現実に国民一人ひとりが話し合いに参加して国のあり方を決めるには国民の数が多すぎて不可能です。そのため選挙で議員を選び、選ばれた議員たちが国会で話し合って国の方針を決める制度を「議会制民主主義」といい、日本ではこのやり方をとることを憲法できめています。

 主権は国民一人ひとり、みんな一人ひとりにあります。だから原発を廃止したいという意見を経産省に言っていくことは国民の権利なのです。経産省はテントを撤去したりしないで、きちんと意見を聞くべきなのです。国民の意見を聞かない政府は民主主義の政府ではありません。

 もう一つ、政府は重大な情報を隠していました。スピーディ(SPEEDI)ということばを聞いたことがありますか? 政府は原発事故がいつか起こることを想定して、そのときの風向きによって原発からもれた放射能がどの方向にどのぐらい拡がるのかをシミュレーションするコンピュタを作っていたのです。何億円だったか、すごい大金を使って。

 スピーディの情報も隠されていました。ちゃんと計算して汚染地図もつくっていたのに、一番大事な避難するときに公開しなかったのです。政府は原発からの距離のみによって(風向きは考えず)同心円の避難区域を決めました。ほんとうは風が北西に吹いていたので、原発からの距離は遠い福島県の飯館村や川俣町の山木屋地区の汚染が原発のかなり近くよりもひどかったのです。何も知らされない人びとは20キロ圏内から、より汚染のひどい飯館村のほうに避難し、よけいに被ばくしてしまったのです。事故があってすぐ、もっともたくさんの放射能がでていたとき、なんの情報も流さなかったために、子ども連れで給水車に並んだり、なにも知らずに外で遊んでいた子どももいました。

 政府はこのスピーディの汚染地図を事故が起こった3日後にはアメリカ軍に教えていたのです。日本人に公表されたのは、それより9日も遅い3月26日になってからでした。そんなときに発表しても意味がありません。人々はそれまでのあいだにもっともひどい被ばくをしてしまったからです。政府ってものすごい大ウソつきで、子どもたちのいのちより、アメリカ軍を大事にしてるんだなあと思いませんか?

 大人が平気でウソをつくことについては、いくらでも書けるので、この辺にしておきます。だから、子どもたちはテレビをみたり、新聞を読んだり、大人の話を聞くときは、それがほんとにほんとのことなのか、いつも疑問をもつ必要があるのです。

 (つづく)

# by lumokurago | 2012-01-27 19:08 | 原発

緩和ケア編 その7

 こんばんは。昨日で5回目の放射線治療が終了し、今日から6回目が始まりました。こんなに放射線受けている人、いるのでしょうか。長生きしているから骨の治療が必要になるとも言えるので、文句は言えません。
 
 現在、飲んでいる薬はデュロテップMTパッチ2.1mg=オキシコンチン20mg、+経口オキシコンチン10mgで合計30mg/day、とアセトアミノフェン750mgを一日2回。痛みはなんとかやりすごしているのですが、左足が筋力低下で足をひきずり、ほとんど歩けません。痛くて起きあがるのが大変で、トイレもベッド上でしていたせいでしょう。いまは夜以外はトイレに行くようにしています。
 消化管がほんの少しつまっているのではないかという疑問がでてきました。げっぷとおならがひどく(もうずっとまえからですが)、たまに少しだけ食べた物が戻ってきます(少量なのでそのまま飲みこんでしまいます)。金曜日近藤先生に言ってみます。肝転移は2年前に2センチだか3センチだったのが、背骨に照射したときに、偶然一緒に照射されて消えたのですが、その後1年半で6センチになっています。大きくなる速度が非常に速いと思います。一度照射されたのでがんの性質が悪くなったのでしょうか。それでいよいよかという思いがでてきて、死後の手配などをノートに書こうと思っています。

 家の新築ですが、来週から半分取り壊すことになりました。残りの半分に住みつづけ、できあがったら引っ越します。5月にはできあがると思うので、間に合うとは思うのですが、どうしても間に合いたいという強い気持ちはなく、とにかく両親の遺した大量の物の片づけが終わったことで、ほっとしています。やってみて、妹ひとりでは無理だったと実感したので、決心してよかったと心から思っています。

 馬の話がなかなか書けませんが、お待ちください。 渡辺容子  1.17


こんばんは。
多分、左足の麻痺がありますね。
私も中枢性ですが左の麻痺がありますので
なんとなく状態がわかります。
消化管の症状は食道裂孔ヘルニアではないでしょうか。
食道に胃の一部が飛び出しているのです。歳をとると皆なり、
私もすでにそうなっています。
通過障害に加えて胸やけが伴っているようでしたら胃酸を抑える薬が必要
でしょう。逆流性食道炎という病態です。

新居が楽しみですね。
昨年暮れに亡くなった方のご遺族の相談にのっているのですが、遺灰の一部を
人造ダイヤモンドにして、残りを海に流すことになりました。私も海がいいかなと
思っており、遺言書をつくってあります。ダイヤモンドにするには60グラムの遺灰が
必要で1カラットを作るのに100万円くらいかかるようです。遺灰を粉末にするのは、
池袋の葬儀屋が1万5千円で引き受けてくれますし、船の手配もしてくれます。
渡辺さんは故郷の山へ散骨でしたね。唯物論者の私はゴミとして捨ててほしいですが、
無理のようですので、海ということにしました。もちろんダイヤモンドはお断りです。
暮れに亡くなった方は奥様の意向でダイヤモンドということになりました。
現在ビールを飲んでいます。アサヒのスーパードライです。カシスの発泡酒はおいしかったのですが
すぐうりきれになりました。
網野  1.17


 こんばんは。私の左足のことですが、麻痺となると、手術が必要になるのでしょうか・・・。これ以上ひどくならなければ、このくらいは仕方なしとして、手術はしたくありません。脊椎の手術なんて大変そうですから、残りの時間を楽しいことに使いたいと思います。

 今日、付き添ってくれた友人に逆流性食道炎のことを話したら、食べてすぐ横になるとなりやすいと言っていました。私は10月か11月ころから、起きていると痛いので、食べたらすぐに横になっていました。ちょうどそのころにげっぷがでるようになったと思います。おなかがすかず(寝てばかりなので当然ですが)、いつもお腹が張っているのはこのせいですね。秋からだいぶやせてしまいました。「悪液質」かなと思っていました。近藤先生にも相談し、薬を飲むかどうかを決めようと思います。

 遺骨でダイアモンドができるらしいことは新聞の広告で知っていましたが、ほんとうに利用する人がいるのですね。夫さんが大好きなのですね。いいことです。

 葬送の自由をすすめる会のパンフをとりよせたところ、いまはもう、どこに遺骨をまいてもいいそうです。粉にするのも自分(家族)でできるとのことでした。船を仕立てる必要もなく、どの船からまいてもいいが、船長には断っておいたほうがいいだろうとのことでした。
 私は母とまえの猫の遺骨と一緒に、牧場の親戚に粉にしてもらって、まいてもらおうと思っています。(父は父の母親の実家が寺だったため、断り切れず墓をつくりました。木の墓標です)。 渡辺容子  1.18



消化管には麻薬が影響しているかもしれません。逆流性食道炎への
私の対処法は右を下にして横になり胃の内容を腸へ落としていく方法が
効果的でした。げっぷは空気の飲みこみが原因とされているようで、
唾液を飲み込む時に空気も飲み込んでいるのですね。そこで、唾液を
できるだけ口の中にためて嚥下の回数を少なくするとよいかも。
少し離れた酒屋でカシスの発泡酒をみつけました。これから飲みます。
どこにまいてもよいということは、下水道でもよいのでしょうか。少しずつ
トイレに流してもらいたいですね。北欧は公園の芝生に撒いているとききました。
麻痺があっても歩けるなら放置がよいかもしれません。手術は大変そう。
網野  1.18


こんばんは。逆流性食道炎の対策は先生の真似をしてみました。私は左を下にして本を読むくせがあって、右を下にすると痛いので、いつも食後すぐに左をみて寝ていました。いまは右を下にしても痛くなくなり、よかったです。げっぷは、顔面神経麻痺のため、口の右のほうが閉じないので、そこから空気が入っているのかなと思っていました。おならはなんでしょうか? すごいですよ。

 もう長くないと思うので、友人らにそう言うと、「がんばれ」とか「長生きして」とか言う人が多いので、うんざりします。もうすぐ死ぬということを認めてもらいたいですね。先生が「トイレに流してもらいたい」なんておっしゃると、笑ってしまい、うれしくなります。みんなには死ぬことは自然なのであり、悪いこと(!)だという偏見を捨ててもらいたいです。この3月で58歳ですからね。友人の多くには孫がいますし、十分長生きです。
 ビデオプレスの松原さんが、人間は50歳にもなると歯も悪くなるし、悪いところがいろいろとでてくる、もともと50歳までの寿命としてできあがっているのだ、と言っていました。確かに。 渡辺容子  1.19


こんばんは。
げっぷもおならも原因は空気の飲みすぎと言われます。
呑気症というのですね。嚥下の回数が多いのです。
心理的要因が考えられます。とりあえずは唾液の飲み込みを少なくする
のがよいでしょう。子供のころ豆を食べすぎてお腹がパンパンに
なったことがありました。翌日腹痛とおならで大変でした。いろんな原因がありますが、頻度の高いのは
aerophagiaです。
寒いですね。外の猫にはペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わりに
しています。そのほかほっかいろを段ボールのそこに敷いていますが、
少しは暖かいですかね。
現在、カシスの発泡酒を飲んでいます。
網野  1.19


こんばんは。今日は近藤先生の診察でした。逆流性食道炎のことを言ったら、「ぼくもだよ。あんなの珍しくない」と言われ(やはり老化現象ですね)、薬のことなど言いだせませんでした。私はそろそろ(がんの症状として)食べられなくなってくると言われました。やはり悪液質なのでしょう。疲れてしまったので、詳しくはまた明日書きます。

緩和ケア編 その7_c0006568_1772233.jpg
  それより、チャー吉、ここ3日くらい来なくて、寒いし、雪まで降って心配していたのですが、今日の午後来て、喜んだら、なんと! 耳にはっきりとした三角の切り込みが入っていました! 去勢した野良猫という証拠です。だれがつけてくれたのか。私のブログを見た人がコメント欄には書きたくないけど、そっと知らせてくれたのか。その人もかわいがっているのでしょうから、うちの猫みたいになって、ずっとうちで寝ているので心配だったことでしょう。これで寒い日に来なくても、その家に行っているだろうことがはっきりしたので、安心しました。(でももともと去年の7月ころ、まだ6ヵ月くらいの子猫だったチャー吉が必死にニャオニャオないてご飯の催促に来たので、その頃はたぶんその家は知らなかったと思います。それにその家で世話をしているとすれば、夏の耳の日光アレルギーとけんかの傷がなかなかなおらず、手当てしているとは思えないので、抱き上げたりはできないのでしょう)。

 チャー吉の去勢済みがはっきりしたので、猫の保護活動をしている獣医さんに捕獲器が必要かどうか聞いたら、ほしいというので、そちらにあげることにしました。 渡辺容子  1.20


 こんばんは。外は寒いでしょうね。こんな日も競馬はあるのですか?

 昨日の続きです。いま問題になっているのは左足の麻痺で、近藤先生の診立てでは、このあいだ照射した第5胸椎よりも下に転移があって、神経を巻き込んでいるとのことでした。放射線治療は1度に2ヶ所しか保険適用できなくなったそうで、坐骨+大腿骨が麻薬で治まっているなら、そこを中止して背骨にかけようかと言われました。大腿骨が折れそうなのだと思い込んでいたのですが、先生はそんなことは言ってないと。麻痺は3週間位同じ程度で続いているので、急激に進むことがなければ、あとまわしにしたいと思っています。来週金曜日まで様子をみます。

 それと肝転移ですが、10月に60ミリだったものがこのあいだのCTで70ミリになっていました。ここに放射線をかけるとすれば22グレイかけられるとのこと。
 ただ、2年前に背骨と一緒に偶然放射線がかかって、画像上消えた肝転移ですが、その後1年半で60ミリになったことを考えると、放射線がかかったせいでがんのタチが悪くなり分裂速度が速くなったと思われます。とすると、また照射して小さくなっても、さらに急に大きくなる可能性もあります。骨転移もこれからどんどん進行すると思われるので、対応が大変になる一方です。肺転移はホルモン剤が効いているらしいです。

 以上を総合的に考えると、肝転移は放置がいいと思われます。これも来週までに考えてくることになっているのですが、私としては放置の方向にいきつつあります。
 
 画像上消えたときの大きさがわからないので、正確に計算することはできないのですが、私が戯れに計算したところ、余命予想は5ヵ月から8、9ヵ月というところでしょうか。(何センチになれば死亡するのかも知らないのに勝手な計算です)。

 先生に看取っていただくのが人生最後の希望なので、夜、うちに泊まってくれる人を募集(お願い)しようと思って、文章を作成中です。1~2ヶ月は必要でしょうか?  渡辺容子  1.21


こんばんは。
猫はくっつきながら寒さをしのいでいます。
当院関連の猫も避妊・去勢を終えた猫には耳にしるしをつけています。そういう
きまりなのでしょう。
今の季節、競馬は千葉の中山、京都、小倉と決まっています。
馬は寒さに強いのかな。今日は2レース当たりました。ついているほうです。
何が面白いのかわかりませんが、賭けは未来予測ですから、時間との関係が
おもしろいのでしょう。毎週レースがあるので、退屈しのぎができます。実は、
平日の賭けは株の取引をしているのです。本を書くのは止めてしまっていますから、
これらで、ずいぶん助かります。本は書き始めてはいるものの、完成には程遠いです。
脊椎に放射線をかけるのはよいかもしれませんね。肝臓はゆっくりでいいのでしょう。
網野  1.21


 こんにちは。雨もやんで寒さも落ちついたようです。さっき、犬を連れたお客さんが来たら、ニイニはピンポンが鳴るとさっと逃げるので犬が入るまえに逃げ切り、お客さんと遊ぼうとしたチビは思わぬ犬の出現に驚いて、天井まで飛び上がりました。しっぽがぶっとくなっていました。さぞかしこわかったのでしょう。お客さんはすぐに帰ったのですが、なかなか部屋に戻ってきませんでした。

 さて、馬の話をします。1980年頃、倉本聡脚本の『北の国から』を放送していました。先生は忙しくてご覧になっていないと思いますので、まず簡単にテーマを。東京住まいの父親と子ども二人(兄と妹)が父親の離婚で、父親の故郷である富良野に戻ります。父親が物質主義、効率主義などを嫌う昔気質の人間で、廃屋で手作りの生活を始めます。水は森の奥から自分で引いてきて、電気は自分で作った風力発電。電気や水が通ったときに、親子で大感動、大喜びします。視聴者は自分の生活を振り返り、今の暮らしでの物の過剰さ、本来の物の大切さを感じさせられます。ま、こんなテーマで進んでいくのですが・・・

 あるとき、真冬の雪道で東京の叔母さんが兄妹を車に載せて運転していて、立ち往生します。すごい吹雪で車が雪に埋まってしまいます。父親らは車をだして探そうとするのですが、雪が深くて車は使えません。馬なら大丈夫かもしれないと、部落で馬を飼っているじいさんが馬をだします。そして埋れている車を発見するのです。文明の利器は自然には勝てず、むかしから飼っている馬が役に立つのです。でも部落で馬を飼っているのもすでにそのじいさんの家だけになっています。

 別の回の話になります。馬を飼っているじいさんの家は貧しくて、これ以上馬を飼いつづけることはできなくなり、売らざるをえなくなってしまいます。部落の者もぎりぎりの暮らしなので助けることもできません。馬を売った晩、じいさんはしこたま飲んで酔っ払い、「あの馬には名まえもつけていなかった。ただ馬と呼んでいた。家族同然だったのに、いまごろは馬肉になっているだろう」と涙します。そして帰り道、じいさんは橋から川に転落して死んでしまうのです。

 馬を飼いつづけられなくなって、一つの時代が終わりました。じいさんもまた、新しい時代などみたくないとでもいうように、古き良き時代の終りを人々に知らせながら、馬と一緒に死んでしまったのです。

 馬を飼い、家族の食べ物は畑で作り、自給自足の暮らしをして、少しの現金収入を得る・・・などという暮らしがいまどきできるはずがありません。

 『北の国から』は人気番組だったので、数年に1度2時間ドラマという形で続編が放映されました。子どもたちの成長を追ったものです。最後の番組はいつだったでしょうか。成長した兄が結婚することになります。彼は結婚にあたって、父親と同じ、自給自足の生活を選びとるのです。

 都会に住むわれわれはとてもそんな生活はできません。しかし、倉本聡はこの現代にあっても、むかしながらの暮らしが最も人間的なのだということを主張していました。私はせつなくせつなく、彼の作品に感情移入してみていただけですが・・・。

*****

 処方のお願いです。

 デュロテップMTパッチ2.1mg  10枚
 オキシコンチン 5mg  何錠まで一度にだせますか? たくさんお願いします。
 酸化マグネシウム  ?mg  1日3回 30日分

*****

 以上です。おっと、去年だしていただいた処方箋の請求書がまったく届いていません。ちゃんと請求してください。どうぞよろしくお願いします。  渡辺容子 1.22


こんばんは。
富良野は石狩川の支流、空知川の源流の辺りにありますね。自然主義の国木田独歩が空知川の畔にてを書いたという。盆地なのでかなり寒いところでしょう。泊まったことはありません。緯度は私の生まれた美唄と同じくらいで、山二つ東という位置関係です。私の祖先はアイヌから土地を奪って開拓したのでしょう。あるいは、アイヌは農耕民族ではなかったから、「勝手にしやがれ」といったかもしれない。
美唄はアイヌ語でピパオイといい、カラス貝の多いところという意味だそうです。昔は石狩川の氾濫が多く、沼地が広がっていたと思います。そこを明治政府の屯田兵が奪って行ったわけです。石炭が取れましたので戦中戦後は炭鉱で栄えました。今は米の産地で、すし飯にちょうどよいとのことです。昔は北海道米はまずくて食えなかったのが、温暖化でちょうどよくなったのですね。高校生のころ、授業が終わると自転車で石狩川へ遊びにいきました。途中の沼は渡り鳥の休憩地になっていて、にぎやかでした。

我が家の馬は私の2,3歳の記憶でぼんやりとしか残っていません。ある時、馬が消えてしまいました。どうしたのかと訊きましたが答えてくれません。病気で死んだとしばらくたって聞きました。今思うと、馬肉にでもなっていたのかもしれませんね。私の動物好きはこのころに形成されたのか。犬も好きでした。飼い犬のしろが死んだ日の朝、「何とかしろよ」と私を訴えるような眼でみました。何もしてやれない自分が情けなく、ただ、がんばれよと言って学校へ行きました。帰ってきたら畑の傍らで死んでかたくなっていました。そこに穴を掘り埋めて墓としました。しばらくたった夕方、その墓へ眼を向けると、突然青白いひかりが飛び出して真っすぐ私に向ってきました。私の周りを一回りして空高く舞っていったのです。宗教を信じない私ですが、その青いひかりはしろの魂のように思っています。私は古典的唯物論者ですが、この事実は否定できません。実際経験したことです。
明日処方箋送ります。代金は私が払っておきます。プレゼントですので気にしないでください。
網野  1.22


 こんばんは。処方箋、今日着きました。ありがとうございます。お金まで払っていただき、なんと言えばいいのか。ほんとは大笑いしてしまいました。先生はもう仕事をやめる方向ですね。HPも閉じてしまったのをみました。だからいいのかな? 赤ひげ先生というあだ名をつけよう。
 赤ひげ先生、もう新患は診ていただけないでしょうか? 乳がんの患者さんのお父さまで、肝臓がん+肺転移で、今日、近藤先生の診察を受け、「自分は手術も抗がん剤もやらない」とじぶんからおっしゃって、近藤先生は喜んで握手なさったそうです。世田谷区代田(井の頭線東松原)なのですが・・・。うちより遠いですかね。まだ症状はまったくありません(胸が痛くて受診し、レントゲンで肺転移がみつかったが、痛みはその後治まった)。私とも、楽しくやりましょうと言って握手しました。娘さんができれば網野先生に診てもらいたいと言っていますので、ちょっと打診です。

 しろのお話、かわいがっていらっしゃったので、魂が戻ってきて、お別れの挨拶をしたのでしょう。私も子どものころは、いろんな動物を飼っていました。うさぎ(台風で小屋が倒れ、逃げてしまった)、(夜店で買ったひよこの大きくなった)ニワトリ(飼いきれなくなり、そのころはまだ近所にあったニワトリを飼育している家に持っていかれてしまいました。親はそこで飼ってくれると言っていましたが、オスだったので食べられてしまったでしょう)、セキセイインコ、手乗り文鳥、犬・・・。猫を飼ったのは児童館の捨て猫が最初なので大人になってからです。

 近藤先生も動物好きだったそうですが、お母さんが動物嫌いで、猫が死んだのを「ネコイラズを食べたネズミを食べたせいだ」とおっしゃったそうですが、いま思えばお母さんがネコイラズを食べさせたとしか考えられないとのことで、恨んでいるそうです。それから飼っていたニワトリをクリスマスに料理されてしまい、それから10年以上、鶏肉が食べられなかったそうです。暇になっていろいろ思い起こすとひどい母親だったとおっしゃっていました。

 私は30代ころ、新得にある共働学舎という障害をもった人と健常者が一緒に暮らしている農場に通っていました。自閉症の子供を連れて行っていました。北海道の大自然もすばらしかったし、学舎のみんながやさしかったです。

 今日から家半分を壊し始めました。チビはまったく動じないのですが、兄ちゃんが家の様子がおかしいので、ノイローゼ状態・・・とまではいきませんが、いま外にだしたら、家がわからなくなって帰れなくなると思うので、用心に用心を重ねています。職人さんがでいりするので、ケイジに閉じ込めていますが、エサをいれたすきにニイニがでてしまい、結局私のベッドにもぐりこんで抱かれていました。チビはへっちゃらです。いつでも女はたくましいのか。

 渡辺容子  1.25


 こんばんは。
兄ちゃんの血統は極端に臆病です。
ちびの方は大胆ですね。同じ動物でも性格
が違いますね。新居で飼うことを想像すると
楽しくなるでしょう。
新得は母の父親たちが、兵庫県から夜逃げしてきた
熊牛という変な名前の土地に近いです。帯広に近い
のですね。冬は寒かったでしょう。
北海道の寒さは尋常ではありません。よく暮らしていたものだと
感心します。冬山でテントに寝たことがあるのですが寒くてきつかったのを
覚えています。北海道の冬山は低山でも厳しいです。

本題に入れずにビールを飲みつつ考えているのです。代田は環七沿いですので
行けないことはないのですが、女房が許可してくれるかしら。反対されそうです。
世田谷は在宅医療が進んだところで、開業医の結束が固く、近くにもよいドクターが
いると思います。医師会に相談すると紹介してくれるでしょう。
外来診療もしているでしょうから、試みに受診し、相性を確認するとよいと思います。
どうしても見つけられない時、私が車の運転ができる状態でしたらうかがえるかも。
先のことはわかりませんけどね。
網野 1.25
 

# by lumokurago | 2012-01-26 17:16 | Dr.Aとの往復メール

公園の猫 続編

公園の猫 続編_c0006568_173283.jpg
 雪が降っているのではなく、ストロボをたいた写真だそうです。
公園の猫 続編_c0006568_174848.jpg

公園の猫 続編_c0006568_1742517.jpg
 Yさんが私のことをブログに書いてくださいました。猫好きなかたはどうぞご覧ください。

http://www.gokinjo.net/mypage/004683337/blog.html?id=1321928

http://www.gokinjo.net/mypage/004683337/blogList.html?st=Cal&dy=2012&dm=1&dd=24

# by lumokurago | 2012-01-25 17:08 | 未分類

「僕のお父さんは東電の社員です」 その2

 昨日、この本のことを書いていたら頭がくらくらしてきた。森達也、いったいどうしちゃったの? 吉本隆明のように気づかずに「老醜」をさらす歳でもないでしょう?

 (私は吉本は詩以外読んだことがありませんが、ある時代に一世を風靡していましたね。私はあのようなむずかしい文章は本人もなにもわからずに書いているのだと思うので(自分がわかっていればもっとわかりやすく書けるでしょう!)、読む気はしません。突然ですが、最首さん、ごめんなさい! でも最首さんは、話しながら、書きながら思索しているのであって、それを自覚しているし、わかりやすい文章(本ー例:「痞」という病からの)もあります。話がそれた。吉本の詩は好きだったのですが、今回の発言は「老醜」ではなく、所詮こんな奴だったということだと、私は思います。森達也も)。

 血圧を下げるために続きを書かせていただきます

 「会社ってなんだろう」

 森達也は東電で働く社員の責任を回避するために、水俣チッソを引きあいにだしている。「原因が廃液とわかってからも、国とチッソは、廃液がそれほどに有害とは知らなかったし、知らなかったことに罪はないと主張した。でも住民たちが訴えた裁判は、国とチッソに責任があることを認定し、チッソの幹部社員2人が有罪判決となった。もちろんわざとやったわけじゃない・・・」

 だとさ。ずいぶんチッソの肩をもつじゃないの。実際にはたしか(すみません。詳しい年代まで覚えていませんが、おおよそはこうです)、昭和30年代には、チッソには水俣病の原因は、自分の工場廃水のなかのメチル水銀だとわかっていた。それを隠し通し(ここにも御用学者がいたもよう)、被害は大きく拡がったのである。つまり被害が拡大することを知っていながら「わざと」隠したのである。たぶん隠していた期間は十年以上だったと思う。メチル水銀が原因だとわかってすぐに手を打てば、こんなに被害は拡大しなかった。廃水を飲んでも大丈夫だと言って、社長(だったかな)が飲んで見せたり、悪の限りをつくしたのだ(誰かみたい)。

 ここにありました。

 水俣病センター相思社 水俣病の歴史 より転載

*****

 Q1-2-13 国はチッソが有機水銀を排出(はいしゅつ)しているのをわからなかったんですか?

A1-2-13 遅くとも1959(昭和34)年はわかっていました。
Q1-2-14 排水が原因とわかったとき、すぐに海に流すのをやめたのですか?

A1-2-14 チッソは水銀の入った廃水を流し続けましたし、国や熊本県もとめませんでした。

Q1-2-15 排水の中に有毒な物質が含まれていないか、なぜ検査しなかったのですか?

A1-2-15 検査というか、調査・実験はしていました。有毒であることがわかったあとも、そのことを隠して流し続けたのです。

Q1-2-16 水俣病の原因がわかったとき、水俣市民はどう思ったんですか?

A1-2-16 水俣病の原因がチッソであることは昭和32年頃にはチッソ工場の人だけではなく、水俣市民も気がついていたようです。チッソ工場は水俣で一番大きく重要な工場です。チッソがあったから水俣は村から町、そして市への大きくなっていきました。チッソがあやしいとわかったときからチッソ工場の人たちだけではなく、市役所の人もそれ以外の市民も水俣病のことを言わなくなっていきました。市民の多くはチッソを守りたいと思っていました。水俣にはチッソ工場で働いている人やその家族も多かったからです。だから、チッソ工場に漁民が押しかけたときも、かん者が座り込んだときも、漁民やかん者を応援する人はほとんどいませんでした。

*****

 子どもにウソを教えるな。おまえはチッソの手先か! さすがに良心がとがめたらしく、本書の最後のほうに、これよりはまともなことが書いてあります。

 森氏はチッソはわざとやったわけじゃないが、結果的には責任を負わなくてはならない、と書いている。そのあと、東電についてこう書いている。

 ――つまりどう考えても東電には責任がある。・・・「とつぜんですが、ぼくのお父さんは東電の社員です」。だからゆうだい君にとっては、東電への批判や悪口は、自分のお父さんへの批判や悪口に聞こえてしまう。・・・企業の責任と、そこで働く人たちの責任とを、絶対に一緒にすべきではない。

 組織で生きること

 次に森氏はホロコーストの例をあげ、人は組織の一員となったとき、子どもを愛するよき夫、よき父親が残虐なことをしでかしてしまうと指摘している。これは日本軍や同時多発テロ、アメリカによる報復、ルワンダでの虐殺も同じで、個人ではなく組織が行っているとしている。心理学のテストでも、多くの人は特殊で閉鎖的な環境に置かれたとき、たとえそれが自分の良心に背くような内容であったとしても、権威者やその場のリーダーの指示や命令に従ってしまうということが明らかになっているそうだ。

 そのあと、「人は群れる生き物だ」とかなんとかいいだし、「日本の集団力」が日本を経済大国にしたと述べている。そして最後のほうは、適当にお茶をにごして、「もしも『何か変だな』とか『大丈夫だろうか』と思ったら、リーダーや多くの人の意見とは違っても、『何か変だよ』と発言すること。いきなりは難しいかもしれないけれど、少しずつでもいいから声をあげること」などと書いている。自分のことを棚にあげて・・・。

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 ああ、疲れた。

 私は水俣病や原発事故に関して、チッソや東電・行政に責任があるだけではなく、それらの組織の一員にも責任があると思っています。チッソにも第二組合ができて、第一組合の活動を邪魔しました。第二組合の組合員は自分に責任がないと考えていたのでしょう。誠実な第一組合は会社の責任を自分の責任としてとらえて、患者の側に立つのです。

 東電で言えば、だいたい東電に入社したということに、将来原発事故が起こったら自分も責任を免れないという自覚が要求されると思います。高給目当てに入社すべき企業ではありません。事故が起こったら取り返しのつかない責任を負っているからです。そういう自覚のもと、仕事をすべきです。

 話は飛びますが、裁判所でも裁判官ばかりではなく、書記官や警備員にも責任があると思います。まえに書いたように、書記官にも国民の主権実現に協力してくれる人もいるのです。一人ではとてもできない勇気ある行動だと思います。まわりの理解があってできることでしょう。彼の行動を支えているのは組合だと想像します。

 文科省の係長にも責任があります。国民の役に立ちたいと思う係長がいるとすれば、国民が意見を求めれば、少なくとも自分の仕事、知っていることについて、誠実に答えようとするでしょう。区役所の職員だって、区民の質問に対して、大物議員や区の意向に逆らうことになったとしても、一人の人間として誠実に答えるでしょう。それが自分の仕事に責任をもつということです。お上のいいなりになって、国民を平気で適当にあしらうということは、実に不誠実な態度であり、彼の人格そのものが疑われるということです。

 ゆうだい君のお父さんは、事故が起こって、自分が日々どういう態度で仕事をしてきたかを問われています。もちろん東電という会社の責任は重大ですが、会社は社員一人ひとりで成り立っています。一人ひとりの仕事の積み重ねが事故を防ぐのです。一人が危険性を知らせたら、もみ消すべきではなく、全員でそれを取りあげて考え、危険性をなくしていくべきです。東電でそれが行われていなかったのは明白でしょう。

 しかし、お父さんにも責任があるからといって、ゆうだい君にはまったく責任がありません。このことでゆうだい君をいじめるなどもってのほかです。東電に勤めているのはゆうだい君ではありません。親子といえども、人格は違うからです。

 会社や役所などだけではなく、会社員、職員個人にも責任がある。そのことをはっきりさせなければ、日本社会は決してよくはならないと思います。

 

# by lumokurago | 2012-01-24 21:40 | 原発

「僕のお父さんは東電の社員です」

 この本は、毎日小学生新聞に載った「東電は人々のことを考えているか(北村龍行)」という大人の文章を読んだ子どもが新聞社に送った投書に、子どもたちや大人からたくさんの意見が寄せられたので、それらを全部掲載し、森達也氏の解説をつけたものである。(これも何日もかかって書きました)。

 言いたいことはたくさんあるが、気のついたことを順に述べてみようと思う。

 まず、子どもたちの手紙だが、原発に関する知識が行きわたっておらず、間違いが非常に多い。

 1、原発を作ったのは電気が必要だからだと思い込んでいる。

 2、しかも「みんな」、いわゆる「民衆」が作ったのだと思い込んでいる。

 
 3、ひまわりや菜の花が放射性物質をすうと思っている。

 4、原発はお金がかからないと思っている。

 5、原発をなくすためには節電が必要だと思っている。

 6、電気を無駄づかいしている子どもにも事故の責任があると思っている。

 7、原発に頼らなければ生活できないと思い込んでいる。


 これらの手紙に対して森達也氏が書いた「僕たちのあやまちを知ったきみたちへのお願い」という文章を読んでいこう。――以下が森氏のこどもたちへの質問である。

 ――最初の質問。原発はなんのためにあるのだろう? 

 森氏は「電気を作るため」と言っているが、ほんとうだろうか?

 ――なぜ電気を作らなければならないのだろう?

 森氏は「電気がなければ、いまの社会と日常がほとんど成り立たなくなる」と答えている。が、原発の電気がなくなっても、この状態にはならない。森氏を弁護するならば、あとでこのことを述べている。

 ――最後の質問。ならば電気とはなんだろう?

 森氏は発電のメカニズムについて解説している。ここでこの解説が必要だろうか?

 ――核分裂のエネルギーについて解説している。そして「多くの人がいるからこそ大きな過ちを犯すことも珍しくない」ことに触れ、あとで詳述するとしている。

 そのあと森氏はかなりまともなことを述べています。そのなかには子どもたちが誤解していることを正しているものもあります。

 1、原発のコストが安いという話は、地元への交付金や放射性廃棄物の処理にかかる莫大な費用を入れていなかったこと。

 2、原発は二酸化炭素をださないと言われていたけれど、原発だけでは出力の細かい調整ができないことと、原発が事故などで停止したときの備えとして、常に火力発電所や水力発電所をセットで稼働させていたこと(つまり二酸化炭素は減らない)。むしろ炉心を冷却することででた温排水を海に捨てており、結局は地球温暖化を進めているという説。ウランの採掘から燃料とするまで(など)に二酸化炭素をたくさん排出していること。

 3、事故の可能性以外に放射性廃棄物の処理の問題があること。

 4、原発の導入はアメリカの強い圧力のもと、歓迎する政治家や企業もあり、広島長崎に原爆を落とされた日本に「原子力の平和利用」というフレーズを持ち込み、国民を洗脳して、原発を建設した。

 5、高度成長期の入口である1950年代に「原発は絶対に安全である」という「安全神話」がつくられ、一人なら不安に思っていたことも、多くの人が言ったりやったりするので、「同調圧力」にやられて、集団の動きに従ってしまった。

 6、しかし自分の町に建てるとなると不安なので、遠くの町に建てることになり、原発を受け入れた地域には多額の交付金や税金が、政府や東電から支払われることになった。原発で働く作業員も必要だから、地元にとっては大助かりで、なかなか原発はいらないとは言えなかった。

 7、こうして巨大な「利権」ができあがった。

 8、学者なども原発の危険性を指摘するような学者はある意味「いじめ」のような状況に置かれ、日本は世界有数の地震国であり、被ばく国であるのに、世界3位の原発所有国になってしまった。

 疲れたので少し省略・・・

 ここでちょっとまとめ的なことが書いてある。(この部分には言いたいことがたくさんあります。私の言いたいことを赤字にしておきます)。

 ――ぼくたちは、これからは放射能と共存するしかない。・・・だから僕たち大人は、まずはあなたたち子どもにあやまらなければならない。ほんとうにごめんなさい。

 1、こんな狭い国土で54基の原発など、あまりに多すぎると発言するべきだった。 → 数が少なければいいのか(怒!)
 
 2、これだけ地震が多いのに、もしも事故が起きたら取り返しのつかないことになると考えるべきだった。 
 
 → 森達也さん、あなたは考えたことがないのか! ちょっと信じられないけど。

 3、絶対に安全なものなど世の中には存在しないのに、絶対に安全であることを前提にすべきではないと主張するべきだった。でもそれをしなかった。深く考えなかった。周囲の多くの人たちが気にしてないから、自分も気にしていなかった。 

 → ほんとうに気にしていなかったのか? あなたほどの人が。あなたは国民全体を代表して文章を書く必要はない。自分がどうだったのかを書くべきである。

 4、だからもう一度ごめんなさい。謝って済むことではないけれど、偉そうなことを書くのなら、僕はまず、あなたたたちに謝らなければならない。政府や東電も謝らなければならないけれど、何も言わなかった僕たち大人にも大きな責任がある。

 → 「僕たち大人」とひとくくりにしていいのか?! 長い間、原発に反対しつづけてきた一握りの大人もいるのである。ここに書かれていることを素直に読めば、私が「あなたほどの人が考えていなかったとは思えない」と書いたのは、ものすごい買いかぶりで、森達也さんはもしかするとその中には入っていなかったのかもしれない(すごい恥だねえ!)。

 でもねえ、少数派は反対してきたんですよ。私は原発導入のときは赤ちゃん~幼児だったので、何も知らなかったが、少なくとも東海村に日本初の商業用原子炉ができたころには疑問を持っていた。叔父の家族が東海村に住んでいたので、子ども心に「原爆と同じものが危なくないのか」と思った。その後、20代になってからこの年までずっと反対していたのです。日本には問題があふれかえっているから、いつもいつも原発のことだけをやっていられないので、疎遠になっていた時期もあるが、心の中ではずっと反対していたのですよ。

 森達也さんは、私たち少数派が反対していたことについて一言も書いていない。国民全員がだまされ、「安全神話」を信じ、無関心だったふうに書いている。どうしてそんなふうに書いたのかな? 何を隠しているのかな?
 

*****
 
 次にまた聞き捨てならない言葉がある。

 ――(ゆうだい君の手紙に寄せられたさまざまな意見について)どれが正しくて、どれが間違っている、ということではないと僕は思う。それぞれがそれぞれなりに正しい。(ミラーボールを例にあげて)無数の小さな鏡が表面に貼られたミラーボールは、立つ場所によって、それぞれの鏡に映る景色や人が違う。少し動くだけで、くるくると変わる。でもどれもミラーボールの一面だ。どれが嘘でどれが真実ということではない。見方や立場によって変わるだけ。知っていることや環境によって変わるだけ。

 でも「いろんな見方がある」というだけでは、すまないときがある。どの見方をすべきかを決めなければいけないときがある。きっと今はそのときなのだ。

 → という見方をしていると、「時の人」安斉あきらも、私たちから見ると「堕落している」「人を人とも思っていない」「高給をもらっているくせに、そのうえ血税を貪り食う許せない奴。区議の資格なし」・・・となるが、東京電力や杉並区、はたまたご本人から見れば、「会社の役に立つ有能な人間」「高給を取るのも当然」となるのである。

 原発がなぜ日本に導入されたのかを「知らない」(やはり絶対に知っているはずでしょ)とミラーボールの1面をみただけで、「原発を作ったのは電気を作るため」などと寝ぼけたことを言っているのである。真実を知らせるべきジャーナリストが!

 それぞれの立場はそれぞれの人間によって違うのは当たりまえ。でも「それぞれがそれぞれなりに正しい」というのはほんとうだろうか? 安斉あきらは「正しい」のか? 石原や橋下、安倍や小泉が正しい(正しかった)のか? 立場が違うからこそ、例えば「国民の生活が第一」であるように、話し合ってどれが正しいのかを決めなければならないのである。できっこないが。第一、「悪」を批判すべきジャーナリストが、人には立場があるなんて言って、いったいなにをやっているのだ! 東電には立場があるだろうよ! 山下俊一にも立場があるから、ああ言っているのさ!



 ――「じつは大人もわかってない」(そうだ)

 そもそもは放射能について、僕たちはよくわかっていない。福島第一原発の事故が起きたとき多くの人たちは、テレビや新聞などのマスメディアが嘘ばかりついて、本当の情報を隠していると怒っていた。

 メディアをかばうつもりはないけれど、でもこの見方は少し違うと僕は思う。福島第一原発の事故について、あるいは放射能の危険性について、本当のことを知っているのに隠していたわけでは決してない。だって事故直後の原発には、誰も近づくことさえできなかった。想像で状況を伝えることしかできない。そして放射能についても、その危険性の真実を知る人は誰もいない。

 → 大ウソである。山下俊一はICRPが(外部)被ばくによる発がんにしきい値はないと認識していると知りながら、100ミリシーベルト以下では何の被害もないと言いふらしているのだ。そのことをメディアは報道しない。例の「くよくよしていると・・・、にこにこしていれば・・・」も知らせない。毎日新聞も中川恵一の連載を行っていて、うそ八百の論を述べているのに、おろそうともしない。少なくとも間違った学者の言い分は間違っていることを報道できるはずである。そうしないのはカネのためであろう。

 数日前のデイリー東北に、文科省は事故後のSPEEDIの情報を迅速に原発周辺の住民に知らせず、事故発生3日後に米軍に知らせていたことがわかった、とあった。

 ・「SPEEDI」試算結果 事故直後、米軍に提供
 文科省、国内公表の9日前  (2012年1月17日 デーリー東北より抜粋)
 東京電力福島第一原発事故で発生3日後の昨年3月14日、放射性物質の拡散状況を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供していたことが16日、分かった。
 SPEEDIを運用する原子力安全委員会が拡散の試算結果を公表したのは3月23日。公表の遅れによって住民避難に生かせず、無用な被ばくを招いたと批判されているが、事故後の早い段階で米軍や米政府には試算内容が伝わっていた。(中略)
 昨年末に公表された政府の事故調査・検証委員会の中間報告書(中略)は「放射量を仮定した計算結果が提供されていれば、より適切な避難経路を選ぶことができた」と指摘した。


 なぜこれが「隠蔽」でないのか? メディアは文科省に座り込みしてでも、避難民のためにSPEEDIの情報を奪い取るべきだったのだ。それに反原発の研究者・技術者たちが早い時期からネット上でいろいろと警告していたはずである。なぜメディアはそれをテレビ、新聞に載せなかったのか? カネのせいであろう。
 
 なぜ森氏はメディアをかばうのか? 森氏ももしかしてカネをもらっているのかと思わざるを得ない。というよりも、真実を書けば、この本を書かせてもらえないのであろう。直接カネをもらっていないにしても、結局、カネのためである。


 森達也氏は好きなジャーナリスト?だったが、これですっかりいやになった。軽蔑する。

 *****

 疲れたのでいったんやめますが、自分だったら子どもたちに向けてどういうことを書くか、そのうち書いてみます。

# by lumokurago | 2012-01-23 16:47 | 原発